飯道山の登山道を南に進み、
右前方の丘陵林(竹林)が城址
所在地::甲賀市水口町三大寺字川合谷・平林 map:http://yahoo.jp/PgQ_VO
目標地:日吉神社、飯道山寺(本堂裏の駐車場を拝借)
現 状:山林・畑地
区 分:丘陵城 標高219m 比差 10m
遺 構:曲輪・土塁・堀切
築城時期
築城者
有名城主
訪城日:2014.3.28
土橋を渡り、南から攻め込む虎口aに!
奥谷城は、飯道山をピークとする山塊の東麓に所在する三大寺集落の西方、途中道路により分断されてはいるが、山塊から続く舌状尾根の先端に築かれていた。
登城には南東側の農道から入ると虎口cに至る。基本プランは四方を土塁で囲んだ東西20m×南北50mの主郭と、主郭の北東隅虎口bの先に連続する2つの曲輪で構成されている。土塁は幅広で高く、甲賀でよく見る構造である。主郭南西端には水溜めの窪みが残る。虎口cは登城道を屈曲させるため土塁が食い違い、横矢掛りも意識されている。
主郭南方には数個の削平地が見られるが、南端山側に明確な堀切が確認できないため、それらは後世の開墾によるものかも知れない。従って主郭南方堀切aまでが城域である可能性が高い。
北方田地を挟んで約60m先には近接して小山城が所在するが、奥谷城は集落からやや離れていることや、虎口が反対側に開口していること、構造が類似していないことなどにより、関係性はないのではないかと思われる。
主郭は北側が高く、南側は割と低い土塁が巡ります。主郭の西側に堀切状で遮断されています。基本的には単郭の城館ですが、もあしかしたら、西側にも城の施設はあったかもしれません。
主郭土塁
主郭土塁
主郭土塁
主郭土塁
主郭土塁
主郭土塁
虎口C
虎口Cの下平削地・・・郭
外堀
遠景
三大寺の中世城郭
竹石城祉
竹中城祉
鵜飼屋敷祉
小山城址
奥谷城址
倉穂根城址
若林城址
福本屋敷址
奥出屋敷祉
三大寺の城址は、古地図、史料並びに伝承等により上記にあげました。詳細は、ふる里三大寺に掲載されています。
甲賀市には、滋賀県の城址の3分の1が集中しているとされています。今回その中で飯道寺城についての史料を紹介したいと思います。
年代順に先山中文書(山中道俊・同頼俊軍忠状案)に「飯道寺城」が出てきます。又,柏木源蔵人が拠っていたとも。建武四年(1337)四月二十五日、また「大乗院寺社雑事記」延徳四年五月十一日(1492)には「赤松・武田・武衛三頭、六角甲賀郡之番頭寺篭居山伏寺也」に関岡文書 永正七年(1510)般童寺(飯道寺)の衆徒に至るまで云々(ウンヌン)。以上の史料等により寺自体が、武装化を図っていたものと考えられる。
織田信長の朱印状が国立公文書館にあります。
知行を安堵する書状ですが、寺役を勤める条件が添えられています。信長・秀吉は、宗教武装勢力を弾圧しました。それは、比叡山・高野山などです。しかしまた復興に関与したのも元飯道寺僧知行を安堵する書状ですが、寺役を勤める条件。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査(甲賀)、淡海の城、甲賀の城、甲賀郡誌
本日も訪問、ありがとうございました。