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気まぐれ翻訳帖

ネットでみつけた興味深い文章を翻訳、紹介します。内容はメディア、ジャーナリズム、政治、経済、ユーモアエッセイなど。

ニューヨーク・タイムズ紙の腐敗

2012年11月28日 | メディア、ジャーナリズム

原文が掲載されたのは3ヶ月ほど前なのですが、その価値はあると思うので、遅ればせながら訳出してアップします。

例によって、アメリカの著名ブロガー、Glenn Greenwald(グレン・グリーンウォルド)氏の大手メディア批判の文章のひとつです。

タイトルは
Correspondence and collusion between the New York Times and the CIA
(ニューヨーク・タイムズ紙とCIAの意思疎通となれあい)


原文はこちら↓
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2012/aug/29/correspondence-collusion-new-york-times-cia

(原文の掲載期日は8月29日でした。また、原文サイトにはめ込まれている画像は省略しました)


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Correspondence and collusion between the New York Times and the CIA
ニューヨーク・タイムズ紙とCIAの意思疎通となれあい

マーク・マツェッティ記者がCIAに送った電子メールによって、ジャーナリズムの腐敗があらわに
権力を監視するという大原則をジャーナリズムはなくしてしまった



Glenn Greenwald
グレン・グリーンウォルド

guardian.co.uk, Wednesday 29 August 2012
ガーディアン紙 2012年8月29日(水)



保守系の行政・司法監視団体『ジュディシャル・ウォッチ』が火曜日に公表した文書は、オバマ政権がビン・ラディン強襲をめぐる情報をいかに熱心にハリウッドの映画製作者たちに投げあたえたかをあきらかにした。オバマ政権の高官らの動機は、この「英雄的な」殺人について、政治的に好都合な映画の製作を大統領選挙前に成就させるためであった。ビン・ラディン強襲は機密事項であるから情報の公開は許されないと政権の法律家たちが連邦裁判所や報道機関にしつこく説いていたにもかかわらず、である。

『ジュディシャル・ウォッチ』が情報公開法に基づき入手した情報は以前にも数々公表されているので、今回の情報は特に目新しいというわけではない。この件もまた、オバマ政権がつねづねおこなってきたことである。つまり、情報秘匿の権能を利用し、法廷で説明責任をまぬがれる一方で、大統領を賛美すべく同じ企てに関する情報を随意に漏らすのだ。

しかし、今回の公表で注目に値するのは、ニューヨーク・タイムズ紙の国家安全保障・諜報担当の記者マーク・マツェッティとCIAの広報担当官マリー・ハーフとの間に交わされた電子メールがあきらかになったことだ。オバマ再選の可能性を高めるべくビン・ラディン強襲にまつわる情報を映画製作者に吹き込むにあたりCIAが役割をはたしたことを、ニューヨーク・タイムズ紙の著名コラムニスト、モーリン・ダウドが取り上げようとしていた。ハーフはあきらかにこれを聞きつけており、ダウドがコラムでこの問題をどうあつかうかに懸念を抱いていた。2011年8月5日(金曜の夜)にハーフはマツェッティに「その後何か?」と題するメールを送っている。あきらかにハーフとマツェッティはダウドが書こうとしているコラムについてすでに話題にしており、ハーフは新しい情報を知りたがっている。

ハーフが金曜の夜にこの電子メールを送ったわずか2分後にマツェッティは返信を書き、「公表される前に草稿を見てみる」と約束した。そして、心配するようなことはたぶんあるまいと請けあった。


「たぶんコラムの終わりの方でCIAの官僚主義についてごく軽くふれる程度。しかし、[脚本家のマーク・]ボールもペンタゴンの重要人物たちと接触があったことが書かれる由」


ハーフはふたたびこれに返信し、マツェッティに「随時情報を知らせる」よう求めた上で、「本当に感謝しています」とメールを締めくくった。

それからほとんど時をおかず、マツェッティはダウド女史の発表前のコラムの原文を送った(コラムが同紙のオンライン版に正式に載ったのは翌日の夜。紙版は2日後)。このメールの最初の方でマツェッティはこう書いている。「私からのこのメールはなかったことに……読んだ後は削除をお願いします」。次に、マツェッティは、自分の言葉が間違いではなかったことを誇らしげに語っている。


「どうです、心配すべきことは何もなかったでしょう」


このメールのやりとりは、それ自体すこぶる示唆的である。つまり、体制派ジャーナリストがはたす典型的な役割とその腐敗ぶりが浮き彫りになっている。CIAに関連する情報を担当するニューヨーク・タイムズ紙の記者が、まさしくその広報担当者と連携し、自分の所属する新聞の文章から生じる波紋にそなえて対応を練る、とは!(「心配すべきことは何もなかった」けれども)。これだけではない。きわめて示唆的であるのは、同紙のジャーナリスト-----建前的には、政府機関に透明性をもたらすことに貢献するはずの-----が、こともあろうに! CIAの広報担当官に対して、自分の行為を秘密にし、協力した証拠を消去するよう申し入れたことだ。

