KENSEI みえの会

会員間の連絡用ブログ

三岐軽便鉄道

2016-04-25 10:31:13 | 興味深々アクションデーレポート

いなべ散策の感想、余川さんから届きました。

それは、いつも「最新のコメント」欄に書かれてあるんですが、もしかしたら

見落としている方もあるかもしれないので、ここにアップします。

 

 

有難う (余川)2016-04-25 08:27:21 

丁寧かつ心温まる記録に感謝します。拝読しながら、楽しかった一日を思い出しています。

 それにしても、ウオークで、サプライズに出会いますね。テレビのサプライズは、計画者がいますが、計画者のいない、全くの偶然なのは、素晴らしいことです。
木の花桜の神事、心が安らかになりました。祝詞に、熊本地震や、東日本地震のことが、含まれていた事には驚きました。

 計画、案内をして頂いた 伊藤さんご夫妻、運転担当の、辻屋さん、中井さん、ご参加の皆さん有難う。

 センスのない小生にとって、俳句を詠むことは、しんどいのですが、推敲を含めて、非常に楽しいことになっています。駄句を紹介します。
    春昼や三岐軽便カタンコトン
    空を行く軽便映す代田かな
    余生なほ目指すものあり余花に遇う
  代田は、春の季語ですが 最後の句の余花は夏です。 まあ、いいか?

 

 

 


新緑のいなべ散策

2016-04-24 18:32:02 | 興味深々アクションデーレポート

                 1 、遠足気分

桜が散って、新緑の季節に様変わりしている。

大気も温もってきている。身体中に血がめぐっていると感じる。

この日、4月23日、健生みえの会の老人たちが、いなべ市の

三岐鉄道沿線をピクニックして、阿下喜(あげき)温泉に行く。

 

夜、あまり眠れなかった。

当日は、阿下喜駅10時集合だった。みんな車で行くという。

ぼくは、電車で行くと伝えた。

平田町駅7:30~伊勢若松~桑名~西桑名~阿下喜駅9:30。

「あんた、もう起きたほうがよくない」7:00前、妻から声かかる。

もし、一人なら、「今日は止めとこかな」となるような気分だった。

妻が、平田町駅まで車で送ってくれた。

 

陽は射していたが、うす曇。薄ら寒くも感じる。

途中の駅で、若いカップルが電車を待っていた。

電車が止まると、女性が乗り込んだ。

電車のドアが閉まると、二人は互いに目配せして、手を軽く振った。

何か、二人の間に、ほのぼのとした恋心が微かに漂った。

一瞬、自分のなかにも、忘れていた感覚が蘇った感じがした。

さっき、駅まで送ってくれた妻に「ありがとう」って言ったとき、ふと

恥じらいのような、新鮮な気持ちがふくまれていたかも、と思った。

 

       2、三岐鉄道を行く 

 

西桑名から、三岐鉄道に乗る。

単線で、レールも小幅で、車両も狭い感じ。遊園地のお猿の電車?

おとぎの国に運んでくれる?

家の間近いを走ったり、途中庭先の端を行くときはスピードを落としたり。

カーブが多いし、線路が緩やかに上下し、視界が広がる麦畑のゆったり

と走ったりしていた。

駅名も一筋縄では読めない。

昔、朝鮮半島からの渡来人にちなんだ名前、「穴太(あのう)」「治田(はった)」

などの駅が連なる。

「いなべ」という名前が、そもそも朝鮮半島からの渡来人に由来すると言われる。

日本書紀には、新羅から来た水工技術集団として猪名部(伊那部)の名がみえ、

それがルーツとされる。摂津から伊勢を経由して来たとされる。

20歳のころ、韓国慶州の田舎に行ったとき、のどかな里山と田園風景が印象的

だったけど、この新緑の鉄道沿線は風景に自分が溶けていくような感じが

した。

 

      3、八幡神社・めがね橋・ねじれ橋

 

終点阿下喜駅に着くと、健生みえの面々は、車で到着していた。

まもなく、いなべの石ぐれ町に住み伊藤正敏。敏子夫妻が到着。

コースプランは、いろいろ臨機応変に考えているようで、ほかの

面々はおんぶに抱っこと決め込んでいた。

 

