月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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零式艦上戦闘機(29) 新幹線に活かされた零戦の技術

2014-02-22 12:00:00 | 航空機・船舶(軍艦・機)
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零式艦上戦闘機(29) 新幹線に活かされた零戦の技術

零戦の振動問題を2度にわたって解決した松平精(まつだいら ただし)氏は、徳川家と同族の三川松平家の出身で、兄は子爵を継いで貴族院議員だが、本人は三男だったので、東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業後、昭和9年(1934)に海軍航空廠に入った。

1年間の現場実習の後、”陸軍の徴兵検査”に合格して、予備役の陸軍少尉に任官したが、昭和11年海軍の航空廠に復帰し、当時専門の研究者のいなかった、航空機の振動問題を担当することになった。

見事に零戦のフラッター事故の原因を特定した松平技師だったが、戦後まもない昭和20年(1945)の暮れに、運輸省の鉄道技術研究所に入り、鉄道の振動問題に取り組むことになった。

松平氏は、鉄道車両も高速になると自分から振動すると考え、模型車両転送実験装置を作り、数々の振動事故のメカニズムを解明した。

そして、昭和34年(1959)、新幹線の建設工事が認可されると、松平氏は「高速車両の運動班」の班長として、高速車両の蛇行動の解決に心血を注いだ。
新幹線用台車の設計にも参画し、台車と車体の間にバネやオイルダンパーをいれ、実験を繰り返し、時速210キロで走行する新幹線の振動問題を解決し、昭和39年(1964)10月1日東海道新幹線の開業を迎えた。

『下川大尉機の空中分解事故調査で、技術というものが、いかに真剣なものであるか、また、安全のためにはいかに細心、周到な準備が必要であるか、を肝に銘じて教えられた。』(松平氏)

零戦で培われた技術は、世界に先駆けて営業を開始した、時速210キロの高速列車、夢の超特急新幹線で報われたのでありました。

零式艦上戦闘機(30) 零戦開発チームメンバー 2014-03-01 につづく~
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