ニューヨーク・タイムズ紙と合衆国政府の関係は、例によって例のごとく、決して「敵対的な」ものではない。実際のところ、上述のメールのやりとりは、広告代理店の幹部とクライアントが来るべき危機にそなえて対策を話し合っている文面を読むかのようだ。

さらにずっと驚くべきことは、事態発覚に対する同紙の編集主幹ディーン・バケット氏の対応である。政治専門サイト『ポリティコ』のディラン・バイヤーズは次のように報道している。


「ニューヨーク・タイムズ紙の編集主幹ディーン・バケット氏は電話で事情を語ってくれたものの、詳細をあかそうとはしなかった。同氏は、諜報にかかわる事項であるためこの問題に関してはそうすることができないと述べた」

『私は事情を把握している。それに、もし人が事態のすべてを承知していたら、これがから騒ぎにすぎないと誰でもわかるだろう』とバケット氏は語る。『事情は詳細にすることはできない。が、マークと話してみて、これはまったくたいしたことではないと私は確信できた』。

同氏は続けて『事態の様相は見かけとは異なっている。私はマークと話し合った。事情はわかっている。わかったことから判断すれば、これはから騒ぎにすぎない』。


これらの言葉には、「から騒ぎ」どころではなく問題とすべきことがおおいにある。

まず、私がどうしても取り上げずにいられないのは、バケット氏の「事態の様相は見かけとは異なっている」というセリフである。これは、私がしばらくぶりに出会った、もっとも不得要領の発言のひとつだ。これこそ、擁護不可能な事態を擁護しようとして、窮地におちいった会社幹部が口にする、意味不明でおろかな会社言葉である。私はこのセリフをここ24時間で10回以上読み直している。そして、読み直すたびに、いよいよ暗いおかしみを覚えずにはいられない。

次に注目していただきたいのは、ニューヨーク・タイムズ紙がCIAをなぞるさまである。同紙の人間がいかにCIAそっくりのセリフをしゃべることか。バケット氏は「詳細をあかそうとはしなかった。同氏は、諜報にかかわる事項であるためこの問題に関してはそうすることができないと述べた」。一体どんな具合で、マツェッティ記者がCIAと協力したことが「諜報にかかわる事項」に該当し、編集責任者がその経緯を説明できないなどということになるのだろうか。

これはCIAが条件反射的におこなうことだ。すなわち、自分たちが深刻な不法行為をおかしているとされた場合でさえ、それが「諜報にかかわる事項」であるがゆえに、国民(また、法廷でさえも)はCIAの活動について知ることはできないと言い張るのである。そして、今こうして米国民は、自称『事実を報道する新聞』の編集責任者がこれと同じ「機密扱い」好きなセリフをそっくりそのままくり返すのを聞く。まるでニューヨーク・タイムズ紙がある種の諜報機関であり、国家安全保障の観点から内部の仕組みをあかすことができないとでも言うように。それもこれも、自分たちがおかし、現場をおさえられた不法行為について、いかなる類いの公開もさけるためである。われわれはしばしば気づくのだ、メディア界の人間が、自分たちの報道する政府の人間と自分をほとんどダブらせるあまり、彼らの考え方はもちろん、その言いまわしさえ採用するようになる、ということを。

注目すべき第3の点は、バケット氏が、一般人の知らない事実、今後もあかされないであろう事実を自分は知っていると誇らしげに語るさまである。


「私は事情を把握している」。「もし人が事態のすべてを承知していたら、これがから騒ぎにすぎないと誰でもわかるだろう」。


新聞の役割とは一般人に「事態のすべて」を伝えることではなかったのか-----一般人は知らないがこちらは事情を把握していると自慢げに語ることではなく。

これは「から騒ぎ」にすぎないとするバケット氏の主張は、しかし、少なくとも社内の一部の人間にとっては、納得のいくものではないようだ。彼らは、自社の国家安全保障担当記者がコラムの草稿をこっそりCIAの広報官にわたすのを喜んでいないらしい。バケット氏がマツェッティ記者のふるまいを全面的に擁護してからほどなくして、ニューヨーク・タイムズ紙自身の広報担当者が、事態の詳細-----バケット氏は公表できないと主張していたが-----をあきらかにし、マツェッティ記者のふるまいもまた不適切なものであったと宣言した。


「モーリン・ダウド女史は今年8月、自身の執筆したコラム中の事実関係の確認をマーク・マツェッティに依頼した。マツェッティは、作業を進め、締め切り直前にコラムの全文をCIAの広報担当者に送った。これにあたってダウド女史の同意は得ていなかった。かかるふるまいは誤りであり、ニューヨーク・タイムズ紙の行動規範に沿わない」。


自社の記者のひとりがCIAにこっそり草稿を送ること、そしてかくふるまったという記録を一切消去するよう頼むこと、これらは、「ニューヨーク・タイムズ紙の行動規範に沿わない」かもしれない。まったくそういう話であってほしいものだ。が、残念ながら、公人に関しての報道という段になると、同紙の一般的ふるまいはそうではない。
政治権力に対する「敵対的な監視役」というよりむしろ「従順な愛玩犬」、「忠実な伝言係」の役目をはたすことが常態なのだ。

