原子力エネルギー問題に関する情報

杜撰で不経済極まりない原子力政策が、生存権を脅かし環境を汚染し続けていても、原発推進派の議員を選挙で選びますか?

日本の「原発被曝者」知られざる実態(1)~Twitterからの情報

2011年02月12日 | 労働者被曝問題
このエントリは全3部のうちの第1部である。

諸島庵さんの以下のTweetをご一読いただきたい。


日本の企業は、原子力発電所の清掃のために生活困窮者を募っている。 
多くが癌で亡くなっている、とか?30年間続いているとか、原子炉内の掃除とか。

福島第一原発には、常に、もう失うものを何も持たない者達のための仕事がある。
松下さんが、東京公園で、住居としていた4つのダンボールの間で眠っていた時、
二人の男が彼に近づき、その仕事の話を持ちかけた。特別な能力は 何も必要なく、
前回の工場労働者の仕事の倍額が支払われ、続く、、

他10名のホームレスは、清掃人として登録された。「何の清掃人 だ?」誰かが尋ねた。
監督が、特別な服を配り、円筒状の巨大な鉄の部屋に彼らを連れて行った。
30度から50度の間で変化する内部の温度と、湿気のせい で、労働者達は、3分ごとに外へ。
放射線測定器は最大値をはるかに超え、、続く

俺達は原子炉の中にいるって」。
この福島原発訪問の3年後、東京の新宿公園のホームレスたちに対して、
黄ばんだ張り紙が、原子力発電所に行かないようにと警告を発している。
“仕事を受けるな。殺されるぞ”。彼らの多くにとっては、この警告は遅すぎる。・・続く

原子力発電所における最も危険な仕事のために、下請け労働者、ホームレス、非行少年、放浪者や貧困者を
募ることは、30年以上もの間、習慣的に行われてきた。そして、今日も続いている。続く、、、

慶応大学の物理学教授、藤田祐幸氏の調査によると、この間、700人から1000人の下請け労働者が亡くなり、
さらに何千人もが癌にかかっている。・・続く

原発奴隷は、日本で最も良く守られている秘密の一つである。
いくつか の国内最大企業と、おそるべきマフィア、やくざが拘わる慣行について知る人はほとんどいない。
やくざは、電力会社のために労働者を探し、選抜し、契約する ことを請負っている。
「やくざが原発親方となるケースが相当数あり、・・続く

原発奴隷の日当は約3万円が相場なのに、彼等がそのうちの2万円をピンハネしている。
労働者は危険作業とピンハネの二重の差別に泣いている」と写真家樋口健二氏は説明する。
彼は、30年間、日本の下請け労働者を調査し、写真で記録している。

樋口氏と藤田教授は、原発奴隷の下請け労働者が常に出入りする場所を何度も訪れて回り、
彼らに危険を警告し、彼らの問題を裁判所に持ち込むよう促している。
樋口氏はカメラによって―彼は当レポートの写真の撮影者

日本政府、エネルギーの多国籍企業、そして、人材募集網に挑んでいる。
彼らの意図は、70年代に静かに始まり、原発が、その操業のために、
生活困窮者との契約に完全に依存するに至るまで拡大した悪習にブレーキをかけ、、続く

技術職には自社の従業員を雇用しているが、従業員の90%以上が、社会で最も恵まれない層に属する、
一時雇用の、知識を持たない労働者である。下請け労働者は、最も危険な仕事のために別に分けられる。
原子炉の清掃から、漏出が起きた時の汚染の除去、つまり、技術者が決して近づかない、そこでの修理の仕事まで。

嶋橋伸之さんは、1994年に亡くなるまでの8年近くの間、そのような仕事に使われていた。
その若者は横須賀の生まれで、高校を卒業して静岡浜岡原発での仕事をもちかけられた。
「何年もの間、私には何も見えておらず、自分の息子がどこで働いているのか知りませんでした。

原発奴隷となった伸之さんを消耗させ、2年の間病床で衰弱させ、耐え難い痛みの中で命を終えさせた、
その血液と骨の癌の責任を、発電所に負わせるための労災認定の闘いに勝った、最初の家族である。
彼は29歳で亡くなった。

発覚後も、貧困者の募集が止むことはなかった。
誰の代行か分からない 男達が、頻繁に、東京、横浜などの都市を巡って、働き口を提供して回る。
そこに潜む危険を隠し、ホームレスたちを騙している。
発電所は、少なくとも、毎年 5000人の一時雇用労働者を必要としており・・続く

日本の街では生活困窮者は珍しかった。今日、彼らを見かけないことはほとんどない。
原発は余剰労働力を当てにしている。日本は、12年間経済不況の中にあり、
何千人もの給与所得者を路上に送り出し・・続く

原発で働くことを受け入れた労働者たちは、原発ジプシーとして知られるようになる。
その名は、原発から原発へと、病気になるまで、さらにひどい場合、見捨てられて死ぬまで、
仕事を求めて回る放浪生活を指している。

「原発奴隷となる貧困者の契約は、政府の黙認があるからこそ可能になります」。
人権に関する海外の賞の受賞者である樋口健二氏は嘆く。

最大値の放射線を浴びるまでホームレスを原発奴隷として雇用し、
その後、「彼らの健康のために」解雇し、ふたたび彼らを路上へ送り出す。
現実は、その同じ労働者が、数日後、もしくは数ヵ月後、偽名でふたたび契約されている。

