城郭探訪

yamaziro

古高城 近江国(湖南・守山)

2014年03月22日 | 平山城

所在地 :守山市古高町 map:http://yahoo.jp/RGObq8

現在の状態::集落・大将軍神社

遺構 :堀跡・神社土塁

区 分 :平城

築城時期 :室町時代

築城者 :古高氏・三上氏

歴代城主:古高氏・三上氏

訪城日:2014.3.16

歴史

古高城は詳細は不明だが、国人領主古高氏が居城していたと考えられる。
江南守護六角氏が勢力を拡大して以来、古高の地もその支配下となり、六角氏の重臣で野洲郡三上を本拠とする三上氏の傘下にあったと考えられる。

伝承ではこの地に代官所があったとされ、江戸期は三上藩の支所として機能したと考えられる。
また幕末には古高俊太郎を輩出していることから、武家古高家は何らかの形で存続していたのではないか。

古高城の位置は明確ではないが、周囲に「東屋敷」「西屋敷」「南屋敷」「堂ノ内」の地名がある大将軍神社のあたりに城郭があったと考えられている。
大将軍神社は、狭い道で駐車できないので、近くのコンビニ等の駐車場を拝借するのが便利。

古高の地は、鎌倉時代以降、佐々木氏の領地であり、佐々木四天王の一人といわれた、家臣の三上氏が治めた。                                        古高城は、三上氏の傘下、国人領主の古高氏の居城であったと伝わる。
永禄11年(1568)、織田信長は足利義昭を奉じて上洛するにあたって、近江に侵攻し、佐々木六角氏を破った。この際に、古高城も滅んだと伝わる。

古高城は、現在の大将軍神社辺りに築かれていた。

古高城は、幕末の勤皇志士古高俊太郎の出身地として著名な古高集落一帯にあったとされる。
字堂ノ内に鎮座する大将軍神社を中心に、北方に「東屋敷」「西屋敷」、南方に南屋敷の地名が残っている。

特に東・西屋敷は現在でも三方を水路に囲まれ、城構えの様相を呈している。
また大将軍神社には北東に土塁が残っているが、城との関連はないのだろうか。
大将軍神社社殿は、応仁元年(1467)三上満実の再興である。

 

金森城の下流の堀

将軍神社の隣に土塁(古高城のものカ?)

鳥居~拝殿まで、神社土塁に堀(今は用水路)

境内にある土塁の名残カ?

参考資料:古高城遺跡発掘調查報告書、滋賀県中世城郭分布調査 3( 旧野洲・栗太郡の城)、淡海の城、お城のとびら、日本のお城

本日も訪問、ありがとうございました。



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