この点をもっともはっきり示したのは、戦争をあおるさまざまな嘘を広めてイラク攻撃を正当化するのに同紙が一役買ったことだ。もちろん、当時そうしたのはニューヨーク・タイムズ紙のみにかぎらなかったけれども。つい先月も、同紙は、再選運動にかかわる職員に何を引用として公表してよいかをめぐる拒否権を常時あたえていたと暴露された。これは、この暴露の前もそれ以後も、他の報道機関は禁じていることである(ニューヨーク・タイムズ紙をのぞいて)。

さらに言語道断なことに、同紙は政府の意向を受けて、国民の利害にかかわる重要な情報をしばしば隠匿する。たとえば、2004年半ば、ブッシュ大統領の違法な盗聴計画について情報をつかんだときである。ホワイトハウスの指示を受けて、ブッシュが無事に再選をはたすまで1年以上にわたり口をつぐんだ。あるいはまた、レイモンド・デイビスがパキスタン当局に逮捕された際、この人物がCIAに雇われていたことを政府の指示にしたがって報道しなかった。オバマ大統領は同氏を「パキスタン大使館の職員」と偽りさえしたが、これが事実でないことにニューヨーク・タイムズ紙はふれず、そのとおり伝えただけであった。あるいはまた、ウィキリークスが膨大な文書を暴露したときも同様であった。同紙は-----前編集主幹ビル・ケラー氏が得々と語っているように-----、何を公表し何を伏せるべきかの判断を政府当局にあおいでいた。

これらの事例にくわえて、政府職員を匿名の影にかくれさせることが同紙の常習的ふるまいとなっている。かかる匿名報道が同紙自身の謳っている基本方針と相容れない場合でさえも、である。これによって、政府はプロパガンダを広めることがたやすくなる。そればかりか、政府のふるまいを批判的に報道したという理由で、ジャーナリストを「アルカイダの協力者」と非難、中傷することさえ容易になる。

ニューヨーク・タイムズ紙のこれらのふるまい一切に共通していることは誰の目にもあきらかだ。すなわち、同紙がわが国でもっとも強大な権力を有する人々といかに体制的に連携し、その利益のために働いているか、ということだ。敵対的な監視役としてふるまってはいない。マツェッティ記者がCIAの広報担当者と話をするとき、彼はまるで共同プロジェクトでともに働く親しい同僚と語り合っているかのごとくである。

そのように思えるのは、まさしくそれが実態だからだ。

もちろん、お望みなら、マツェッティ記者がCIAに協力した行為を、ジャーナリストが取材源に取り入るためのありふれた手段にすぎないと醒めた目で解釈することもできよう。それでも、この場合、マツェッティ記者が手を貸した相手はCIAの組織奥深くに籍を置く、得がたい情報漏洩者というわけではない。それどころか、リクツの上では、真のジャーナリストにとって、きわめつきの敵とも言うべき存在なのだ。相手の仕事は、ときに真実を犠牲にしてでも、できるかぎりCIAに好意的なイメージを国民に植えつけることだからである。

そして、より重要な異議申立ては、ある行為がありふれているからといって、その行為自体が腐敗したものでなくなるわけではない、ということだ。政府の権力濫用には総じて当てはまることだが、権力者は、国民が腐敗したふるまいをありふれたものと感じるようやすやすと誘導され、それをなんとも思わなくなることを当てにしている。いったん腐敗したふるまいが日常茶飯事と感ぜられるや、それは国民の心の中で嫌悪すべきものから受け入れ可能なものに変貌してしまう。あろうことか、権力者による悪しきふるまいに無関心を表明することこそ世俗的洗練のあかしである、と少なからぬ人々が信じている。このシニカルな態度-----おめでたいことを言うなよ、こんなことはいつものことだ-----こそ、かかる悪行をのうのうとはびこらせてしまうものだ。

たしかに今回のマツェッティ記者とCIAのメールのやりとりはいささかもショックではなかった。驚きではなかった。しかし、この点こそが問題のキモなのだ。報道界でいくつかの貴重な例外(ニューヨーク・タイムズ紙内部でも他の報道機関でも)はあるにしろ、これらのメールが示しているのは、わが合衆国政府と体制派メディアとの間の常態となっている、強力な協力関係-----実質的な融合-----である。当のメディアはみずからを政府の「監視役」と称しているけれども。

『印刷に値するすべてのニュースを提供する』という同紙のスローガンと「読んだ後は削除をお願いします」、「諜報にかかわる事項であるため、この問題に関しては詳細をあかすことができない」というセリフに注目していただきたい。ここに、ニューヨーク・タイムズ紙のかかげる看板、ブランドとその実態のギャップがあざやかに示されている。


* * * * *

追記: ニューヨーク・タイムズ紙の社内オンブズマンが本日、この件について意見をあきらかにした。マツェッティ記者のふるまいに対してはっきり不同意を表している。


「マツェッティ記者の動機がいかなるものであれ、取り扱いに注意を要する文章を、かかる状況下で正式掲載前に外部に提供することは、明らかにのりを越えた行為である。これは、取材源との接し方の物差しである通常の協力関係をはるかに踏み越えた行為であり、記者と取材対象との間の距離を置いた関係が消失したことを示唆する」


