KENSEI みえの会

会員間の連絡用ブログ

句会の楽しさ

2017-04-04 09:52:05 | 健生新春句会

健康生きがいづくり三重の会(健生みえの会)は2011年にはじまりました。

厚生省の肝いりでずいぶん前から、高齢者の「ピンピンコロリ」をすすめる

施策の一環として、会員養成をして、各県に立ち上がりました。

三重県でも、県内の会員が北から南から寄ってきました。

いま健生みえの会は、20人ほどでゆっくりと細々と活動をつづけています。

それぞれの地で通所施設をやったり、地域活動をしたり、一人ひとり

めいめい、その人らしく、その地で暮らしややれる活動をしています。

80歳から50歳まで、老老男女です。

元気な人も、病院の入退院を繰り返している人など病身の人も

います。

月1回の寄り合いと行楽や社会勉強、それに年何回かの句会です。

もう5年目になりますか。

句会にはいつも多くの会員が寄ってきます。

きっと楽しいからでしょう。

 

昨年12月初めから2月いっぱい、入院していました。

4月の句会は、久しぶりの参加です。

仲間に会うのは、おっぱずかしいという気持ちがありました。

妻とともに会場に入ったら、とても当たり前のように、「この席は

どうかな」といざなってくれました。ああ、受け入れてもらったと

思いました。

句会はいつも、白熱して2時間ぐらいの寄り合いになります。

一人ひとりは3句投稿します。投句者の名前は伏せておきます。

各人は全員の句から、5句選び、一番いいと思った句を「天」とつけます。

選んだ句にそれぞれ、どこが好かった発表します。

それが終わったら「この句はどなた?」と進行の伊藤敏子さんが投げ

かけます。

投句した人は、それが詠われた背景や気持ちなど、吐露することが

多いです。

他者の捉えたものと、本人が思ったことが、そこで響き合ったり、

「なあんだ、それは聴かなきゃよかった」とがっかりしたりします。

それが、楽しいのです。

ここんとこに、俳句を通して人と人の気持ちの交歓や、詠われた四季

のことどもの各人の捉えた言葉の間の交響楽が生まれてくるように

感じます。

とても豊かな気持ちになります。

こんな句会でいいのかどうか、分かりません。こんな具合です。


その日、こんな大勢の人と2時間もいっしょに過ごせるかなと

心配でしたが、最後まで、ともにいることができました。

 

わが句会、今回で19回です。

句の出来不出来をあまりテーマにしていないと思ってきました。

それでも、余川さんとか、人知れず俳句に磨きをかけてるなあと

見える人もいます。

いくら、遊びといっても、自分の深奥にあるものを五七五で

表現したいという欲求は、どうも誰にでもあるような気がします。

現れてくるもの、言葉がつたなくとも。

この句会では選から漏れた句もそれぞれの感想を出し合うと、

意外に光るものに出会ったりします。

この時間も楽しいです。

 

今回の句会、3点句以上を紹介して、会の空気をちょっぴり。

 

  冬隣り真人の語る酒さみし         敏正

  みちくさの言い訳考え春の宵        亜子

  梅散るを掃きて小さき命待つ        照子

  江戸の雛幸願いつつ時を越え        康子

  福は内頼みの手術終えて今         小浪

  うもれ韮友を想いて草を引く        大平

  菜の花や風の温みを招きよせ        余川

  かんざしを色とりどりに枝垂れ梅      康子

  ブランコの並ぶ揺れ幅恋の距離       亜子

  里に寄りあだ名呼び合う蕨狩        余川

  ただいまと大きな声で春を呼ぶ       大平

 

 

 

 

