何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

殿ヶ谷戸庭園-(1) (国分寺)

2023年12月25日 | 史跡探訪-日本編

【東京・国分寺市】三菱合資会社の社員で、後に南満州鉄道副総裁から貴族院議員になった江口定條が、大正二年(1913)~同四年(1915)に此の地に別荘を造営し、「随冝園」と名付けた。 昭和四年(1929)、三菱合資会社(三菱財閥)創業者の岩崎彦彌太が江口家から別荘を買い取り、同九年(1934)に和様折衷の木造洋風邸宅に建て替え、庭園建築として数奇屋風の茶室(紅葉亭)を新築した。 また、国分寺崖線と呼ばれる段丘崖と崖線下方の湧水とを巧みに生かし、回遊式林泉庭園を造営した。

■「殿ケ谷戸庭園(随冝園)」の標柱が立つ入口から園内に入ると緑の芝生が広がり、切石敷のような石畳の園路(馬車道)が芝生を分けるように左右二手に分かれている。 反時計回りで散策することにし、庭園の南側にある萩のトンネル、藤棚そして花木園へと進む。
11月の訪問だったので花のない萩や藤だが、藤棚の下のベンチで2人の老婦人が楽しそうに談笑していた。 花木園には紫の小さな花が少し咲いているだけで、休園中の状態だ。 ここからは国分寺崖線の傾斜地で、崖線の縁に沿って繁る竹林は都内では珍しい孟宗竹とのことだ。 竹林に沿って走る「竹の小径」を進み、段丘崖の上にひっそりと鎮座する「馬頭観世音」の石仏に。 石仏は国分寺村で亡くなった馬の供養塔で、市内に現存する11基の内の一つとのこと。

△「殿ケ谷戸庭園(随冝園)」の標柱が立つ庭園入口

△国分寺崖線の段丘崖の台地の平坦部(段丘面)....入口を入り馬車道を右に進むと、石畳の本館への園路(左)と藤棚への園路(右)に分かれる

△段丘崖上の芝生の台地の間に続く石畳の園路と左手先に建つ本館

△庭園の南側にある花木園と萩のトンネルそして藤棚に続く石畳の園路

△アーチ形パーゴラの「萩のトンネル」と奥に「藤棚」がある

△緩やかに左にカーブしている「萩のトンネル」....九月中旬頃に見頃を迎え、萩のトンネルがあらわれるようだ

△「藤棚」....藤の古木は岩崎家時代から植えられたもの

△藤の花は四月下旬頃に見ごろを迎える

△国分寺崖線の崖面傾斜地に広がる「花木園」

△崖面傾斜地の縁に群生する「竹林」....庭園パンフには「都内に現存する日本庭園には珍しい孟宗竹の竹林があります」と記されている

△竹林に沿って走る「竹の小径」

△段丘崖の上に鎮座する文政七年(1824)造立の馬頭観世音石仏....国分寺市内に現存する馬頭観音11基のうちの一つ

△櫛光背型石碑に格狭間風に掘り窪めた中に「百万遍成就 馬頭観世音」と彫られている/国分寺村で亡くなった馬の供養塔

■石仏が鎮座する段丘から木立の間から見える「次郎弁天池」に下りていく。 段丘崖の崖下の岩の隙間から地下水が僅かに湧き出ていて、配された石の間を静かに流れ「次郎弁天池」に注いでいる。 「次郎弁天池」はすり鉢の底のような所に造営されていて、池の真ん中に石組護岸で囲まれた小さな島がある。 池の周りは樹林が生い茂り、北側の段丘崖には石を巧みに積み上げて造営された滝があり、崖の上に紅葉亭が建つ。

△馬頭観世音石仏が鎮座する段丘の上から眺めた木立の中にある「次郎弁天池」

△国分寺崖線の段丘崖の崖下に地下水が湧水していて、「次郎弁天池」に流れ込んでいる

△湧水の水源地の岩に佇む石燈籠        崖下の水源地

△湧き出た地下水が「次郎弁天池」に流れ込んでいる

△右手から湧水が流れ込む次郎弁天池....真ん中に石組護岸で囲まれた小さな島がある

△周囲の鬱蒼とした樹木が繁る中に湧水を利用して造営された「次郎弁天池」

△樹林に溶け込んでいる「次郎弁天池」

△「次郎弁天池」の北側の崖の上の木立の中に建つ茶室の「紅葉亭」

△石を巧みに積み上げて造営された崖と滝    崖上に建つ芳梅亭

△北側崖面から眺めた「次郎弁天池」







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