マツェッティ記者自身も自分のふるまいについて後悔の念を表明している。「完全な誤ちでした。こんなことは以前おこなったこともないし、今後おこなうことも決してありません」。しかし、一方で、マツェッティとジル・エイブラムソン編集主幹はいずれも、その行為にふらちな意図はなく、単に文章の事実確認をして朋輩(ダウド女史)を助けようとしただけであると言い張る。エイブラムソン氏も、バケット氏と同様、重要な事実について詳細をあかすことを拒む。「コラム全文が送られた理由に関して、これ以上詳細をあきらかにすることはできない」と。

これらの釈明は当然次のような疑問を呼び起こす-----マツェッティ記者がもしそのような素朴で率直な動機によって行動したのなら、どうして自分の送ったメールを削除するよう相手に申し入れたのか。上の釈明は、自分のおかしたことではなく、現場をおさえられたことを悔やむ際の、おなじみのセリフとしか思えない。

それと、もうひとつ。
『ポリティコ』のバイヤーズは、私の問い合わせに対して答えてくれた。
バケット氏は、まさしくバイヤーズが述べたとおりのセリフ-----「he could not go into detail on the issue because it was an intelligence matter(諜報にかかわる事項であるため、この問題に関しては詳細をあかすことができない)」-----を口にした、とのことだ。バケット氏の実際の言葉は it「has to with intel」である。


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[補足と余談など]

全体的に例によって訳が冗長です。
誤訳や不適切な表現等の指摘を歓迎します。
原文や訳文に関する疑問、質問などもコメント欄からどうぞ。


■米国の保守派からは「リベラルだ」、「偏向している」と激しく非難され、世界の知識人からは客観報道の鑑、一流のジャーナリズム機関と見なされているニューヨーク・タイムズ紙も、こんなていたらくです。

同紙のこういった側面については、事情通の間ではすでに常識のようです。以下のような著作が刊行されていました。

『「ニューヨークタイムズ」神話―アメリカをミスリードした“記録の新聞”の50年』
ハワード・フリール、リチャード・フォーク著(三交社)


■もちろん、ニューヨーク・タイムズ紙のすべての記事がこんな調子-----政府迎合、御用ジャーナリズム-----というわけではなく、グリーンウォルド氏も、すぐれた記事についてはブログでときに称賛しています。
また、組織の上層部と現場の人間(記者)との間で意見が激しく対立することも世の常です。ニューヨーク・タイムズ紙の内部でも意見の相違があることはここに書かれてあるとおり。マツェッティ記者を苦々しく思っている記者も当然いるでしょう。
しかし、いずれにせよ、現代アメリカの大手メディアに全幅の信頼を寄せることはできません。
(もっとも、記者クラブ制度などがある日本の大手メディアは、ハナからお話にならないという感じがしますが)


■グリーンウォルド氏のニューヨーク・タイムズ紙批判の文章は以前にも訳出しました。

気まぐれ翻訳帖・ジャーナリズムについて
http://cocologshu.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-7e56.html


また、米国の大手メディア一般の腐敗、劣化については、前々回の「米国のアフガニスタン駐留の真のねらい」の訳注部分でまとめています。ぜひ参照してください。
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戦争を独占する国アメリカ

2012年11月10日 | 国際政治

今回も前回と同様、アメリカの帝国主義的ふるまいという側面にふれた文章。

筆者は、アメリカにとって世界とは何を意味するかという問いに、こう答えます。

「米国政府の観点からすれば、世界はもっぱら兵器を供給し、兵力を派遣し、訓練をほどこし、作戦を練り、戦争を遂行するための舞台なのである」と。

また、こうも言います。
「ある意味で、アメリカは世界的規模で戦争を推進する巨大マシーンなのだ」。


例によって、オンライン・マガジンの Salon.com(サロン誌)から取りました。
筆者は Tom Engelhardt(トム・エンゲルハート)氏。

タイトルは
America’s war monopoly
(アメリカの戦争独占)

原文はこちら↓
http://www.salon.com/2012/09/13/americas_war_monopoly/

(なお、原文の掲載期日は9月13日です)


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America’s war monopoly
アメリカの戦争独占

アメリカは思いもかけぬ国々で軍事活動にたずさわっている。アメリカの一番の得意は戦争なのだ。

トム・エンゲルハート (トムディスパッチ・コム)
(この文章の初出はトムディスパッチ・コムである)



さあ、皆さん、クイズの時間です。
アメリカの戦争とのかかわり方についてお聞きします。
質問は3つ。最近のニュースから作成しました。
では、最初の問題です。はりきって参りましょう。


わが国の海兵隊員200名が2週間前に軍事活動を開始したのはどこでしょう?