約10年間、雇用者の多くが、許容値の何百倍もの放射線にさらされている説明がつくのである。
原発ジプシーの間で最も多い病気である骨の癌の克服に励んで5年を経た今、
長尾さんは、原発を運営する会社と日本政府を訴えることに決めた。

30年以上の間、樋口健二氏は、何十人もの原発の犠牲者の話を聞き、彼らの病を記録してきた。
彼らの多くが瀕死の状態で、死ぬ前に病床で衰弱していく様子を見てきた。

業者を通してホームレスと下請け契約をする。
労働者の生まれや健康状態などを追跡する義務を企業が負わず、行われている。
日本で起こっている事態の最大の矛盾は、原子力を誤って用いた結果について、
ほとんど何の抗議も受けずに、この悪習が生じているということである

70年代以来、30万人以上の一時雇用労働者が日本の原発に募られてきたことを考えると、
藤田教授と樋口氏は同じ質問をせざるをえない。
「何人の犠牲者がこの間亡くなっただろうか。どれだけの人が、抗議もできずに死に瀕しているだろうか。

裕福な日本社会が消費するエネルギーが、原発奴隷貧困者の犠牲に依存しているということが、
いつまで許されるのだろうか」。

日本の労働省の広報官は、ついに次のように言った。
「人々を放射線にさらす仕事があるが、電力供給を維持するには必要な仕事である」。

原子炉の掃除や、放射能漏れが起こった地域の汚染除去の仕事をすれば、
一日で、建築作業の日当の倍が支払われる。いずれにせよ、建築作業には、彼らの働き口はめったにない。

社会に復帰し、さらには家族のもとに帰ることを夢見る。
一旦原発に入るとすぐ、数日後には使い捨てられる運命にあることに気づくのである。

多くの犠牲者の証言によると、通常、危険地帯には放射線測定器を持って近づくが、
測定器は常に監督によって操作されている。時には、大量の放射線を浴びたことを知られ、
他の労働者に替えられることを怖れて、ホームレス自身がその状況を隠すことがあっても、、

「放射線量が高くても、働けなくなることを怖れて、誰も口を開かないよ」。斉藤さんはそう話す。
彼は、「原発でいろんな仕事」をしたことを認める、東京、上野公園のホームレスの一人である。

従業員が適切な指導をうけていれば防げたであろう。
「誰も気にしていないようです。彼らが選ばれたのは、もしある日仕事から戻らなくても、
彼らのことを尋ねる人など誰もいないからなのです。」

樋口氏は言う。一時雇用者が、原発の医療施設や近くの病院に病気を相談すれば、
医者は組織的に、患者が浴びた放射線量を隠し、“適性”の保証つきで患者を再び仕事に送り出す。
絶望したホームレスたちは、昼はある原発で、夜は別の原発で働くようになる。

村居国雄さんと梅田隆介さん、何度も契約した末重病にかかった二人の原発奴隷は、
雇用補助の会社を経営するヤクザのグループから、おそらく、殺すと脅されたために、
それぞれの訴訟を取り下げざるをえなかった。

大内久さんは、1999年、日本に警告を放った放射線漏れが起きた時、
東海村原発の燃料処理施設にいた3人の労働者の一人である。
その従業員は、許容値の1万7000倍の放射線を浴びた。
毎日輸血をし、皮膚移植を行ったが、83日後に病院で亡くなった。

労働省は、国内すべての施設について大規模な調査を行ったが、
原発の責任者はその24時間前に警告を受けており、多くの施設は不正を隠すことが可能であった。
そうであっても、国内17の原発のうち、検査を通ったのはたったの2つであった。

検出された。その中には、労働者の知識不足、従業員を放射線にさらすことについての管理体制の欠如、
法定最低限の医師による検査の不履行なども含まれた。
その時からも、ホームレスの募集は続いている。

松下さんと他10名のホームレスが連れて行かれた福島原発は、
路上の 労働者と契約する組織的方法について、何度も告発されている。
慶応大学の藤田祐幸教授は、1999年、原発の責任者が、原子炉の一つを覆っていたシュラウドを交換するために、
1000人を募集したことを確認している。

福島原発での経験から3年後、松下さんは、「さらに2、3の仕事」を受けた。
その代わり、彼に残っていた唯一のものを失った。健康である。2、3ヶ月前から 髪が抜け始めた。
それから吐き気、それから、退廃的な病気の兆候が現れ始めた。
「ゆっくりした死が待っているそうだ。」と彼は言う。
【転載ここまで】

日本のメディアは、有権者の知る権利のための情報を報道し民主主義を支えるという、本来の役割を果たしていない。
だから、知られざる被曝労働者の実態を少しでも知ってもらうために、
長年闘い続けてきた樋口氏や藤田教授の偉業を少しでも多くの人に伝えていかねばならない。
被曝労働者の救済につながる道は、多くの人に知らせて、原発のような職場をなくすことしかないと思う。
諸島庵さんのように、Twitterでも広めてくださる方が、もっともっと増えることを願う。

2 コメント

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感想 (浅沼)
2011-02-14 06:16:05
ホントに危険にさらされている人達の事が良く解ります。
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衝撃 (キノコ)
2011-03-12 11:31:01
昨日の地震で報道されているので原発について少し調べていました。
平井憲夫氏の「原発がどんなものか知ってほしい」も拝見しました。
この国が非常に危うい原子力発電を続けていることをはじめて知りました。ショックを受けました。
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