城郭探訪

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笠川屋敷(片岡城) 近江国(栗東)

2016年05月22日 | 平城

笠川屋敷 

  

お城のデータ
所在地:栗東市(旧:栗太郡栗東町)北中小路 map:http://yahoo.jp/GlBMVy
別 称:片岡城
現 状:神社・公園
区 分:居館
築城期:
築城者:
遺 構:八幡神社の背後土塁・堀痕
目標地:北中小路
駐車場:北中小路集会場の駐車場利用 
訪城日: 2016.5.19

お城の概要
お城は北中小路の八幡神社と向かいの児童公園が比定地であるが、周辺の空き地や寺院も城域と考えられる。
また、八幡神社の背後の竹藪に土塁や堀が残る。児童公園は整備がされて遺構は、消失か?
『滋賀県中世城郭分布調査3(旧:野洲・栗太郡の城)』には、「「近江栗太郡志」には「笹川屋敷と称し四方を堀で囲らし土手に竹藪を生ずる一区の地あり、ある、八幡神社の背後の竹藪付近と思われる」と解説。

お城の歴史
詳細不明
北中小路の法林寺は、
 本願寺八世蓮如(1415~1499)は、積極的な教化活動を繰り広げ、本願寺を大きく発展させたことはよく知られている。初期には「帰命盡十方旡碍光如来」と書かれた十字名号を製作していたいが、延暦寺の衆徒によって「旡碍光衆」と指摘され、寛正六年(1465)には大谷本願寺への攻撃を受けたのであった。このことから、蓮如は十字名号の下附をやめ、草書体による墨書の六時名号へと変わっていった。寛正の法難から近江に逃れた蓮如は、道西坊善従のいる金森(守山市)に入り、野洲、栗太両郡の坊主、門徒のもとを訪れている。栗太郡高野の善宗、正善の道場(福正寺)から安養寺村の幸子坊の道場(安養寺)、手原村の信覚坊の道場、さらに野洲郡荒見の性妙の道場(聞光寺)、開発中村の妙実の道場(連光寺)、矢島南の道場(西照寺)、赤野井慶乗の道場(西蓮寺)、三宅了西の道場(蓮生寺)へと移り巡ったという。
 また、栗太郡高野郷と呼ばれた地域には、蒲生郡日野に所在する興敬寺の門徒、末寺として重要な集団を形成していた。元亀元年(1570)から天正八年(1580)にかけて行われた石山本願寺合戦では、湖南の金森、三宅を拠点とした一向一揆だけでなく、高野郷を中心とした興敬寺配下の門徒集団も織田信長に立ち向かっていったのであった。
 蓮如と深い関わりをもっていた近江湖南の地には、蓮如やその後を継いだ実如から下附された方便法身尊号(十字名号)や方便法身尊像(阿弥陀如来絵像)が多数伝来する。さらに顕如、教如時代における信長との石山合戦時の資料などから、栗太衆の活躍したこの地域の真宗文化を特集するものである。

八幡神社            北中小路 
北中小路集会所
    北中小路 
 
真行寺              
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査3(旧野洲・栗太郡の城)、遺跡ウォーカー、『近江栗太郡志』全5巻
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