神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

西宮・松原天満宮。

2006年06月26日 | □兵庫県 -阪神
学業成就・芸能上達・平和守護

松原天満宮

(まつばらてんまんぐう)
兵庫県西宮市松原町2-26



市役所やJR西ノ宮駅など、市の主要施設に近い立地ながら、豊かな緑に包まれた静かな神社です。



〔御祭神〕
菅原道真公
(すがわらのみちざね)
天照大御神
(あまてらすおおみかみ)



 現在、阪神電車は各地で線路の高架化を進めています。これが進められる中で、姿を消した駅があります。その駅の名は西宮東口駅。この駅は1905(明治38)年に阪神電車が開業した当初から開設されていた駅で、長らく市民の足として親しまれていましたが、今回の高架化工事の際に阪神西宮駅と統合される形で1世紀あまりの歴史に幕を下ろすこととなりました。その西宮東口駅の跡に程近い西宮東口商店街に隣接するように鎮座しているのが、今回御紹介する松原天満宮です。万葉の昔、この一帯は立派な松の木が立ち並ぶ「白砂青松」の風光明媚な海岸で、中でもひときわ高くそびえる古松は海上からの目印として重宝されていました。「都努の松原(つぬのまつばら)」と万葉集にも詠まれた美しい海岸は、その名の通り入江がツノ状に内陸に入りこむ天然の良港で「務古水門(むこのみなと)」と呼ばれ、大陸からの渡来人などを迎える港として栄えました。松原天満宮の南にある喜田向稲荷神社には、それにまつわる伝説が残されていますので、一度そちらのご紹介記事もご覧いただけたらと思います。ちなみにこの入江は廣田神社がある辺りまで伸びていたといわれています。





社殿の西側に鎮座する福部社と老松社(左)。社殿脇には「縁の榎」が緑の枝を生い茂らせています。



 務古水門を抱え、古来より海上交通の要衝であったこの地には、津門首(つとのおびと)と呼ばれる豪族が勢力を伸ばし統治を行っていました。大陸との交易で栄えていたであろうその威勢は、西宮市内で銅鐸が出土したのが唯一この地域であるという事、そして大塚古墳(現在のアサヒビール西宮工場の敷地内)稲荷山古墳(現在の西宮市津門稲荷町辺り)などの古墳を築いていたという事からも大きいものであった事が推察できます。大和朝廷との繋がりも深く、さらには近隣に鎮座していた廣田神社西宮神社との縁も深かったようで、神社で祭礼を行った後、この松原の地で直会(なおらい)を行っていたという事も伝えられています。





緑に包まれた社殿。中には神輿も収められています。



 松原天満宮の創建時期は定かではありませんが、社伝では延喜年間(901~923年)に無実の罪によって都を追われ、流罪の地である筑紫国の太宰府を目指して失意の旅を続けていた菅原道真公が、「都努の松原」の光景に心を惹かれて休息をとられたという故事にちなみ、非業の死を遂げた菅原道真公の御霊を慰め御威徳を偲ぶために祠を建てて祀ったのが創祀だといわれています。このため、御祭神である菅原道真公の神威にあやかろうと合格祈願のために参拝される方も多いそうですが、実は菅原道真公以外にも主祭神として祀られている神様がいるのです。その神様は、皇祖神であり、全国の神社の総本社ともいうべき伊勢神宮にも祀られている御祭神・天照大御神です。





社殿の右脇には夫婦和合の「夫婦久寿(クス)」が枝を茂らせ(左)、その脇には筆塚があります(右)。



 「天神さま」というと、どうしても菅原道真公を御祭神とする「学問の神様」というイメージをお持ちの方が多いと思います。しかしながら、天照大御神素盞鳴尊など、高天原から姿を顕された天津神(あまつかみ)も「天神さま」という名で呼ばれ崇敬されてきました。もともと、この一帯を治めていた津門首の一族が古来より氏神として代々この松原で祀ってきたのは、天津神としての「天神さま」だったといわれています。古い文献には、松原天満宮を指して「松原如来」「松原大日」と呼んでいるものもあり、本地垂迹説や神本仏迹説において大日如来尊天照大御神が同一だとされている事からも、松原天満宮に祀られているもう1柱の「天神さま」は天照大御神だと考えられます。推察するに、氏神として天照大御神を御祭神として祭祀を続けてきた津門首が、土砂の堆積などによる津門の港の衰退とともに勢力を失っていき、それに伴って「天津神」を祀っていたお社が、いつしか大宰府への失意の旅の途中に風光明媚な松原の地に立ち寄ったとされる菅原道真公ゆかりの「天神さま」である、というイメージが強くなっていったのではないでしょうか。

 菅原道真公と天照大御神という、2柱の「天神さま」を御祭神として祀っているという事で、今の宮司さんのお父さんにあたる先代は、この神社のことを「松原天神宮」と称していたそうですが、戦後GHQによって出された神道指令によって宗教法人となる際、「松原神社」として法人登録を行ったということです。ただ、今も人々からは「松原天満宮」の呼び名で愛され、崇敬を集めています。





社殿奥の古札納所と火之御子社・白太夫社(左)。参道脇には皇太神宮社・ゑびす福神社が鎮座(右)。



アクセス 
・阪神電車「西宮駅」下車、東へ徒歩10分
・JR「西ノ宮駅」下車、南へ徒歩5分
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拝観料
・無料

拝観時間
・常時開放




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