浄土真宗親鸞会 伏木桜の集い

富山で親鸞聖人の教えを学ぶ仲間たちのブログです

吉野山(奈良県)の桜が、見事です。

2010-04-14 20:12:47 | Weblog

 

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(1)本日の話題。

(2)つぶやき、、、


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(1)吉野山(奈良県)の桜が、見事です。

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最近の富山は、寒い(ブルブル~)。
 と思うと、暑くなったりと、寒暖の差が激しくて、
 周りには、かぜで体調を崩している法友がいます。
 皆さんも、くれぐれも身体には、気をつけてくださいね。


 でも、寒さのおかげで、うれしいことも。
 それは、、、



 桜の開花している期間が延びるんだって。
 満開になってから散るまでの間が長くなって、いつもの年よりも
 長く愛でることができるようですよ。




■ということで、
 法友が、桜の名所として有名な吉野山(奈良県)の写真を撮って
 きてくれました。感謝!!


 これまで、何度かご説法でお聞きしていて、どんなところかなぁと
 思っていましたが、写真で見て、やっぱり、すごいですねぇ。


                  




■それで、これまでに、何度かお聞きしたことのある歌を紹介します。


   年毎に
 咲くや 吉野の山桜
  木を割りて見よ
    花のありかわ


 吉野山といえば、毎春、山が桜か、桜が山か、といわれるほど、
 全山、桜におおわれるようです。


 でも、、、



 冬に訪れると、枯木のような木々が、つくんつくんと立っている
 ばかりで。。。


「オヤッ??」と思ったある人が、

「木の中に花があるのかな」と木を割ってみたけど、花びら一枚
 見つからなかったそうな。
(そんな人、あるんですね)



 冬の間は、目には見えないだけで、花を咲かせる勢力が、
 木の中に蓄えられていて、春の陽気にふれると、
 傍目には枯れた(?)ようにしか見えない木でも、
 一気に見事な桜をパーッと咲かせるのです~。

 

■同様に、仏教では、私たちの心で思ったこと、口で言ったこと、
 身体で行った過去の行いが力となって、蔵のような心にすべて
 記録され、縁がくれば、結果をあらわすと教えられます。


 だから、
 人それぞれ運命は違いますけど、全智全能の神から与えられた
 運命でもなければ、まったくの偶然でもありません。

 自分に現れるすべては、自分のまいたものばかりが、毎日現れて
 くると教えられます。



 今、受けねばならない運命も、自分が、かつてタネをまいたもの
 だからと反省し、逆に、未来の運命は、これからの自分の行いに
 よって、どれだけでも変えられると知らされたならば、自暴自棄的な
 考えも、無気力なアキラメ主義も吹きとんで、よりよい明日のため、
 よい行いをしていこうと、全力を挙げる、たくましい人生が
 開けるに違いありませんね。

 

 

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(2)つぶやき、、、

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法友から、吉野山の写真をもらったとき、なぜか、ニヤニヤしながら、
「写真どうだった」って聞くからおかしいと思っていましたが、
 実は、桜のきれいな写真がいっぱい続いていた中に、
 ポッと、一枚、ある写真が……。
 きれいな写真とのギャップがあった分だけ、ちょっと驚きました。
 まぁ、ギャグなんでしょうけど。答えは、ずっと、下に。

 













 

 


 

 

 

爬虫類の写真でした(汗)。。。ガーン。


お釈迦さまご生誕の日。

2010-04-08 19:09:42 | Weblog

 


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(1)本日の話題。

(2)つぶやき、、、

 

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(1)お釈迦さまご生誕の日。

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■伏木(高岡市)にも、桜が満開で、春爛漫です。
 冬に縮んでいたものが、一気にはじけるようなパワーを感じる
 季節ですね。


 ところで、、、
 今日は、何の日か、ご存知でしょうか??


