城郭探訪

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【高山城 飛騨国】

2013年04月27日 | 平城

 高山城跡は、高山市街の東方にそびえる標高686.6mの通称城山にある。金森長近によって天正16年(1588)に築城が開始され、慶長5年(1600)までに、本丸・二の丸が完成し、更に、金森可重によって三の丸が築かれ、慶長8年(1603)通算16年をかけて完成したとされる。現在遺存しているのは、三の丸曲輪の堀、二の丸曲輪の広場、用水の名残りをとどめる小池、本丸、天守閣の礎石10数個、南東隅石垣の一部、本丸の搦手門、太鼓櫓下部の石垣である。
 金森氏6代の居城であったが、元禄5年(1692)頼旹が出羽国(山形県)に移封され、金沢藩が城番を勤めた。

しかし、元禄8年(1695)幕府の命により高山城は完全に破却された。

 また、高山城跡は野鳥生息地として天然記念物にも指定されている。鳥類研究家老田敬吉(故人)の調査[昭和31年(1956)5月]によると、野鳥の種類27科80種が確認されたという。都市に近接する野鳥生育地として珍しく貴重である。

 平成7年度には、三の丸堀発掘調査が実施され、江戸時代の墨書薄板屋根材や隅木などが出土した。また、平成9年度には、城郭復元工事、三の丸堀修景整備工事等が行われ公園として、より整備された。

 

高山城(たかやまじょう)は岐阜県高山市にある戦国時代から江戸時代前期の城である。

構造

標高686.6メートルの城山(臥牛山、巴山ともいう)に築城された平山城で、曲輪、堀、石垣、土塁などの遺構が残る。望楼型2重3階の非実戦的な天守を持つ御殿風の古い城郭形式は、織田信長が築城した安土城の影響を受けたものと見られている。

歴史

  • 室町時代、文安年間
飛騨守護・京極氏の被官、多賀出雲守徳言が天神山城(多賀山城)を築城。
  • 永世年間
高山外記が山頂部に天神山城を築城。付近を高山と呼ぶようになったというが異説もある。
  • 戦国時代
三木自綱が高山へ進出、飛騨を平定、松倉城を築城した。越中の佐々成政と同盟し、豊臣秀吉に対抗したことから、1585年(天正13年)豊臣秀吉の命を受けた越前大野城主金森長近が三木氏を攻め、飛騨を制圧し、飛騨3万3千石の領主となる。当初、長近は鍋山城を居城としたが、1588年(天正16年)天神山城跡を利用して高山城を築城。1600年(慶長5年)までに本丸・二の丸を完成させ、その3年後までには三の丸が整備された。築城と同時に城下町の整備も進められ、高台に家臣屋敷を建設し、下段の三町を町人の町とした。そして京都に倣って東山に寺院を集めた。
  • 1692年(元禄5年)
金森頼時の出羽国上山藩への国替えにより、高山城は加賀藩主前田綱紀が預かった。
  • 1695年(元禄8年)
天領となったため、幕命により高山城は前田綱紀により破却される。

現在は、岐阜県高山市空町城山公園。城跡は県指定史跡であるとともに、野鳥生息地として天然記念物にも指定されている。 高山市天性寺町62  法華寺本堂(県重文)は高山城の一郭を移築したものといわれている。

城主(金森氏)

  • 初代:金森長近
  • 二代:金森可重
  • 三代:金森重頼
  • 四代:金森頼直
  • 五代:金森頼業
  • 六代:金森頼時

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