a) アフガニスタン
b) パキスタン
c) イラン
d) ソマリア
e) イエメン
f) 中部アフリカ
g) マリ北部
h) フィリピン
i) グアテマラ


これらの選択肢の a) から h) まで、人がどれを選ぶにせよ、それはもっともなことだ。
米国の戦争は、アフガニスタンで-----同国の南部のどこかで-----続いている。これに、米海兵隊員200名がなんらかの作戦で関与したとしても不思議ではない。
パキスタンでは、公式に認めていないが、CIAが指揮する空爆が長い間おこなわれている。また、過去、特殊作戦部隊によるパキスタン侵入あるいは同国国外から有人機を飛ばしての空爆も実施された。しかし、海兵隊はかかわっていない。

イランといえば、その周辺地域における米国政府の戦争準備はめざましいものがある。ペルシャ湾に展開する海軍、イラン周辺国の基地の陸軍、同じくイラン周辺の空軍(ミサイル防衛もふくめ)など、それぞれが継続的に増強されているさまを見れば、どんな人間でも息をのまざるを得ない。イラン国境近くには特殊作戦部隊が張りついているし、CIAは頻繁に無人偵察機をイラン国内に飛ばしている。また、米国政府はイスラエルと組んで、同国の核開発プログラムとコンピューター・システムにサイバー攻撃をしかけた。イランの原油輸出とそれに関連しての銀行への厳しい制裁措置も発動した。過去には、少なくとも数度の越境作戦もおこなわれたもようだ。それは2007年にまでさかのぼるという。おまけに、最近のニューヨーク・タイムズ紙の1面には不吉な文章が載った。オバマ政権がイランとの対応をめぐりイスラエルをなだめようとする試みについての記事にはこうある。「オバマ政権が検討しているプランの中には……これまで考慮されたが結局採用されなかった隠密の活動がふくまれている」。
というわけで、200名の海兵隊の活動はイランに関するものなのかといえば、まだそうではない。しかし、自分を責めるにはおよばない。的はずれの回答というわけではない。

ソマリアに関しては、ワイアード誌の「デインジャー・ルーム」ブログによれば、米無人機による前代未聞の数の偵察・攻撃が実施されているもようだ。同国内のイスラム武装勢力アッシャバブとアルカイダの残党が対象である。これにくわえて、アメリカは同国の代理戦争に関して少なくとも部分的には資金拠出し、支援し、装備を充実させ、助言をおこない、その進展を助けている。恩恵をこうむっているのは2007年はエチオピア軍、最近ではウガンダ軍とブルンジ軍である(また、現在同国に侵攻しているケニア軍も)。また、首都のモガディシュは、CIAの工作員とおそらくは他の非正規兵や傭兵が強固な地歩を築いている。

イエメンもソマリアと同様。すなわち、代理戦争と無人機による空爆(有人機も使用)の取り合わせである。特殊作戦部隊の指導教官が派遣されていること、南部で一般市民の犠牲者(および米国に対する憤り)が増していることなども似たような事情である。しかし、これまたソマリアと同じく、海兵隊の参入はまだである。

中部アフリカはどうか。この回答も一理ある。実際、少なくとも100名のグリーン・ベレー(米陸軍特殊作戦部隊)が今年、この地域に派遣された。ウガンダを拠点とする、ジョゼフ・コニーの率いる 「神の抵抗軍」に対処する作戦の一環としてである。

北部マリはどうか。イスラム過激派(アルカイダと関係のあるグループもふくまれている)に乗っ取られたこの国は、たしかにアメリカが将来介入するであろう公算が高い。それに不思議なことがある。この国とはアメリカは民主的に選ばれた政権が打倒されてから軍事的な協力を公式には断っていた。ところが、この国で、特殊作戦部隊の3名がトヨタのランドローバーに乗車中、橋から転落して死亡している。車にはモロッコの娼婦3人も同乗していた。これらの隊員たちが同国で何をしていたかは不明である。
だが、戦争でズタズタになっているこれらアフリカの国々で、海兵隊員200名が活動ということになると-----今のところ、それはない。

では、フィリピンはといえば、海兵隊の出番はやはりまだである。もっとも、ミンダナオ島のイスラム過激派との「低レベル紛争」において、わが国の特殊作戦部隊と無人機がフィリピン政府を手助けしてはいるけれども。

というわけで、正しい回答は-----驚きかもしれないが----- i) である。もしこれを選んだ方がいるなら「おめでとう」と言わせていただく。

AP通信は8月29日にこう伝えた。「軍の広報担当者が水曜に述べたところによると、米海兵隊員200名から成るチームが今週、グアテマラの西海岸でパトロールを開始した。中米地域の麻薬密売者の打倒を目指す前例のない作戦とのこと」。これは大きなニュースになってもおかしくない。介入としてはけっこうな規模である。200名の海兵隊員が派遣されたこの国は、1978年以来米軍の介入はなかった。

この介入がより大規模、広範なものに発展するとっかかりでなかったとしたら驚きだろう。米麻薬取締局が派遣した特殊作戦部隊仕様の活動員たちがホンジュラスで同様の任務にたずさわり、火器をぶっ放し、地元民を殺傷していること、CIAがメキシコで無人機も使用しつつ、あきらかに麻薬戦争に介入の度合いを深めていることなどを思い起こしてほしい。

