終わらない演奏会

不惑の道を歩みながらも未だ惑いっぱなしの筋肉おばはん帯の、ヘヴィーでメタルでどうでしょうな日常です。

葛藤

2013-01-07 22:24:00 | ただの日記

私は

言わずに我慢する

ということができない。

それはおかしいんじゃないか。とか、理不尽なんじゃないか。とか思うことがあった時、「黙って離れる」ということができない。

話し合ってお互いに理解できるのであれば離れずに済むし、ずーーーっと心に何かが引っかかったままでいたくないから。

黙ってなんとなく離れてうやむやにするより、ちゃんと伝えた上で相手が離れて行くのであれば仕方ないし、少しでも理解してもらうことができた上で関係を続けて行けるのであれば今まで以上に建設的な関係性を保てると思うから。

 

けど。

 

最近、もしかしてそれって間違ってるのかも。。。と思うことがある。

私が思ったり感じたりした理不尽というのは、あくまでも

私基準

の理不尽であって、相手にとってはそれの何が理不尽なのか理解してもらえない場合も多く、そうなったときにはもう修復不可能で、結果的にその人との関係は切れてしまう。

であれば、黙ってこっちから離れていくという選択のほうが遺恨を残さないで済むのではないか。

そして、私の気持ちさえ収まればまた何事もなかったように関係を続けていくことができる。

それが

大人の対応

というものなんじゃないか。

そんな事を考えることが最近、たまにある。

 

振り返れば

言ってしまったがために

切れてしまったいろんな人間関係がある。

もしあの時、言わずに流すことができていたら、今頃はその人とも新しい関係を築くことができていたんだろうか。

それとも、やっぱり遅かれ早かれ切れる縁だったんだろうか。

 

20代までの人間関係は足し算で

30代からの人間関係は引き算で

 

20代まではいろんな人と出会う機会を持つことで、自分の視野を広げたり、自分でも気がつかなかった自分の側面に気がつくためにも、いろんな人と関わっていくことが大切だと思う。

しかし、30代以降は、その中で本当に自分に必要な物は何か、自分が大切にしなければならない物は何かを、自分で判断していかなければ、結果的に全てがなおざりになってしまうよな気がするから、あえて

手放す

ということを惜しまないようにしてきたつもりなんだけど。

 

どうなんだろう。

 

ブログやSNSで知り合い増やして、たくさん友達がいるような錯覚をして、それで満足するのが良い事だとは思えないし、そういうのが自分にとって大切だとは思わないけど。

それでも、せっかく出会えたり、関わることができた人と、簡単に切れてしまうことが本当にいい事なんだろうか。

それが本当に

大人

っていうことなんだろうか。

自分でもわからなくなってきて。

 

もしかすると、私のこの性格のせいで、気がつかないうちにものすごくもったいないことをしているのかも。

そんな気がしてちょっと怖くなる。

 

2014年。

私はどうすればいいのだろう。

 

 


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