 お釈迦さまが、誕生せられた日なんです。
 時あたかも花が満開だったルンビニー園という花園(インド)で
 生まれられたことから、仏教徒の間では、この日を、「花祭り」と称して、
 ご生誕をお祝いします。


 そのお釈迦さまが、ご出生の時、四方に七歩ずつ歩かれて、
 右手で天を、
 左手は地を
 指して仰ったと伝えられるのが、


天上天下
 唯我独尊
 三界皆苦
 吾当安此


のお言葉です。


 今は、釈迦が「自分一人偉い」と仰ったものと誤解されることが
 少なくありませんが、正しくは、

大宇宙広しといえども、われわれ人間だけが果たすことのできる、尊い使命がある

という宣言です。

 高森顕徹先生『こんなことが知りたい』より、教えていただきましょう。

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 大変世間一般に誤解されている仏教の言葉です。
 確かに、釈尊が誕生された時に、天と地を指さされて、
「天上天下、唯我独尊」
と叫ばれたと記録されています。
 これを多くの人々は、
「この世で一番偉くて尊いものは、自分一人である」
と、釈尊が威張られたことのように思って、大変うぬぼれた言葉のようにあつかっています。
 しかし、この
「天上天下、唯我独尊」
という心は、決してそのような思い上がった心で仰有ったものではないのです。
 この
「我」
というのは、決して釈尊だけのことを仰有ったものではなく、人間一人一人のことなのです。
 だから、人間誰しも釈尊と同じように、
「天上天下、唯我独尊」
なのであり、またそう言えるのです。
 では、
「独尊」
とはどういうことかといいますと、たった一つの尊い使命ということで、決して自分一人が偉いのだということではありません。
 ですから、
「天上天下、唯我独尊」
ということは、我々人間には、天上天下広しと雖もたった一つしかない聖なる使命を果たすべく、この世へ生まれて来たのだということなのです。
(中略)

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 では、私たちが、生まれてきた目的は、何でしょう?
 お金や財産を築くことや、地位や名誉を得ることでしょうか。

 続けて、次のように教えてくださっています。


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「人身受け難し、今すでに受く。仏法聞き難し、今すでに聞く、この身今生に向かって度せずんば、更に何れの生に向かってかこの身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし」
の、法語の示す如く一切の人々の唯一の使命は、阿弥陀仏の本願を聞信して、人生究極の目的である、絶対の幸福を獲得(体験)することにあることは、明らかであります。
 この使命を知り、この使命に向かって全力をあげ、この使命を成就した時にこそ総ての人々が、天と地に向かって、
「天上天下、唯我独尊」
と、絶叫せずにおれなくなるのです。
 これを機縁に我々の生きる聖なる目的について、深く考えてみようではありませんか。

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 一層、光に向かって進ませていただきたいと思います。

 

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(2)つぶやき、、、

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■■今日は、ある経営に携わっておられた方に、話をうかがっていました。
 きれいごとではすまない、厳しいプロの世界を、教えていただきました。

 詳しくは書けませんが、
 どの仕事も、大変だなぁ、と(汗)。。。

「最後は、やはり自分のスキルだから」とのアドバイスをいただき、地味かもしれませんが、堅実なスキルアップしかないと知らされました。


トヨタの信用回復か。

2010-04-03 20:22:11 | Weblog


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(1)トヨタの信用回復か

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■伏木(高岡市)の桜も、つぼみがほころび、いよいよ
 春爛漫に近づいています。


 やっぱり、桜って、いいですよ~。
 日本人ですから。
 しかも、伏木桜の集いなので、この季節は、特に
 力が入りますね。


 ところで、アメリカのトヨタのシェア(3月)が、2位に
浮上したそうです。
 これまで慎重だった値引きなどの販売促進策などの
実行はもちろん、リコール問題の対応も、好反応だった
ようです。


 人間だから、ミスはつきものですが、その後の対応で
結果はまったく違ってきますね。


 誠実な対処を、心がけたいものです。



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(2)つぶやき、、、

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■最近、近所のつきあいで、ドブさらいをしました。
 100メートルほどある(?)溝の中の泥をかきだすと
 いうもの。

 その溝は、大人が腰を曲げて、ようやく入れるような
 ところで、たまに地上に出て、腰をのばすと、

「イタタター」

 と、同じ作業に入っていた人が、声を上げていました。


 1年に一度は、していますが、今回、土嚢30袋分の
 量です。


 チリも積もれば、山。
 ホントですね!


 かきだした泥は、一日に流れ込む量は本当にわずか
なことでしょう。でも、それが一年も続くと、2時間も
かけて除去が必要なくらい、堆積しています。


 日々のちょっとしたことでも、それを続ければ、
 1年もすると、大きな力になると教えてくれて
 いるようでした。


 「継続は、力」、何事も堅実な種まきが大事ですね。