まず、一行は、車で駅から東にもどって、めがね橋近くの八幡神社

出かけた。

神社は三岐鉄道の踏み切りを越えた北側にある。

拝殿の左に大きな丸い鉄製の球体があった。ぼんやりしていた。

「大きいな、丸いなあ、何かな?」と横目で見ながら、拝殿東の広場に

移っていた。

敏正さんが、火の神様の案内してくれたり、石碑が「娘の書道の先生の

先生の書なんです」という案内に感心したりした。

戦没者の碑もあって、そこに刻まれてある年月日とどこで亡くなったか、

これにやたら反応していた。

「昭和19年10月20日 レイテ島」

これは、戦争末期、勝てないことが分かっていて、玉砕のためのレイテ戦が

始まった日だと思った。

どんな感情や理屈があるにせよ、そうして日本は敗戦した、ここのところ

今、もういちど向き合いたいと思った。

帰りがけ、「あの球体は、ブイかしらね」「いや、機雷でしょ」

「よくもそんなもの、神社に奉ることができたね」など、聞こえてきた。

あとで、調べてみると、その拝殿前には14インチの砲弾も奉られてあった。

 

「もうじき、めがね橋の上を電車が通るよ」と誰かから、声がかかった。

一行。とくに電車好きでもないだろうに、いつ来るか、いつ来るかと待って

いる。子どもの心境だなとおもった、

大気は日を浴びてうらうらと。

そのうち、「来たぞ、来たぞ」

東からくると思ってスマホカメラ用意していた。あわてて、西に。

そのあと、歩き始めていたら、今度は東から来るぞ、と声かかる。

それも、パチリ。

にわか鉄道カメラマン。

 

すこし歩くと、ねじれ橋。

土木学会の推奨の銅版があった。

たしかに、石がねじれて積んである。

「なんで、ここでねじれた橋をつくらなきゃいけなかったんだあ?」

「水路や周囲の水田をそのままで、レールを通すとしたら、こう

するしかなかったんじゃない?」

どんなんが正解か、それぞれそれほど関心があるわけじゃない。

案外、あっさりと通り過ぎた。

 

 

お昼ごはんは、いなべ公園で、いう流れだった。

「ありゃ、弁当をもってきてない」宮地。

「いいよ、余分に持ってきているから」と中井佳子さん。

ベンチに座って、中井さん、さあ弁当を、という勢いで黒いビニール袋

を持ち上げた。

「わあ、弁当じゃない。トウガラシの袋だった」

「何、出掛けに、これっていったじゃない」と佳子さん。

そのとき、何を言ったって、どういったて無いものは無い。

わがピクニック一行はあるものを分け合った。

余川さんは、あちこち歩く間、しきりとメモをしていた。

「俳句の材料、ありましたか?」

「いっぱいあるよ。今回は、三岐鉄道は軽便鉄道と言っていたらしい

ので、それを句に出来ないかとおもっているんだけど・・・」

(そうか、軽便鉄道と聞いて、あの車体がこの五月の空に浮かんでいったら、面白い

だろうな!ってなこと浮かんできた)

「余川さん、いい句作ってよ」

 

 

 

      4,木の花桜神事  

 

桜を見に行くらしい。

近くに今でも咲いている桜の巨木があるという。

敏子さんがナビゲーター。

ふつうのお宅の庭だというので、敏子さん、「トイレは済まして行きましょう」

というので、コンビニで休憩して、出かけた。

「ここ、ここ!」と敏子さん。

桜の巨木が見える脇道に車を入れた。

ちょっといくと、黄色いヤッケを着たおばさんが厳しい顔して、飛び出してきた。

「シッ・・・!いま、神事をやっているので、車をもっと奥に入れて、2台目ももっと

奥にいれて、・・・・・静かに・・・・・」あとは、よく分からない。

突然の来訪で叱られているのか、神事に立ちあってもいいと思っているのか・・

分からぬまま、車を降りて、神事をやっている、桜の木の下の庭の隅っこに

はべらせてもらった。


 

神主さんが祝詞を詠んでいた。

「熊本地震で被災された方」とか、「福島で放射能で被害を受けた人」とか、

そういう言葉が聞こえてきた。

この巨木は山桜の変種で、木の花桜と言われている。野生では、京都亀岡と

いなべのこのお宅だけという。市の天然記念物に指定されている。

いなべ市長もこの神事に列席されていた。

コノハナサクヤヒメの神話は知る人ぞ知るである。

ニニギノミコトが、桜の花のように美しいコノハナサクヤヒメに一目惚れを

したのである。

神話では、そのあといろいろな葛藤があるようだけど、今の時代の桜に

よせる心情は、誰もが安心して豊かに、満開する繁栄したいという願いを

託すものではないだろうか?