句会の感想から少し外れます。

翌日の午前、NHKEテレ「こんなはずじゃなかった  在宅医療

ベットからの問いかけ」を録画でみました。

健生みえの会の会員でもある、中井さんが紹介してくれました。

中井さんは、「理想の暮らしを語る会」の世話人の一人です。

老いとは、老い生き方、人としてどんな最期を迎えるか、など

テーマで探究し、地域の人たちと話し合いをしています。



早川光一さん。今93歳。戦後、京都で診療所をはじめて以来70年、

在宅医療の草分けとして「畳の上で大往生を」と実践してきました。

その早川さん、何年か前、骨髄性のガンが見つかり、自分が

在宅医療の患者になってしまいました。

医者である前に人間になったとも言えるのかな。

早川翁は語ります。

「畳の上には天国があると説いてきました。実際、自分がその身

になってみると、天国だけじゃない地獄もあるんだ」

早川翁は「死ぬのが怖い」と言いました。

「夜が怖い。病気になって、はじめて分かった」

「眠れないときは、人恋しくなる」

この気持ち、ひしひし響いてきました。

ぼくも、不整脈が絶え間なく起こり、止まらなくなるかもしれないと

不安のなか病院で眠れぬ夜、過ごしました。


「理想の暮らしを語る会」では、どんな死に方があるか、できるか

と語り合うときもありました。

いまから思うと、どこか他人ごとの感がありました。



早川翁は、今、在宅医療の体制も整いつつあると言いました。

ただ、自身見舞われていることから、「何か大切な何かを置き

去りにしているのではないか」とも自問していました。

ある時期から、医療を「総合人間学」というところから、

見直していきたいと描くようになったといいます。

自身の置かれた立場で、それはまだまだ、見えてこないと

いいます。


命が危なくなったとき、病院で治療を受けるか、在宅でやるかと

医師に問われ、答えが出ない早川さんがいました。


番組の最後に、早川さん語っていました。

「生きていくしんどさを噛みしめて、じっと見てくださる人たちと

もう一度,すばらしい人生だったと一緒に歩くしかない。・・・・

いっしょに泣こう、いっしょに語ろう、いっしょに悩もう。

医者は、最期の人を楽にしてやれることはできるが、治せないです

から」

自分という囲いから開放された世界が見えるように思いました。


句会の感想のつづきで、なんでこんな感想を書いたんだろう。

人と寄り合えて、語り合えるのは楽しい。生きていてよかった

とも思うことが多いです。

その楽しさが、ぼくのどこから発露してきてるのか、ふと振り返る

ことがあります。

 

楽しむときは、楽しむのがいいと思っています。

老い、死についても、悲しみも寂しさも、ありのままに、

楽しく語り合えたらいいなあと思いました。

句会もそんな機会なんかなあ。

今回はここまでで。

 


 






新春初定例・初句会 南伊勢町 春の海にて

2013-01-21 11:17:04 | 健生新春句会

 2013年1月19日

新春の海 南伊勢町にて初定例会・初句会

いよいよ健生 三重の会の幕開け。

昨年から 今日の日を随分と楽しみにしていた。

近頃 健生の仲間と2週間も会わないでいると 

早く会いたいと思うように なっている。

そして きょうは その日

昨日まで雪で 今朝の目覚めを緊張感でむかえたという

大安町に住む敏正さん 晴れてくれてよかった との一報。

鈴鹿カルチャステーションに集まって

3台の車にそれぞれ乗合い 出発。

 

途中 名物タイ焼き わらしべ に寄る。

目的は 持参したおにぎりや手弁当を食べさせてもらう場所を借りること

タイ焼きを食べるのはあくまで第二義的なのだ。

ご主人もちゃ~んと心得て下さっている 

安心して食べることができ ありがたいかぎりだ。

しかし それだけではない

創作してきた 句 をこの場を借りて

夫々が短冊に書き写す。

提案者は敏正さん 句の先生敏子さまのご主人である

彼は甘党で 

頭から尾っぽの先までふっくらした餡で満たされ

しかもパリッとした品格のある皮で香ばしいタイ焼きを

気に入ってくれたかどうか?

 

南伊勢町春の海に到着。 

新年を寿ぐ句会が いま始まろうとしている。

初めて参加する仲間もいるので

敏正さんが 説明 そして

進行の 康子さんで はじまった。

いつもは伊藤敏子さんが進めてくれているのだが

急に来れなくなった。

主人の敏正さんが 事情を説明してくれた。

一人3句 投稿もあって48句

A4版 84枚のコピーを南伊勢町在住の上野さんが

自宅まで持ち帰って仕上げてくれた

 

通算3回目となる句会

数を重ねるたびに 素直な句になっているという

 

