kirin☆気紛れ雑記

日々のつぶやき・・

ムダなことなんて一つもない

2010-12-20 | つぶやき
昨日、息子はタイヤ交換をしました。
わたしが住む地域は、しょっちゅう雪が降るほどではありませんが(同県でも山奥はたくさん降りますが)、その年によって違うのでそのときが来るまでわかりません。
しかし、この地域、車通勤の場合(というか、まず車通勤しかありえないのです)、スタッドレスタイヤに交換することは、必須なのです。
電車通勤するにも、駅に行くにもバスが無く、車が要ります。
息子は、もし雪が降ったら電車で行く、と言っていますが、そのため息子の車を私が運転して駅まで送っていくとしても、タイヤ交換は必要なわけで。
それに、通勤の行きは(朝)は降っていなくても帰りは降る、ということもありえます。
すでにタイヤは買ってあり、クリスマスまでには換えたほうがいいと思ってました。

市内でも私の住む地域(町内)では、高校を出たら免許をとって、進学であれ、就職であれ、車は必要です。
中には、大学生の場合、毎日、駅まで親に送り迎えしてもらう、そんな恵まれた子もごく少数いるかもしれませんが(私の頃はそういう子ほとんどきいたことはないですが)。
私も、短大通学には駅まで車を運転していきました。
っていうか、自分で車で行くほうがいいに決まってます。
駅まで毎日毎日、親に送り迎えしてもらうなんて、ありえない・・(親は仕事してるし、というか、短大にもなって毎日親の送り迎えなんて、うっとおしいよ・・ハハ^^;)
学生のころは、雪に備えてタイヤを交換する、まではしなかったけど(雪道を運転するなんて怖かったので、そういう日は年に数日あるかないかなので、駅まで親に送り迎えしてもらってたような気がする)、さすがに就職してからは、雪でも自分で行かなければなりませんので、スパイクタイヤに換えて運転してました。

夫はタイヤ交換はお手の物で・・まあ男ですから・・
雪が降りそうになると、ささっと交換していました。
息子が高校生のとき、普段は駅まで自転車で行くのだけど。
冬になると、もしも雪が降ったときの送り迎えのために、スタッドレスに交換していました。
しかし、私は、たとえタイヤを交換したといっても、雪道の運転など怖くて怖くてビビリまくっていました。
朝など、同じ電車に乗る子を送ってゆく父兄の後続車から、「早く行け」といわんばかりに急かされたし、それで余計に冷や汗もんでした。

あのころは私も夫に見ていてもらって自分でタイヤを換えていたんです。
が、今となってはさっぱり要領を忘れてしまった・・。
夫に助けてもらわなければ、もうタイヤ交換はできません。


息子は、お父さんに見てもらって自分で交換する、と言いました。
私は、
「お母さん、忘れてまってよくわからんし、車屋さんへ持ってったほうがいい」
と勧めましたが(昨日は私の親もいなかったので助けてもらうこともできないし)・・

夫は、
「○○(息子)と約束したんや、おれが見てやるって・・、外へつれてってくれ・・」
と言います。

夫は見てやることはできても、動いて助けることができません。
そんな頼りないことで大丈夫か!?
私は、お金を払ってでも車屋へ行ってくれ、と、しきりに言いましたが、二人は聞き入れません。
しぶしぶ、車椅子の夫に暖かいジャンバーを着せて外へ連れ出しました。
幸い昨日は暖かい日で良かったです。

最初、息子は初めの一本目のホイール(っていうのでしょうか、あのぱかッと取るやつ)がなかなか取れず渋っていました。
私がやっても取れません。

(ほれ見てみー、できへんにー、クルマ屋へ持っていったら?)
なんて思いましたが、黙って見ていました。

こんなとき、助けてもらえる人がいたらどんなにいいかーって、思ったんです。
しかし、うちには、そこまでお願いできるようなご近所さんも親戚の人もいません。
夫は一生懸命見て、夫なりに、「ああやこうや・・」、と指示してました。
夫なりに父親として責任を果たそうとしてくれている姿。
夫は息子に頼りにされることがうれしいのです。
息子は、たとえ父が障がい者となっても父親は父親であり、頼っている。

