旧暦ですが、今から151年前の今日である慶応四(1868)年8月21日、会津戊辰戦争母成峠の戦いが行われました。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年8月21日 - 22:07
既に二本松を占領していた、伊地知正治と板垣退助率いる白河口新政府軍と平潟口軍の別働隊は、複数の侵攻ルートの中から、敢… twitter.com/i/web/status/8…
一方の同盟軍は大鳥圭介が指揮を執り、大鳥直属の伝習第二大隊、土方歳三の伝習第一大隊、斉藤一の新撰組、他に会津、二本松、仙台の各藩兵が守りに就きます。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年8月21日 - 22:12
山頂には会津・二本松・仙台の三藩兵が、かつて関ヶ原の際に上杉軍が構築した防塁を改… twitter.com/i/web/status/8…
そして大鳥、土方、斉藤率いる伝習隊と新撰組は、和尚山から母成峠に至る割岩付近に布陣します。やがて新政府軍の攻撃が始まると、予想通り新政府軍の別働隊が現れ大鳥軍と激突します。しかし前日の山入村の戦いで損害を出した大鳥軍は苦戦。また山… twitter.com/i/web/status/8…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年8月21日 - 22:17
ところで、これだけ知名度の高い大鳥、土方、斉藤が戦ったにも関わらず、具体的に布陣した場所がハッキリしません。大鳥が居たのですから、歩兵台場や塹壕を築き、遺構が残っていても良さそうですが。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年8月21日 - 22:25
大鳥の手記にも書かれた「勝岩」、この周辺に… twitter.com/i/web/status/8…
素朴な疑問なのですが、「本体」に対して、「支隊」と「別働隊」は具体的にどう違うのでしょうか? 白河戦線で板垣退助は本体から離れて棚倉を落とし、最終的には二本松城と二本松藩兵主力の分断に成功していますが、板垣支隊と板垣別働隊、どちらが妥当な呼称なのでしょう(・ω・)ノ?
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2017年8月21日 - 23:11