神主さんの祝詞は、そんな願いが込められている名文だと思った。

神主さんの進行で神事は粛々と、歯切れよく進んだ。

最後、「天津祝詞 みそぎの大祓い」を渡されて、参列者で唱和した。

「木の花耶姫の命 守り給え幸(さき)はえたまえ」

 

水谷さんのお宅の巨木。

語り部の方が、神事のあと、木の花桜がどういものか、その由来など

案内してくれた。

 

桜の木の下には、さまざまな種類の花が咲いていて、女の人たちには

興味深かったみたい。

大平照子さん。「これ、ミヤコワスレって言うのね。母が、私は花では

これが一番好き!っていってたの。それも、この濃い色の花がすきだって。

母の言葉で、これが出てくるの」

さらっと、世間話のように言っているけど、そのとき、照子さんは母の声を

近くで聞いているのではないかと思った。

おごそかな神事のあと、そんな時間が現れてきたといえないかなあ。

 

お神酒を振る舞ってくれたり、水谷さんの奥さん手製のトチの実の

せんべいを食べさせてくれた。

女性陣には「美味しい。サクサクよね」と大好評。

そうそう、子どものとき、節分とか、ただでもらえるものがあると、

すっごくうれしかったよね。

 

最後に、みんなで写真撮りたいね。

語り部のおじさんにお願いしてパチリ。

 

「それにしても」とひとしきり。

健生みえの会のアクションでは、たまたま桜を見にいったら、木の花桜

神事に巡り逢うような、思いがけないサプライズが毎回あるんだよね。

このアクションデイにずっと参加しつづけている辻屋哲男・康子さん夫妻

には、感慨ひとしおではないかな。

伊勢の斎宮行きのときも、たまたまその日、滅多に見られない屋根吹き、

なんと言ったけ、そういう日に出っくわしたもんね。

 

      5、阿木喜温泉

 

10:00にスタートした阿下喜(あげき)にもどり、温泉に浸かる。

何か今日は、うらうらとした4月下旬の新緑の里山の風景を堪能して、

満ち足りた、ちょっとうとうとしそうな感じ。

温泉は心地よい。

心地よさを通り越して、ほんとこのまま眠りに入ってしまってもいいかなあ。

「歩いたあと、温泉というのも、乙なもんだね」

誰かが言った言葉に反論はなかった。

 

そのあと、敏正夫妻と温泉で別れた。

辻屋さんが、「五百羅漢」に案内してくれた。

そのときは、正直、夢心地でした。

             (おしまい、宮地の個人的な感想)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


梅崎輝尚さん「農は楽し」講演会レポート

2015-12-17 17:11:06 | 興味深々アクションデーレポート

12月13日午後、健生みえの会主催の講演会が鈴鹿カルチャーステーション

でありました。

会場は参加で埋まりました。

60前後の方々が多かったですが、それこそ梅崎さんの楽しい語り口に

ついつい、ひきこまれていました。

こんどは、若いお父さん、お母さん方にも聞いてほしいなあとおもいました。

講演会の様子を、鈴鹿カルチャーステーションの岩田隆さんがレポートして

くれました。岩田さんは、日本画を描いていて、鈴鹿市絵画展の審査員も

しています。

 

http://www.scs-3.org/news/2015/news1213.html


農は楽しい つづき

2015-10-28 18:23:29 | 興味深々アクションデーレポート

梅崎さんを囲む会は、力の入らない語り口のエピソードを

たくさん聞くことができた。

”坂道”と”階段”というのは、栽培の研究で、今は土をいじりながら、

時間をかけて成長を観察して、実績を積んでいくという途よりも、

DNAの研究などで室内で発見して、レベルが上がっていく、階段を

上るような研究にみんなの関心が向いているということだった。

「坂道でいくと、論文に時間がかかってしまうんだけどね」

梅崎さんは、坂道派が性にあってそうだな。

 

たのしいエビソードをたくさん聞かせてもらって、楽しかった。

「それで、こんど、お父さん、お母さんに声かけて、お話する

、ときは、どんなんがいいかね」

「はたけ企画に来ていて、3回4回と来ていると飽きてくることが

あるのよね」

「作物のことをもっと知ったら、面白くなるかなあ」

「そうそう、この間、食べられないようなナスを枇杷の木の下に

放っていたの。そうしたら、子どもが何でナスを木の下の置いて

おくのと聞くから、木がそれを食べるんだよ、と言ってやったの。

そうしたら子どもたち、木がナスを食べるところ。見たーいって

言うのよね」

「大人はそんな感じでいけるかな」

「大人ったって、知らないことだらけ。大豆と枝豆が同じもの

というのも、大豆を育ててみて知った」

「中途半端に知っているといのもあるわよね。たとえば、

遺伝子組み換え食品と聞いたら、それは”悪いもの”とか」

「そうだね、テレビやメデイアから聞いて、なんとなく受け取って

いることが、実際、どうなってるなんて、ふだん考えないものね」

 

「ぼくが話すとしたら、農をずっと栽培から研究しているもの

として、いま農をめぐって、いろいろ起こっていることを、それに

触れながら暮らしている人たちがもっと身近になるような話題を

出しながら、話すことならできるかな」と梅崎さん。

「どんな講演会になるんだろう?講演会のテーマは?」

梅崎さん「ぼくが、どんなところから話すかというば、農は楽しい

ということになるかな」

「ああ、いいですね」

「そうなんですよね、そこからなんですね」

しばらく、テーマはどんな言葉がいいかと出し合った。

決まらなかったけど、何か講演会というか、お話会の

中身がみんなのなかで、描けたようだった。

 