あかんなー、なんだか、その二人がいたいたしくて、なんかせつなくてしかたないわたしです。
夫が元気だったら、張り切って二人で動いてるんだろうなあ、とか。
夫も動けなくて、もどかしくてつらいんだろうなあ、とか。
わたしは、見ていられなくて部屋の中へ引っ込みました。←無責任な母。
そしてなんとか無事タイヤは交換できました。
息子にとっても、いい勉強だったと思います。

「あなたがこれまで生きてきたなかでムダなことなんて一つもないのです」
誰が言ったのかわかりませんが、たまたま、見つけたことわざです。
いま、わたしの携帯の壁紙になっています。
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ねぇ

2010-12-11 | 音楽
テレビを観ていたら、元芸能人の女性が、
「私は、姑の介護を○○年してきました・・・」
と、涙ながらに話していました。

私は、こういう番組が苦手で、チャンネルを変えてしまいます。
イタイタしくて聞いてられない、わけでなく、なぜかちょっと腹立たしくなるのです。
このかたも大変だったと思う。
しかし、世の中には、介護している人は山ほどいる(自分のこと、というわけでなく)。
えらそうに言える立場じゃないが、状況も人さまざま。
芸能人だからといって「私は介護してきました」と、それを売りにしないでくれ・・。
涙ならがの苦労話を聞くのはもういい・・(実際、自分自身が辛い立場に立つと他が見えなくなるのはよくわかりますが)。

それに、頼りになるダンナ様がついてくれての介護なのだから、まだいいじゃないか・・ダンナに倒れられたらにっちもさっちもいかないよ。
無事、介護をやり遂げて、姑さんを送ったのだから、もういいじゃないの。
姑さんだって感謝してみえると思うよ・・。
なにもむきになることはないのはわかっていますが。



ドリカムの曲で、「ねぇ」ってのがあります。



わかるよ その気持ち
名前呼んでみるときの心が死んでゆくような
引き裂かれるような気持ち

私も通ってきたから
同じとこでつまづいて泣いたから

ねぇ
どのポケットも思い出でいっぱいのその服にあえて手を通そうよ
もう一度着てみたら案外似合わないことに気づくかもしれない

大丈夫
最悪の時はもう過ぎているから



最後は、

「かならず心から笑える日はやってくるから」
という歌詞。

「大丈夫、最悪の時はもう過ぎているから」
この歌詞を聞き、そうだ、そうだ、と自分に言い聞かせます。
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ある一日

2010-12-02 | つぶやき
いまさら、としをごまかすとか、隠しても仕方ない。
数日前に誕生日を迎え、48歳になった(なってしまった)。

あと、二つ目で50になってしまう。
30代から40代に突入したときは、子育ての最中だったから自然な流れで過ぎていった。
が、子供もほぼ手が離れてゆき、他にも状況が変わってしまった、それなのに自分自身は少しも成長していない、というアンバランス・・

これって私だけか。
誕生日が近くなると自分にご褒美をあげたくなる。
っていうか、わたしの場合、しょっちゅう、あげてる気がする。
クリスマスも近いことだし、いつもよりちょっとだけ高価な心地よいものを買い、自己満足な気分に浸る。

いかにもブランドのマークが入ってるものとか、貴金属(この言い方古臭いかな)とかには興味はないけど。
若いときは、バイト代がほぼブランドバックに消えてたころもあった。
ちょうどJJ世代だった。雑誌に賀来千香子さんが、モデルで登場されてた頃。

数年前から、夫の介護中心となり、・・。
いや、報酬が欲しいと言っているわけではない(いや・・表現が難しいが)。


もしかしたら、今年一年間は、結婚して主婦になって、自分のもので一番お金を使ったかもしれない(すごい額ではないです)。
多くの女性は買い物(ウインドショッピングも含む)でストレスを発散しているのでは・・と思うが、私もそうで、見ているだけで入り込んでしまう。

いつか着ようと思って買った服が、出番のないままタンスに眠っていたりする。
自分を飾ることで気持ちをごまかしている。
ああ、おあおろしい。
そんなときは自分に言い訳をする。
ご褒美が欲しい!と。
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