サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

内ゲバ/北小路敏(中核派最高幹部)/74歳

2010年11月16日 | 毎日がメメント・モリ

中核派最高幹部の北小路敏氏が死去


産経新聞 11月16日(火)7時57分配信


 過激派「中核派」(革命的共産主義者同盟全国委員会)の最高幹部の一人だった北小路敏(さとし)氏(74)が今月13日に死亡したことが15日、関係者への取材で分かった。死因は、敗血症だったという。通夜は16日、葬儀・告別式は17日に東京都内で行われる。

 北小路氏は京都大学に入学し、昭和35年の第1次安保闘争では、共産主義者同盟(ブント)に参加。全学連委員長代理を務め、東大生の樺美智子さんが死亡した国会突入デモでは学生側の最高責任者だった。

 38年に結成された中核派に加わり、政治局員として活動。40年7月には東京都議選に立候補したが、落選した。

僕の大学時代は関西で72年ぐらいから始まったから、もう全共闘運動はとっくに終焉しており、差別闘争とか、三里塚救援闘争とか、会館反対闘争とか、そういうたぐいのもので、それでも大学に五年間在籍したが、試験らしい試験は一度もなかった。
学内は、内ゲバが続き、中核派はもちろんそのひとつの勢力だった。
新聞会をやっていたので、その予算に目をつけられたのだろうが、執拗に狙われるはめにもなった。
概して革共同とは肌が合わないのだが、別にそれほど各派の主張を分析していたわけでもなんでもない。
その後も、元中核派や、隠れ中核派やシンパにたくさん会った。
だんだん、平均年齢が高くなって、カンパが苦しいんだよと弱音を吐く人たちも何人かいた。
もう少し上の全共闘世代は、同窓会的にそれぞれの出身大学と闘争の思い出話に花が咲くのだが、僕らはその頃のことをあんまり語りたくもないし、話題にしたくもないところがある。
知っている人間も殺されたし、「日和見主義者」と罵倒されたこともあるし、差別の糾弾の矢面に立ったこともあるし、内ゲバに疲れ果てたのか自殺したとあとで聞かされた知人も居た。
中核派にはもちろんお呼びがあっても加わらなかったが、元中核派の連中たちの表現物(『遠くまでいくんだ』)などは結構、手にとって居た記憶がある・・・合掌!



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3 コメント

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そうだったのですか (樹衣子)
2010-11-23 21:47:46
こんばんは。
kimon20002000さまのこの記事から触発されて映画『バーダー・マインホフ』の感想を書きました。
さしつかえなかったら、弊ブログにkimon20002000さまのリンクを貼っても宜しいでしょうか。

>知っている人間も殺されたし、「日和見主義者」と罵倒されたこともあるし、差別の糾弾の矢面に立ったこともあるし、内ゲバに疲れ果てたのか自殺したとあとで聞かされた知人も居た。

大学時代に一度も試験がなかったのですか。私の時代は、授業料値上げで一度だけ大学がロックアウトしてレポート試験になったことがありますが。この記事を読んで、ただただ驚くばかりです。今の大学生たちとは隔世の感がありますね。
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樹衣子 (kimion20002000)
2010-11-23 22:12:26
こんにちは。
僕の大学は公立大学なのですが、たぶん全国で一番最後まで、学費値上げをしていないんですね。
全共闘運動の終焉というよりは、連合赤軍事件ですね。
運動も内向的になり、疑心暗鬼が吹きすさんでいました。
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Unknown (名無野権兵衛)
2013-02-08 18:51:35
典型的な勉強馬鹿。
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