それに、これには伝統がある。20世紀の前半、海兵隊を送り込むこと-----ニカラグア、ハイチ、ドミニカ等々に-----は、米国政府がその「裏庭」におのれの力を知らしめる手段だった。
ところが、このグアテマラ介入に関しては、少数のそっけない報道記事が出たばかり。マスコミで深刻に議論されることはなく、批判や論難の嵐が巻き起こるわけでもなく、民主、共和両党の政治集会でも取り上げられることがない。このような介入が賢明かどうかについて、なんら論じられないのである。たぶん、皆さんはそもそもこんな事態が起こっていること自体、ご存知なかったのではないか。

別の見方をしてみよう。同時多発テロが発生してから以降、ユーラシア大陸本土で2つの無残な戦争を戦ったほかに、米国は間断なく海軍や空軍、無人機などの兵力はもちろん、海兵隊や特殊作戦部隊などを派遣し続けている。このようなふるまいは今ではあまりに日常的なものとなっている結果、米国国内ではとりたてて議論するに値しないと見なされている。このようにふるまっている(もしくは、その能力を有する)のは世界で米国だけであるにもかかわらず。かかるふるまいは、要するに、ワシントンの「国家安全保障複合体」がメシの種としてやっていることなのだ。

今はまるで歴史の円環が閉じようとしているかのようだ。米国政府が何年も前に「麻薬戦争」と呼称した事態が実際のものとなっており、海兵隊がふたたびラテン・アメリカに投入されようとしているのだから。
今回の海兵隊投入が浮き彫りにするのは、米国政府が地球上のどこであれ問題が起こったときにとる最近の対応のパターンである。政府の「外交政策」とは、多くの場合、米軍を召集することなのだ。軍事力は、米国にとって、やむを得ずとる最後の手段ではなく、まっさきにとる選択肢になりつつある。


さて、戦争に関連する最近のニュースから作成した、このささやかなクイズを続けよう。2番目の質問です。

2011年の世界の兵器市場のうち、アメリカが占める割合は何パーセントだったでしょうか?

(皆さんご承知のように、「世界は価格交渉に熱心な商人たちでごったがえす兵器のバザー」。冷戦と超大国の兵器競争はずっと前に幕をとじたものの、今でも自国兵器の売り込みに積極的な国はあきらかに多数存在する。結果的に紛争が深刻化しようが平気の平左)


a) 37%(121億ドル)
小差で2番手となったのはロシア(107億ドル)。それから、フランス、中国、英国と続く。

b) 52.7%(213億ドル)
2番手はロシアで、19.3%(128億ドル)。それから、フランス、英国、中国、ドイツ、イタリア。

c) 68%(378億ドル)
2番手はイタリアで、9%(37億ドル)。それから、ロシアの8%(35億ドル)。

d) 78%(663億ドル)
2番手はロシアで、5.6%(48億ドル)。



むろん、当然のことながら、皆さん、まっさきに d) は除外したでしょう。無理もない。なんといっても、市場の80パーセント近くを占めるというのは、結局のところ、世界の兵器市場が実質的に独占状態にあるということを意味するのだから。
言うまでもないが、兵器大国アメリカは、米国防総省がその売り込みにおおいに手を貸しているわけで、どうあってもひどく突出した存在であることは避けられない。しかし、a) の37%という数字でも決して馬鹿にできるものではない(少なくとも1990年当時は。この年は冷戦の末期にあたり、ソビエトが依然強力なライバルだった)。b) の52.7%はどうか。アメリカの他のどの業界がこんな輝かしい数字を計上できるだろう。世界中で売られている兵器の半分以上を占めるなんて(そして、実際、この驚異的な数字は、売上げ不振だった2010年が記録したもので、当時は世界的な景気後退の影響がなお尾をひき、各国の軍事予算が締めつけられていた状況の下で達成されたのだ)。よろしい。それでは、c) の68%という途方もない数字は? アメリカの兵器メーカーにとっては、これはあり得ないほど燦然たる業績である。 2008年という、その他の点では市場がはっきり低迷していた年に達成されたのだから。

しかしながら、2011年の正しい答えはまことに信じがたいものだ。すなわち、昨年、アメリカは兵器の販売実績を3倍にして新記録を打ちたて、世界の兵器貿易の約78パーセントを掌中にした。この事実は8月終わり頃に報道されたが、グアテマラへの海兵隊200名の派遣と同様、紙面のトップを飾ることも、テレビのニュース報道で大きく取り上げられることも決してなかった。けれども、もし兵器が麻薬だとしたら(ある意味では、まさにそうだと言えるし、人間が本当にそれなしではいられなくなるというのはあり得ることだ)、アメリカはほぼ世界でたったひとりの売人ということになる。紙面のトップを飾ってもおかしくないニュースではなかろうか。


さて、では、本日のクイズの最後の質問に移ろう。

2001年後半から少なくとも2006年までの間に、アメリカが長距離偵察任務のために無人偵察機グローバル・ホークを飛ばしたのは、どの国の基地からだったでしょうか?


