お城のデータ
現 状:工地・宅地場敷
区 分:平城
築城期:明応年間(1492-1501)
築城者:一色(寺庄)兼秀
城 主:一色(寺庄)兼秀
遺 構:
目標地:工場(山一化工場)
駐車場:路上駐車
訪城日:2014.10.2
お城の概要
寺庄城は、佐治川が杣川に合流する寸前で両川に囲まれた甲南町寺庄のうち、北寄り台地上に位置する。比定地のすぐ南西にはJR草津線が通り、その前身である関西鉄道が明治中期に開通してから今日まで、周辺はどんどん宅地化され地形も改変され続けている。
甲賀市史によると、明治初期に作製された絵図には、方形の田地の周囲を藪地、または細長い田地が取り囲み、藪地内には土塁が残っていたとされる。現在は工場敷地となり完全に消滅してしまった。
また絵図には、工場の南東に建ち並ぶ4軒の宅地にも城館跡のような地形が確認できるため、複郭または複数の城館が並立する形態であった可能性がある。
歴 史
土豪一色輝兼の子兼秀が寺庄氏を称し、明応年間(1492-1501)この地に住したとされる。
天正年間(1573-92)寺庄氏は滅亡し、子孫は帰農したという。
甲賀ゆれ: 天正13年羽柴秀吉によって甲賀の侍衆は改易処分となった。甲賀は秀吉の家臣中村一氏の支配となる。
これにより甲賀の元侍衆たちは浪人となり没落していく
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、甲賀の城 、 日本城郭大系
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