遺伝子組み換えの作物というのでは、ランドアップという農薬の

光合成を阻害する性質を地中のバクテリアが無化してしまう

という発見からはじまった。

遺伝子組み換えは、それぞれの生物では発生からふつうに行われ

ていて、それが別の生物の間で行うというのが自然界ではないので、

どんなことが起こるか未知のところがある。

「なるほど」とは思うけど、人体への影響とか心配になる。

「アメリカや中国で、それをやって食べているので30年後に

どうなるか、ということになるかな」

遺伝子組み換え食品のテーマは、生物学とかとは別に、

社会、経済、政治などに大きなテーマがありそうだ。

ありそうだけど、どちらかといえば、そういうことも、身近なところ

から、観念的や感情的にならないで、検討できればいいのかな。

 

広く呼びかけてやる梅崎さんんを囲む会は,12月13日(日)に

開くことになりました。

会のテーマは、それまでに考えましょうね。

 

(ふー、なんとか終わりまでたどりつきました。抜けているところ

だれでも、補ってくれたらうれしいなあ。   宮地)

 

 

 


農は楽しい

2015-10-27 19:27:36 | 興味深々アクションデーレポート

秋晴れのお昼、10月24日土曜日。

中井宅に健生みえのメンバーが集まってきた。

お馴染みの梅崎尚輝さんもやって来られた。

この日は健生みえの会、第3土曜日のアクションデイ。

今日は、梅崎さんを囲む会。

お弁当を食べながらというのが、ちいっとは”アクションデイ”

らしいかな。

 

大平さんや余川さんから、この日の会がもたれる経過の紹介があった。

まちのはたけ公園では、4年ほど前から、毎月地域の親子の人たちに

声をかけて、”はたけへ行こう はたけで食べよう”という企画を

やってきた。

最近、参加する親子が40人、50人と増えてきた。

ついに、参加者が多すぎて、お断りするケースまででてきた。

はたけで大豆をまいて、枝豆で食べたり、味噌をつくったり。

ジャガイモやサツマイモを植えて、出来たら親子で”よいこらしょ”

と掘り起こす。「さあ、焼き芋しようぜ」

土に触れながら、作物を観察したり、親と子どもがいっしょに

作業しながら、農ある暮らしがちょっとづつ、地域のなかに

芽生えつつあるかな。

 

大豆の栽培がキッカケで、梅崎さんとの縁ができた。

その後、このはたけ公園の企画を三重大学生物資源学部

教授といった肩書きというより、はたけの作物が好きで好きで、

播いた大豆がどうなったか、ときどき見に来てもらったりしてきた。

「最近、はたけ公園にきているお父さん、お母さんが企画に参加

するだけでなく、いろいろな面で、子育ちことやや子育ち環境のこと

考えているように感じる」と健生みえの会の月例会で話題になった。

「お父さん、お母さんとその梅崎さんが出会う機会をつくって

いけないかなあ」となっていった。

「じゃあ、10月のアクションデイは、梅崎さんを囲んで、そのような

趣旨を知ってもらって、どんなことがやれるか、いっしょにかんがえ

たい」

大平さんの話したことから、はなれちゃったかもしれないが、そんな

感じかな。

 

お弁当を食べ終わって、満ち足りていた。

梅崎さん、志摩のきんこ芋の話から。

以前から、作物を通して、地域起こしに協力している。

作付けから干し芋にしていく。実際にやってみると、地区ごと

につくり方が違う。そういう事情にかかわっていくのが、面白い

みたい。

 

当代、学問論。

最近は、研究は助成金をとってでなけりゃできないみたいに

なっている。

今回、ノーベル賞をとられた大村さんは、研究は自腹をきって

してきている。

ぼくらも、研究者の道の入ったときは、昼は研究、夜は

アルバイトだった。友人と話すと、「あそこの高速道路はオレが

つくった」なんてやつがいた。

今はインターネットが普及して、何でもさっと分かってしまう。

以前は図書館でしらべるほかない。調べていると、他におもしろい

資料が出てきて、そっちのほうに道草したり。あとで思うと、寄り道も

研究には必要だった。

 

農の研究の方法では、坂道と階段という、二つがあるんですね.

 

(あれれ、ここまで書いてきて、息切れしてしまい、中断したんだけど

”下書き”にしていなくて、発表されてしまいました。

つづけようかな、どうしようかな、迷っていますが、これはこれで

いったん、終了にしますね。宮地)