a) セイシェル島

b) エチオピア

c) 中東のある国(国名は未公表)

d) オーストラリア


インド洋に浮かぶセイシェル島にアメリカは無人機の基地を置いているが、それが初めて使用されたのは2009年になってからである。また、アメリカはエチオピアの民間空港を機能充実させて無人機の基地へと昇格させたが、こちらも活動開始は2011年になってから。

「国名は未公表だが中東のある国」というのはたぶんサウジアラビアを念頭に置いているのだろう。CIAの使用する無人機用と推測される滑走路が同国であらたに建設中だから。現時点ですでに稼働しているかもしれない。

この質問でもまた、正解は予想外のものだ。最近オーストラリアのメディアが報じたところによると、米国はグローバル・ホークの初期の隠密の任務の一環として、エジンバラのオーストラリア空軍基地から同機を飛びたたせた。これがあきらかになったのは「アデレードの航空史研究家の人々」のおかげである。機体が巨大な無人機グローバル・ホークは長時間飛行し続けることが可能だ。当時の飛行が何を偵察するためであったのかは未公表である。北朝鮮というのがひとつの可能性であるが。2006年以降もこの任務が継続しているかどうかもあきらかにされていない。

前の2つのエピソードと違って、この話はアメリカのメディアではまったく報じられなかった。もっとも、たとえ報じられたとしても、おそらくは完全に見過ごされたことだろう。とどのつまり、米国政界や報道関係者、識者らのうちの誰が不思議に思うだろう、最近おおいに取り沙汰されたアジア方面の「偵察飛行」のずっと前に、わが国が最初期の偵察任務として太平洋をおおう広大な空に無人機を回遊させていたとしても。

一体誰がちょっとでも不思議に思うだろう、2001年以降、アメリカが異国の土地に無人機拠点の巧緻をきわめたネットワークを創り上げたことを。また、世界中に推定1000から1200の軍事基地を設けたことを(その中には、アメリカの小さな町に匹敵するほどの規模のものもある。また、異国の地はもちろん、アメリカ国内にも相当数の基地がある)。

グアテマラへの海兵隊の派遣、兵器貿易のほぼ独占状態の話題と同様に、この種の話もアメリカ国内ではたいして重要なニュースとは考えられていない。これが、その規模と範囲において、歴史上、例がないことはあきらかであるが。
そして、わが米国民は奇妙ともなんとも思わないのである、自国領土以外に少なからぬ数の基地を所有しているのは世界でアメリカを除いてほかにないということを。
たしかに、ロシアは以前ソビエト連邦を構成していた共和国の中にいくつか基地を所有している。また、最近のニュースで話題になったとおり、シリアには古い海軍基地をひとつだけ設けている。フランスはアフリカの元フランス領の国にやはり多少の基地を置いている。英国もその帝国主義時代の遺産として少数の基地をかかえている。たとえば、インド洋上のディエゴガルシア島など(ただし、この基地は実質上アメリカの基地と化している)。また、中国は、列強にならって、ささやかな基地をいくつか海外に設けようとしているようだ。
しかし、自国領土外のこれらの基地をすべて足しあわせたところで、アメリカの基地帝国のそれの2パーセントにも達しないだろう。


戦争に投資

さて、2~3週間おきにわが国の軍事関連ニュース-----報道はされても国内では注意を払われないが-----から、こんな風にささやかなクイズを作成するのは容易なことだ。そして、それぞれのクイズは本質的に同一の絵を指し示すことになる。すなわち、米国政府の観点からすれば、世界はもっぱら兵器を供給し、兵力を派遣し、訓練をほどこし、作戦を練り、戦争を遂行するための舞台なのである。戦争こそ、わがアメリカがおのれの時間と精力、資源をそそぎ込む-----規模の点からいっても驚異的な-----対象なのだ。たとえ、この国の誰もがほとんど注意を払わないにせよ。

ある意味で、現時点では、戦争こそが米国のもっとも得意とすることかもしれない(米軍が事実上戦争に勝っていないという歴然たる点は今は不問に付す)。
なんといっても、その結果はどうであれ、めざましいことであるには違いない-----1ヶ月の薬物阻止活動のために200名の海兵隊員をグアテマラに送り込むことは。太平洋を監視巡回するためにオーストラリアにグローバル・ホークを隠密に配備することは。「夜にとどろきをあげるもの」のマーケットを独占することは。

こう考えることもできる。アメリカはこの地球上で唯一の存在である-----麻薬戦争、宗教戦争、政治紛争、その他ほとんどいかなる種類の衝突においても、恒常的に、世界的規模で軍事力を行使する力をそなえた、という意味だけでなく、積極的に軍事力を使用するという意味において。他の勢力がたとえ束になっても張りあうことはできない。また、アメリカは大規模な兵器システムの売り手として-----したがって、戦争の誘引者として-----他の追随をゆるさない。ある意味で、アメリカは世界的規模で戦争を推進する巨大マシーンなのだ。

