何気ない風景とひとり言

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エリスマン邸 (横浜)

2023年12月19日 | 史跡探訪-日本編

【横浜・中区】エリスマン邸は「ベーリック・ホール」と小道を挟んだ元町公園内に建つ。 横浜の大きな生糸貿易商シーベルヘグナー商会の支配人だったスイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正十四年(1925)~同十五年(1926)にかけて建築された。
昭和五十七年(1982)にマンション建築のため解体され、平成二年(1990)に現在地に移築復元された。 当時のエリスマン邸は和室付きの木造二階建てで、スレート葺きの屋根、階上は下見板張り、階下は縦羽目板張りの白亜の洋館だった。

■山手本通りに面して立つ「元町公園」と表記された門柱の奥に、木々に囲まれて建つ二階建てのエリスマン邸が見える。 まずは建物の外観を拝観。 外壁は建築当時と同じ階上が下見板張り、階下は縦羽目板と僅かに緑がかった白壁。 一階と二階の四方に鎧戸付き上げ下げ窓が設けられ、濃い緑の鎧戸は二階がルーバーで一階は板張りだ。

△山手本通りに面して立つ門柱....「元町公園」と大きく表記され、まるで元町公園の門柱のようだ

△ベーリック・ホールと小道を挟んで建つエリスマン邸....南側正面の左二階にバルコニー、右の壁に応接室暖炉の煙突がある

△スレート葺きの屋根で、壁は階上が下見板張りで階下は縦羽目板張り....屋根にドーマー・ウィンドウ(屋根窓)が設けられている

△エリスマン邸の東面....二階の東面と正面(南面)にバルコニーがある

△エリスマン邸の東面と北面(右)....一階手前の大きな窓はサンルーム

△四方に緑の鎧戸付きの上げ下げ窓を配す....鎧戸は二階がルーバーで一階は板張り

△簡素で狭い玄関の入り口....左右の壁に2つの真鍮製面格子を設けた小窓

■左右の壁の上部に真鍮製面格子を設けた小窓がある簡素で狭い玄関から邸内に。 直ぐ右手に応接室があり、大谷石の暖炉などが備えられている。 応接室の北側に食堂兼居間とサンルームがある。 食堂兼居間には建物を設計したチェコ人建築家が設計した椅子とテーブルが配され、サンルームは東面と北面が大きなガラス戸になっていて燦燦と陽が差し込んでいる。
二階に上がると、3つの寝室と浴室そして2つのバルコニーがあるが、寝室は2つの展示室と準備室になっている。 二階には家具などが再現されていないので生活感は感じられない。

△玄関を入って直ぐ右手にある応接室

△応接室から見た右奥のサンルームと食堂兼居間

△応接間の大谷石の暖炉....マントルピースに貼られた大理石の合わせ目にスタッズ/応接間に置かれたピアノと家具(木製整理戸棚)

△食堂兼居間の東側にあるサンルーム....庭を眺められる

△食堂兼居間....右奥はサンルーム

△食堂兼居間....左奥はサンルームで右奥は応接室

△食堂兼居間....椅子やテーブルは建物を設計したチェコ人建築家アントニン・レーモンドの設計/この整理棚の上部に「楽譜入れ」の表記がある

△応接の入り口から見たロビー....左が玄関,奥の左は事務室(旧寝室)

△玄関前廊下の二階への階段           階段途中から見た玄関前廊下と奥に応接室

△二階廊下の東側(奥)に浴室、左側の部屋は寝室&主寝室(現在は展示室)

△展示室Ⅰ(寝室)

△展示室Ⅰからみた展示室Ⅱ(主寝室)....両展示室の間に建物の模型が置かれている

△山手地区の模型(だったと思う)

△展示室Ⅱ(主寝室)....東側にバルコニーがある

△展示室Ⅱの東側にあるバルコンー....手前にルーバーの扉

△二階の東端にある浴室....一般に洋館では浴室にバスタブと便器が設置されているが、便器の代わりにシャワーを....便器は寝室の脇に設置されていた















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