神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

京都・平安神宮。

2008年12月24日 | ◇京都府 -洛東
厄除け・開運招福・縁結び

平安神宮

(へいあんじんぐう)
京都市左京区岡崎西天王町97



24mもの高さを誇る平安神宮の赤鳥居。1929(昭和4)年建立。


〔御祭神〕
桓武天皇
(かんむてんのう)
孝明天皇
(こうめいてんのう)



 1867(慶応3)年11月9日に徳川慶喜公による朝廷への大政奉還が行われ、その1ヶ月後の12月9日に出された「王政復古の大号令」によって260年にわたる江戸幕府の長い歴史に終止符が打たれた幕末。幕府亡き後、世界最大の都市であった江戸は首都機能を移転させないと衰退してしまうという前島密卿の「江戸遷都論」などに基づき、西の都・京都に対して東の都という意味で「江戸」の地名が1868(慶応4)年に「東京」と改められ、元号も「明治」と改められて遷都の地ならしが行われました。

 京都では強い遷都反対運動が展開されましたが、結局1869(明治2)年に明治天皇が活動拠点を東京に移され、政府機能も1871(明治4)年までにほぼ移転が完了し、それと相反して京都の人口は35万人から20万人余りへと激減してしまいました。そんな京都の危機に対して、京都市民の復興への情熱は非常に高く、繊維産業の近代化や琵琶湖疏水の整備など、数多くの復興事業が展開されて再び京都は輝きを取り戻していきました。



 
1895(明治28)年の創建時に建てられた応天門(左)と大極殿(右)。



 そんな中、京都市民の熱心な誘致運動が功を奏し、1895(明治28)年に第4回内国勧業博覧会を京都で開催することが決定され、桓武天皇による平安京遷都1100年を記念した記念事業の中心的建築物として平安朝時代の建築様式に基づいて同年に建立されたのが、大きな赤鳥居で有名な平安神宮です。

 平安神宮は平安時代の大内裏の正庁である朝堂院を約8分の5の大きさで再現した大極殿や応天門、蒼龍楼や白虎楼の建築は、政府からの資金ではなく京都市民を中心とした日本全国からの寄付金によってまかなわれ、まさに新生京都の象徴として市民の厚い崇敬を集めました。創建当初は平安京を創建した桓武天皇を御祭神として祀っていましたが、「皇紀2600年」とされた1940(昭和15)年には幕末の動乱期を支えた平安京最期の帝・孝明天皇も御祭神として合祀されました。



 
大極殿から向かって東側に建つ蒼龍楼(左)と、西に建つ白虎楼(右)。



 創建時から、名作庭家として数々の日本庭園を手がけてきた「植治」こと7代目小川治兵衛によって神苑の造営が始められ、20年以上をかけて花菖蒲が浮かぶ白虎池や豊かな植栽に囲まれた茶室「澄心亭」などが整えられた西神苑と、14個の丸い切石を蒼龍池に橋上に並べた臥龍橋が美しい中神苑が作庭されました。その後、1911(明治44)年からは東神苑の建設が着手され、1912(大正元)年に「橋殿」と呼ばれる泰平閣が建てられるなど着々と建設は進み、1916(大正5)年に広大な池泉・栖鳳池を含む東神苑が完成しました。

 1929(昭和4)年には応天門の南方に24mもの高さを誇る朱塗りの大鳥居が建立され、孝明天皇が合祀された1940(昭和15)年には大極殿の奥に本殿や内拝殿、そして神楽殿や社務所などが整備されて社殿の大修理も行われました。1976(昭和51)年には過激派による放火によって本殿や内拝殿など9棟が焼失。国の文化財の指定を受けていなかったために国からの支援は受けられませんでしたが、平安神宮創建の時と同じく全国から有志による募金が集まり、1979(昭和54)年に見事に再建されました。主義主張の自由はもちろん保障されなければなりませんが、何も産まず何も変える事の出来ないこのような愚行は、断じて許されるものではなく、愚の骨頂としか言いようがありません。



 
小川治兵衛が手がけた南神苑を流れる曲水(左)と西神苑の白虎池(右)。



 平安神宮では、創建を記念して平安京遷都の日である10月22日に「京都3大祭」に列せられる「時代祭」が行われることでも有名です。祭のメインである時代行列は、明治維新時の維新勤王隊列・幕末志士列を皮切りに、江戸時代の徳川城使上洛列・江戸時代婦人列、安土桃山時代の豊公参朝列・織田公上洛列、南北朝の南朝方である吉野の楠公上洛列・中世婦人列、鎌倉時代の城南流鏑馬列、平安時代中期の藤原氏隆盛の頃の藤原公喞参朝列・平安時代婦人列、平安京遷都時(延暦年代)の延暦武官行進列・延暦文官参朝列というように、7つの時代と18の列で構成されてきました。

 それまで後醍醐天皇と対立して室町幕府を開いた足利尊氏公は「逆賊」とされ、時代行列からも排除されていましたが、ようやく2007(平成19)年から「吉野」の時代の前に室町時代の室町幕府執政列・室町洛中風俗列も参列が許されるようになりました。「先の戦争」が第2次世界大戦のことではなく応仁の乱のことを指すという話は聞いていましたが、このようなところにも長い歴史を誇る京都の歴史観が伺えます。2,000人以上が参加する時代行列は、正午に京都御所を出発し、丸太町通から烏丸通を南下して 御池通・河原町通といった中心地を進み、三条通から神宮通を通って平安神宮までの4・5㎞余りの行程を練り歩き、全ての行列が到着したのち16時から大極殿祭並還幸祭 が執り行われます。



 
中神苑の蒼龍池(左)と、南から眺める東神苑の栖鳳池の景色(右)。

 
栖鳳池に架かる泰平閣から見た平安神宮会館(左)と、植栽越しの泰平閣(右)。



アクセス
・京都市営地下鉄東西線「東山駅」下車、北へ徒歩10分
・京阪電車鴨東線「神宮丸太町駅」下車、東へ徒歩15分
平安神宮地図  【境内MAP】 Copyright (C) 2000-2008 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.

拝観料
・境内無料 (神苑は大人600円、小人300円)

拝観時間
・境内拝観:6時~18時 (3月1~14日・9~10月は17時30分、11~2月は17時閉苑)
・神苑拝観:8時30分~17時30分 (3月1~14日・9~10月は17時、11~2月は16時30分閉苑)

公式サイト







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1 コメント

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定番、修学旅行コース (リン)
2013-01-28 23:40:06
こんばんは。白い砂利。あまり古くありません。

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