言い換えれば、アメリカは戦争を独占していると形容できる状態に近づいている。過去にはたしかに戦士社会と呼ばれるものがあって、その構成員はなによりも戦いのために結束していた。アメリカがユニークなのは、それが戦士社会ではないことだ。まったく反対なのである。

政府はテロとの永遠の戦いのために結束しているかもしれない。特殊作戦部隊は120もの国々で活動しているかもしれない。わが国はペルシャ湾で兵力を増強し、アジアでは「偵察飛行」をおこなっているかもしれない。「戦士」的企業や武器を貸与する傭兵会社は、次第に民営化されつつある21世紀の米国式の戦争で利潤をあげるべく、わが国が関与する各地の戦場に殺到している。
ところが、アメリカ国民の方は、自分たちの名でおこなわれている戦争や介入、軍事作戦、その他さまざまな軍事活動のために動員されることはない。それらから切り離されている。その結果、グアテマラへの200名の海兵隊員派遣、世界の兵器市場の約78パーセントの占有、無人機のオーストラリアからの偵察飛行-----これらにアメリカ国民は誰も気づかない。誰も気にかけない。

戦争-----これこそ、アメリカがもっとも精力を傾注すること、かつ、もっとも関心を払わないことなのだ。これはぞっとする組み合わせである。


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[訳注と補足など]

全体的に例によって訳が冗長です。
誤訳や不適切な表現等の指摘を歓迎します。
原文や訳文に関する疑問、質問などもコメント欄からどうぞ。


■ 訳文の中ほどの「国家安全保障複合体」という訳語の原文は National Security Complex。
これはもちろん Military-industrial complex(軍産複合体) を基にした表現。
この表現については前のブログで補足説明しました。
念のため、再度引用します。

military-industrial complex(「軍産複合体」または「産軍複合体」が日本語の訳語としてほぼ定着しています)という言葉は、アイゼンハワー大統領が退任演説で用いたことから有名になりました。

ウィキペディアから引用すると、

軍産複合体(ぐんさんふくごうたい、Military-industrial complex)は、軍需産業を中心とした私企業と軍隊(及び国防総省の様な軍官僚)と政府が形成する政治的・経済的・軍事的な勢力の連合体を呼ぶ概念である。 この概念は特に米国に言及する際に用いられ、1961年1月、アイゼンハワー大統領が退任演説において、軍産複合体の存在を指摘し、それが国家・社会に過剰な影響力を行使する可能性、議会・政府の政治的・経済的・軍事的な決定に影響を与える可能性を告発したことにより、一般的に認識されるようになった。米国での軍産複合体は、軍需産業と軍(国防総省)と政府(議会、行政)が形成する政治的・経済的・軍事的な連合体である。
(以下略)

ということです。

この場合の complex の「複合体」という訳し方は日本語としてちょっとわかりにくい。「協同事業体」の方が分かりやすさとしてはまだましです。「ある目的(または事業、プロジェクトなど)のために提携、協同してことにあたる、ひとまとまりの企業や組織群」を意味すると考えていいでしょう。

military-industrial complexとは、要するに、軍という国の組織・省(役人)と軍需産業(民間企業)が結託・癒着してお互いに利益をむさぼる体制のことです。ふつうは、暗黙に、これに政治家(議員など)も要素としてふくみます。
日本語らしい言い回しとしては「政・官・財の癒着構造」に近いかと思います。
役人は天下りやリベートなど、政治家(議員)は選挙資金の提供、票の取りまとめ、企業側は発注、発注額の拡大、自分に有利な法律の制定などのメリットを享受します。

この有名な military-industrial complex という表現をもとにして、いろいろな言い回しが作られました。


今回の文章中の National Security Complex も、military-industrial complex を念頭に、National Security(国家安全保障)を建前として(狭い意味では対テロ対策を名目に)、軍事関連予算をぶんどり、ふところを潤そうとする官僚・政治家・民間企業が癒着・結託しての利益追求体制を意味します。


■同じく、中ほどの「皆さんご承知のように、『世界は価格交渉に熱心な商人たちでごったがえす兵器のバザー』」について。

ここの原文は as everyone knows, the world is an arms bazaar filled with haggling merchants 。

英語には the world is a stage(世界は舞台)という慣用的言いまわしがあります。シェークスピアの劇でもおなじみの表現です。

だから、as everyone knows, the world is(皆さんご承知のように、世界は~) まで読んだときに読者は当然その次に a stage(舞台)と来るものと予想します。それをスカして、an arms bazaar(兵器売買の市場(いちば)・バザー)としたところにこの文章の妙味・面白みがあります。

「世界は舞台」という文学的な表現と「世界は武器売買の市場」という残酷な現実との落差がキモです。


■ 最後から5段落目の原文中の things that go boom in the night は、ニューヨークのかつての人気ロックバンド、ブッシュテトラスの曲のタイトルであるらしい。
一応「夜にとどろきをあげるもの」としましたが、これが適切な訳かどうかはわかりません。
エンゲルハート氏の原文では、主に大砲をイメージしている兵器一般の比喩として使われていることはあきらかですが。

コメント
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