今日は、月経血コントロールのお話と布ナプキン作りのワークショップでした。
雨の中、集まってくださった皆さま、本当にありがとうございました。
企画してくださったのは、大徳寺のちかくにある壺紗~cosha~さん。
子連れも安心してゆったりすごせるごはんふんわり柔らかい雰囲気のごはん屋さんです。
店主のさよ子さんが素敵なブログを書いてくださいました。
いろいろな質問をしてくださり、感想もいただいて、皆さんの驚きや感受性の高さに感激でした。
今日は、月経血コントロールのお話と布ナプキン作りのワークショップでした。
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店主のさよ子さんが素敵なブログを書いてくださいました。
いろいろな質問をしてくださり、感想もいただいて、皆さんの驚きや感受性の高さに感激でした。
フランケチエンヌの短編『私を産んだ私』。
これは、『月光浴』というハイチ短編集の中のひとつだ。
ハイチ文学、しかもこのタイトル。つい、読んでみたくなった。
昔、ハイチの女の子と一緒に生け花を習っていたことから、ハイチときくと親しみ深く、なんだか人ごとと思えない。
極貧国といわれる国の貧富の差は、日本にいたら想像できないものがある。
我が家にはハイチ人の友人がくれた絵がかけられているけれど、この素朴で明るい絵のモチーフは、
ピンクや白に塗られた簡素な小屋のような家と、川で洗濯する女たちだ。
そのハイチで、私を産んだ私とは?
物語は、首都の裏側にある田舎の貧しい小村からはじまる。13歳になる無邪気で美しい娘が、アメリカの60歳の大富豪に一目惚れされ、
養女となって、はじめて首都におもむく。
その母親は、シングルマザーで、30歳なのにすでに老女。
娘までが田舎の呪われた貧しさの中で苦しみを味あわないように、また養子縁組で百万長者の王女様にするために娘を首都に送ることを決断する。
深い不安と、胸を引き裂くようなためらい。
首都にある豪邸に連れて行かれると、少女は弄ばれ、
その夏、故郷に帰ったときには妊娠三ヶ月。
もはやその後、大富豪の家にもどることはなかった。
「私」は、その娘から産まれた。その「私」は、その後、「文学と芸術の創作活動を通じて自分を発明するという例外的な運」をあたえられる。
創作活動を通じて、自分の中に深い統一性という幻想をもつことができたという。
とても不思議な印象が残った。
無垢な少女にはあまりにも重たすぎる現実。せつなく悲しい短編だったにもかかわらず、
太陽の日差しがまぶしくて、運命にもてあそばれているような登場人物たちを一人として責めることができないような
おかしな感覚。カリブの自然が癒やしになりながら、ひりひりと母の想いが痛い。
この短編集には、言葉が足りない分だけ、心象だけが強く残った。
家にある絵から受ける印象によく似ていた。
「子は親の思うようには育たない。親の心の如く育つ。」
まずい!というのがこの箇所を読んだときの率直な感想だった。
心の中に何があるか。何を願っているか、それが問題。
何を願って暮らしている?
その内容のごとく子どもは育つ、と東城百合子さんは書いている。
いつもイライラしてたら、イライラした子に
いつも怒ってたら、同じような怒り方をする子に?
あ~、こわい。恐ろしいことにならないようにしなくっちゃ、まずは心当たりのあるところから直したい。
今からと、思い立って、
朝3時から(今日は特に超・早起き)、リビングに山積みになった洗濯物を畳んでアイロンかけて
ずっと片付けようと思ってかけてあった着物と帯をたたんだ。
早朝だし和室だから、ほうきでおそうじ。あ~、スッキリした。
スッキリしたから、今日は子どももスッキリした気分の子になるかな。
ちなみに、冒頭の引用は、東城百合子さんの『安心できる離乳からの健康育児』から。
的を得た、真実を語ってくれる人だ。
例えば、「不眠のときは玄米菜食を」、「冷え性・整腸・美容にすぐれた効果が」ある食事,
「かぜから縁を切る法」「心の育児」、子どもがごはんを食べないけれどどうしたらいいか、など。
「心の育児」を真剣に実行することが、体の強弱を決めるほど大切だといっているところもいい。
「汚れた酸性の血液では血のめぐりが悪くなり、頭の回転がにぶく、うまくゆかなくなるのは、どなたも体験を通して知っています。」
食べ過ぎると、「胃腸がドブのようになります」・・・
きのう、焼き肉大会をした身としては、身につまされる。たいへん、腑に落ちる本です。
立て続けに『免疫力が高い体をつくる「自然療法」シンプル生活』も読んだ。
月経血コントロールも自然療法の一環なんですね。
・・・なんてことを考えてたら、そろそろ子どもたちが起き出した。読書の朝もおしまいにしよう。