イザナギが、再び、黄泉の国から「ヨミガエリ」ます。その時、しみじみと思うのです。
“吾者到於伊那志許米。志許米岐穢国而在礽理”<アハ イナシコメ シコメキ キタナキクニニ イタリテ アリケリ>
「どうして私はあのような厭な、醜い、汚れている国へ行ったのでしょかね」くらいの意味で、黄泉の国までイザナミに合うために行った事を後悔の言葉です。
なお、“伊那”は、それまでのことを否定的に捉えて、とっさに出る何気ないため息的な言葉です。「ああ、どうしてだろうかな}位の意味が在るのです。
それを宣長は
「辞否<イナムイナ>などと同じ言似て、此は悪<ニク>厭<イト>ふ御言なり、“在礽理<アリケリ>は、其事を歎息<ナゲ>く意ある辞なり」
と説明しております。
さて、此の黄泉の国に行ったことをいたく悔くイザナギですが、これからどうすればいいのでしょうか???これが、また、次なるステップに進む日本国の歴史の誕生を生む大切な一つの要因になる出来事なのです。此のイザナギの悔いる事がなかったら日本の歴史はなっかったと言っても過言ではありません。それくらい、この時のイザナギの思いは重要な思いだったのです。何故だかお分かりですか????今年の第1号のクイズです。