作品をよんで 選者の感想が出される

選者は熱く語る 

複数の選者になるほど 反応し合い 純化されるようだ

熱心にきき それぞれがかみしめる

感嘆 爆笑 驚嘆 感じたままを

どこに向った感想でも 

そのままを受け入れてくれる環境がある

そして 最後に 作者はどなた・ ・ ・? と

この自由なる世界 まことに新天地なり

人と触れ合う 知的な交流だ 楽しい

初参加の郡山さん はまったようだ 

高崎さんも初参加 3句とも天が ついた  

栗谷さんは初回から投稿している

 <この会の創始者 伊藤敏子さん 

 誰よりも参加したかったろうに>

その色に 指から染まる 冬苺  (伊藤敏子作)

 

                 

 一湾の潮抱きて 初日の出   (宮地作)

 

ろてん風呂からの雄大な眺めは 絶景だ

太平洋が一望できる

潮景色にすっぽり包まれ 温泉に浸る 涵養のひととき

からだの内部から活力が湧いてくる。

 

顧問 余川さんのあいさつのあと

上野さんの乾杯の音頭で 宴会がはじまった。

 

心地よく アルコールが まわる。

膳をまえに じっくり会話もできる。

 

そのうちカラオケがはじまった

栗谷さんのあまりの美声?に

郡山さんつい花束の贈呈。

     

    

若き日に もどっていた 三田あきらの美しい十代

吉永小百合と橋幸夫の北風の中に?

    

舟木一夫の高校三年生 みんなで歌ったよ!

     

 

朝食まえに 温泉につかる この一風呂

小原 庄助さんの 朝風呂気分

太平洋を一望にして 最高の贅沢

 

このあとの朝ごはん

みんなと一緒に食べる

普段は軽くすませてしまうのだが

この日の朝は つい おかわり。

何故かは わからない

皆と一緒にいるのが うれしいからかな

旅館さざ波の前で 記念写真

 

上野さんから礫浦地区を案内してもらう

  

  

上野さん自身 三年ほど前に 

生まれ故郷に帰郷したのだという。

高齢者が5割以上を占め

町の行事も縮小の一途

なにか やれることはないか というより

南伊勢町に 健生三重の会の 別荘ができたようだ。

風光明美で 魚はうまい。 

たまには家族でお出かけしたりと

夫々が つながって いければ。

 

南伊勢町 泉地区に向かった

昨日高崎さんが 三重の会のメンバーは14名程と

連絡をしてくれていた。

到着すると 三人で 出迎えてくれていました。

いずみ楽農会 

さっそく 炭焼き窯 に案内していただいた

 

 

窯のなかで 炭 になっていく様子を

にこにこと話をされ 太い木や細い木も窯のなかでは

おなじように上から下に向かって炭化するのだそうだ。

いろんな質問にも 相好を崩さず 

とらわれないで たんたんと語ってくれた。

奥深さを感じる人である

 

 

地区の集会場で われわれを 受け入れてくれ

交流会をしていただいた。

楽農会の成り立ちや どういうわけで関わったのかを

田端 由美さんと右田 嘉次翁が話してくれた。

由美さんはコロンビアで 海外青年協力隊員として活動し

先進国日本に帰ったら 暗い と感じたという。

物は有り余るほどあり豊かなのだが 人が 暗い。

これは何故だろうと思ったという。 

 

ご主人のふるさと ここ泉に住みはじめて 

右田 嘉次さんや 東 定也さんと会うなかで

農をベースに今の いずみ楽農会 が生まれたという。 

 

右田 嘉次さんの言われた言葉が残っている。

「獣害の対策会議で田端 由美さんと会った

その木は切りなさい と由美さんが発言

違う観点からの発言に心が動いた」

そして いろんなことで話をしているうちに

この若い世代 由美さん達の 肥やし になりたいと。。。

炭で極めた人である あらゆることに通じる そんな人が

若い世代の肥やしになりたいと肝にめいじたという。

こういう観点があって はじめて 次代につながる。

社会づくりそのものだ!

人との出会い そこを大切に成していく その素晴らしさを感じました。

 

由美さんの進行で

三重健生のメンバーひとりひとりが

たっぷり時間をいただいて 自己紹介をした

 

 

楽農会共催での サンディ市 にも連れて行ってもらった

 

 

南伊勢町での出会い 貴重なものとなりました。

これからも 是非 交流していきたいとおもいます。

 

健生 三重の会 春の海の出初は 

大いに意義あるものに なりました。

        (2015.1.20 大平)