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東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

品川からの道~池上道その二:旧伊藤邸付近、滝王子稲荷

2015-02-14 19:30:18 | 品川区
さて、仙台坂上から少し下り坂で大井町駅前方向へ向かう。行く手には東海道線の線路があり、立体交差で越えて行くようになっている。大井町駅周辺も、今は大きく様変わりしており、高層化が進行している。


東海道線と京浜東北線の複々線の四本の線路が延びる。


その少し先が大井三ツ叉の交差点。品川からの池上道と洗足池まで続く道が分かれるところ。ここは以前に触れたように、日本光学が大正7年に工場を造った町である。それ故に、今も光学通りの名前が通りに付けられている。


しばらく池上通りを進むと、木造の良い雰囲気の店舗があった。ガス大問屋と看板に書かれている。手入れの行き届いたコンディションで、新しい看板が掲げられいて、取り合わせが面白い。そして、店構えごと看板にしている雰囲気も、商売屋らしくて活気がある。


背後には高層マンションが聳えるが、元気いっぱいな感じが良いなと思う。


そして、左手にもリフォームされた仕舞た屋。その間が、後ろのマンションの玄関口になっているが、実はここが伊藤博文邸の玄関があったところ。


その先から路地を覗いたところ。明治天皇から私財がないと言われた伊藤博文に下賜された屋敷であったという。邸宅は、伊藤の故郷萩へと移築されている。


そして、伊藤の死後、この辺りでは町名や学校名に伊藤の名を付けて、その業績を偲んでいる。池上通りから多い警察署入り口の交差点を曲がってしばらく行き、さらに右へ曲がると学校がある。品川区立伊藤中学校、今は小中一貫校の伊藤学園というようだが、そこには伊藤邸の門が移されて現存している。


かつては池上通りに面したところにあったのだろう。


池上通りから伊藤学園に向かう道筋は、滝王子通りという名が付いている。それはこの道から少し外れたところに、滝王子稲荷神社がある事による


「・昔、この付近に滝氏という一族が住んでいて、稲荷社とあわせて王子権現(現北区)を祀っていたところから、滝王子稲荷の名がおこったという。
・境内の湧水池はかつては野菜など農産物の洗い場として利用されていた。」(しながわ観光サイトより)
北区王子の王子神社の元になっているというのは、どうなんだろう?面白いけど、どうなんだろうか。熊野信仰が共通しているということならありそうに思えるけど。


境内には池がある。野菜の洗い場として使われていた頃には、辺りはどんな風景だったのだろうか。


品川区では小さな祠であっても、丁寧に細工を施されたものが多い。城北エリアではもっとあっさりしたものが多いと思うので、この辺りも品川の宿場町を中心にした繁栄が大きかったことを示すのだろうか。それとも、網目のように品川用水が張り巡らされていたことが、農業の盛んであったことを示していて、それがこういった痕跡を残しているのだろうか。


素朴な扁額が掛けられている。


社殿脇には冨士塚もある。


社殿横のイチョウも立派な大木。美しい樹形をしている。


そして、境内にはタブノキもある。
「滝王子稲荷神社のタブノキ 品川区指定天然記念物 所在:多い五丁目十二番八号 滝王子稲荷神社 指定:昭和五十三年二月十四日(天然記念物第十九号)
 本樹は幹周り三メートル、樹高は十五メートルにおよび、推定樹齢は二百五十~三百年の常緑広葉樹である。
 タブノキは別名をイヌグスまたはタマグスともいい、クス科に属する高木で、熱帯から暖帯にかけて自生し、我が国では沖縄・九州・四国に多い。
 東京でもかつては海岸沿いの随所に見られたが、災害や都市化のためその数も少なくなった。大井地区内にはまだこの木の大木が残り、貴重な存在となっている。
 平成十五年三月三十一日 品川区教育委員会」


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