(つづき)
【仕事と育児】
産休は取った?
ギリシャでは、公務員なら、産前に2ヶ月と、産後に1年の有給休暇をとることができる。
一般企業には有給休暇のシステムはないそうだ。
レアは、フランス語の先生として学校で働いていたこともあったけれど、
産前産後の時期は、週に数回、一日2−3時間の個人レッスンを
していただけだったので、とくに産休はとらなかった。
「毎日ではなかったし、家で勉強や仕事をしていたので、
毎日でかける必要はなかった」からだ。
生後9ヶ月になったころ、もっと仕事をいれて外出時間を増やした。
それでも、その後の一年間、つまり2歳ころまでは、ゆったりと過ごしたという。
仕事にいくときは「いつでも子どもを連れていった。」
そんな過ごし方ができたのは、どうやら、家族や友だちとのつながりが強く、子どもをみてくれる人が何人もいたからというのが大きな理由のようである。
「授業中は、夫か母か義母にみてもらっていた。
郊外の自宅に母がきてくれることもあった。
授業以外のとき、赤ちゃんはいつも私のそばにいたのよ。」
それもできないときは、姉妹や友人たちに頼った。
大きくなってからも皆で子育て
赤ちゃんのときはこんな風だったけれども、
大きくなってからも共同体は機能していた。
たとえば、子どもの語学教育もこんな風である。
「3人友だちがいて、一人は英語の先生だったので、
その友人は、自分の子どもと一緒に他の子どもたちにも英語を教えてくれた。
もう一人の友だちはギリシャ語を教えていたので、ギリシャ語を、
私はフランス語ができたので、フランス語を、という風に協力して語学を教えたのよ。」
さらに、レアが論文の締め切り間近のとき、3人の友だち家族が協力してくれた。
「ある友人の家に自分のパソコンを持ち込んで、朝までそこで執筆。
一人は、レアと家族のために料理を作ってくれて、
もう一人は、あと何時間で書いてね、とタイムキーパー役、
もう一人はレアが何ページ書きすすんだか監督する、といった具合。」
彼らは長年の友人たちである。
「まるで家族が増えたかのような感じ。子どもにもいいわよ。」
親との関係は?
両親と一緒に住んでいるかと聞くと、「一緒に暮らしてるわ、同じ家には住んでないけれど・・・」との答え。
両親は、30km離れたところに住んでいるが、毎日会い、週末は共に過ごすという。
ギリシャは家族の絆が強いのだ。
だから、同じ家に住んではいなくても、一緒に暮らしているように感じるのだろう。
「いつも大勢と一緒に暮らしているような感じ。
(経済危機で)どうしようもなかったので、助け合って暮らす人が増えた。」
ギリシャの経済破綻は、困難が増えた一方で、
ポジティブな人間関係をもたらしたのである。
ギリシャは今、緊縮政策下にある。
市民は、失業したり給与が4~5割もカットされるなど、
ローンの支払いなどに困る人も多いという。
そんな現状にあって、レアが、助け合う暮らし方について、
誇らしく語っていたのが印象的だった。
「わたしは弱いときにこそ強い」(二コリント12:10)と聖書に書かれているが、ギリシャ正教の国では、今まさにそれが実現されているのだ。
立ち上がる力、
どん底にあると思っているときに感謝すべきものをみつけられる力、
行き詰まりの状態にあって最善の策を見いだそうとする力など、
「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(二コリント12:9)。
今、日本では孤独な育児をしている母親が多い。
フクシマ後の私たちの理想が、ギリシャで実現されているようにも思えた。
「日本でもぜひ、やってみて」と背中を押された。
この明るさは、ふりそそぐ太陽からくるのだろうか。
ギリシャの子どもの数は?
子どもの数は、平均2人。
でも、今は3人の子どもを持つ人が増えている。
なぜなら、3人以上の子どもがいると、仕事をみつけやすかったり、
公務員になりやすかったりするなど優遇措置があるからだ。