【神奈川・三浦郡】創建年は不詳だが、12世紀後期に源頼朝により創建された。 社伝(由緒書き)等によると、平治の乱で敗れ翌年の永暦元年(1160)に伊豆の蛭ヶ小島に流された源頼朝は、伊豆国一宮の三嶋大社の祭神三嶋明神を深く信仰し、源氏再興を祈願した。
三嶋明神の加護を受けて治承四年(1180)に旗挙げに成功し、天下を治めた頼朝は、信奉する三嶋明神の分霊を鎌倉に近いこの地に勧請して森戸明神としたとされる。
『我妻鏡』には、頼朝がこの地に別荘を建て、鎌倉幕府歴代将軍が訪れて、流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行ったこと、また、災厄が生じると加持祈祷が行われ、七瀬祓の霊所としても重要な地であったことが記されている。 祭神は大山祗命と積羽八重事代主命の二柱で、二柱を総称して森戸大明神と称す。
葉山海岸通りから社号標石と朱塗りの明神鳥居が立つ参道に入り、少し進むと白い狛犬が迎えてくれる。 3つのしめのこ付き注連縄が下がった神明鳥居をくぐって社殿へ....流石に多くのご神徳がある神社らしく、参道右手に多くの境内社や石造物が社殿近くまで整然と鎮座している。 その中で特に興味を引いたのは「猿田彦大神」文字庚申塔で、石祠に祀られた庚申塔を拝観するのは初めてだ。
また、水天宮には安産・子宝に霊験あらたかな「子宝の石」があり、傍の子寶石納所には赤ちゃんの名前と誕生日を記した卵型の玉石が奉納されていて、多くの信仰を受けていることを窺わせる。
参道に立つ「森戸神社」の社号標石と朱塗りの一の鳥居の明神鳥居/参道両側に鎮座する狛犬と社殿境内入口に立つ二の鳥居
造立後間もないとみられる阿形・吽形の獅子の狛犬
石燈籠を従え、3つのしめのこ付き注連縄が下がった石造り神明鳥居は二の鳥居
右から神明鳥居が立つ総霊社、畜霊社、猿田彦大神文字庚申塔
切妻造桟瓦葺の総霊社..英霊・祖霊・水子霊などを祀る
総霊社向拝の虹梁上の精緻で見事な龍と木鼻の獅子の彫刻
切妻造銅板葺の覆屋に鎮座する畜霊社..保食神を祀る切妻造りの石祠
覆屋に鎮座する畜霊社の石祠/三浦半島では珍しい流造の石祠に祀られた「猿田彦大神」の文字庚申塔..猿田彦大神を祀った庚申塔は葉山町唯一
畜霊社の前から眺めた境内..社殿は右手の少し奥に建つ
切妻造銅板葺の手水舎
子寶石納所の前から眺めた境内..正面の階の上に社殿が建つ
右から子寶石納所、水天宮、おせき稲荷社
切妻造銅板葺の子寶石納所..子宝石を受け、赤子を授かった後に戻す場所/赤子の名前が書かれた卵形の玉石群
切妻造銅板葺の覆屋に鎮座する水天宮
御祭神の天御中主大神を祀る石祠..左右の「子宝の石」を撫でると子宝に恵まれるらしい
切妻造で唐破風向拝..2本の向拝柱と軒下に垂木を設けている/水天宮の脇に佇む「子宝の福」と刻まれた句碑
切妻造銅板葺の覆屋に鎮座するおせき稲荷社..多くの神使狐に守られ、鮮やかな丹色塗りの明神鳥居/おせき稲荷社内の座布団に置かれた3段に積み重ねられた石
逗子市の二子山付近を源流とする森戸川に架かる朱塗りで擬宝珠高欄の「みそぎ橋」..鎌倉時代に七瀬祓の霊所と定められみそぎが行われた