小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

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赤塚不二夫さん死去

2008-08-02 23:39:43 | Weblog
バカボン・おそ松くん…「ギャグの神様」赤塚不二夫さん死去(読売新聞) - goo ニュース

「天才バカボン」「おそ松くん」など、戦後ギャグ漫画を代表するヒット作で「ギャグの神様」と呼ばれた人気漫画家の 赤塚不二夫 ( あかつかふじお ) (本名・藤雄)さんが2日午後4時55分、肺炎のため都内の病院で死去した。

 72歳だった。喪主は長女、りえ子さん。

 旧満州(中国東北部)生まれ。12歳の時に手塚治虫の「ロストワールド」に衝撃を受け、中学卒業後、新潟から上京。デビュー作は1956年、貸本少女漫画「嵐をこえて」。同年より、石ノ森章太郎、藤子不二雄氏らと共に東京・豊島区のアパート「トキワ荘」の住人となった。

 雑誌デビューは58年「まんが王」(秋田書店)連載の「ナマちゃん」。六つ子が主人公の「おそ松くん」は、62年から「週刊少年サンデー」(小学館)に連載され、登場人物イヤミの「シェー!」の奇声とポーズ、デカパンやダヨーンなど奇人変人のキャラクターが大人気となった。

 「これでいいのだ」が口癖のバカボンのパパが活躍する代表作「天才バカボン」は、67年、「週刊少年マガジン」(講談社)でスタート。また、同年から少年サンデーで始まった「もーれつア太郎」では、言葉をしゃべるネコ、ニャロメが人気を博した。その他のヒット作に「ひみつのアッコちゃん」「レッツラゴン」など。「バカボン」は三度テレビアニメ化されたほか、94年には自伝「これでいいのだ」がNHKドラマ化された。65年「おそ松くん」で小学館漫画賞。72年「天才バカボン」などで文芸春秋漫画賞。97年、日本漫画家協会文部大臣賞。98年、紫綬褒章。

 97年暮れに食道がんを公表し、手術で克服。2002年4月に脳内出血で倒れ、闘病生活を続けていたが、2日朝に容態が急変、危篤状態になった。最後はりえ子さんら親族に看取られて亡くなったという。


前々から体調がすぐれず、入退院を繰り返している…というような話は聞いたことがあるのだけれど、突然の話ですなあ。。。

個人的には、やはりさんざんテレビアニメで慣れ親しんだ「天才バカボン」かなあ…。
あれってこれまでに何回リメイクされているんだろう…?

そういえば、今でこそこうしたコミックの世界にはかなり疎いのだけれど、赤塚不二夫に代表される、いわゆる「ギャグマンガ」というテリトリーは、今の漫画界にはあるのだろうか? 「ギャグマンガ日和」なんかはアニメになっているのだけれど、あれだってCSで放映されているだけだし、子供向けというよりは、明らかに大人向けなような…。

「トキワ荘」の住人も、どんどん少なくなっていきますなあ…。

ご冥福をお祈り致します…。

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2 コメント

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原点! (陀羅尼助丸(行者祭り開催中))
2008-08-04 17:52:08
赤塚不二夫さんのプチファンとして…、少々~遅くなりましたが御冥福をお祈り申し上げます。
私の中では、ギャグマンガの原点と言えば⇒天才バカボン。
バカボンにパパ・ママ・ハジメちゃん‥ホンカンさんにレレのおじさん…。
ハチャメチャなキャラ設定。
ホンカンさんはそんなに拳銃を撃っちゃあ~駄目しょ!。
そして、ウナギイヌ!ウナギとイヌの融合体なんて…私が一生!逆立ちで生きてたとしても浮かばないキャラでしょう。
バカボンパパが夏バテした時、ウナギの蒲焼きを食べようと、ウナギイヌに襲いかかった話なんて‥大爆笑した覚えがありますなぁ~。
ウナギイヌなんて…見るからに!不味そうなのに…orz(笑)。
「これでいいのだ」…(爆)。
赤塚不二夫様…ゆっくりとお休み下さい(泣)。
ギャグマンガ (小馬太郎兵衛)
2008-08-05 02:10:39
ギャグマンガと言えば、赤塚不二夫なくしてギャグマンガ無し…ですね。
警官が自由気ままに市民を逮捕したり拳銃を撃つところは、その後の両さんにも繋がる流れですよね。

こうしたギャグマンガは、今やほとんど廃れてますねえ…。
マンガはもはや子供のものでは無いのかもしれませんね。

ご冥福をお祈り致します…。

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