城郭探訪

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黒川村と天智天皇

2013年11月03日 | 遺蹟

~燃える水発祥の地、日本最古の油田~

胎内パークホテル

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豊かな自然が地域の産業と結びついてる胎内パークホテル

 新潟県はわが国において最も歴史のある石油産出地域です

日本書紀」によれば、天智天皇の7年(668)に、「越国、燃ゆる土燃ゆる水を献ず」と記述されています。これは燃える水すなわち臭水(くそうず)と呼ばれていた原油を天皇に献上したことを記したものです。この燃える水こそ、黒川村の地から採取されたものであるといわれています。

 現在でも黒川村下館の塩谷地内には油坪が多く残っていますが、このように早い時代に発見され献上されたのは含油層が浅くて、自然に原油が湧き出る状態になっており、人目につきやすかったからでした。


 燃える水の発見という珍しい出来事でしたが、都から遠く隔たった北陸の一地方でのこと。通信手段もない古代においてはなかなか都までは伝わりにくいはずなのですが、燃える水が献上される20年前の大化4年(648)には越の国に磐舟柵がつくられ、都との往来も頻繁にあって、この珍しい燃える水のことは早くから知られていました。

 


「水が燃えるなどということは、一体有り得ることなのだろうか」
おそらく当時の都ではこんな思いを抱いて不思議がったのではないでしょうか。黒川の燃える水を見たい。それで天智天皇の即位に合わせて献上されたということなのでしょう。

 時代は下って江戸時代、「北越雪譜」で知られる鈴木牧之も、その著述の中で石油のことを臭水とよび、越後七不思議の一つとして紹介しています。
 黒川村の地名は、古くから黒い原油が流れていたことから黒川という地名がつき、中世においてこの地域を支配していた和田氏も、黒々とした燃える水が流れる川から姓を改めて黒川にしたと伝えられています。


 この燃える水にちなんだ儀式も、滋賀県の近江神宮と黒川村で毎年行われています。天智天皇を祀る近江神宮では、「日本書記」に記されている燃える水の献上地は黒川村であるとして、毎年7月7日に燃水祭を行っています。また、黒川村でも献上の故事にならって7月1日に燃水祭を催し、日本で最古といわれる油坪から採取した臭水を近江神宮に献上しています。  

この臭水を採取した油坪は国の史跡に指定されて、その場所である公園の名をシンクルトン記念公園と名づけています。この名は明治6年(1873)に黒川村に来て、原油の採掘技術を指導したイギリス人医師の名をとったものです。

 

 

本日も訪問、ありがとうございました。

http://www.hrr.mlit.go.jp/iide/iide/culture2.html


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