さて、1982年2月2日の谷中、根津、池ノ端を歩くの続き。今回のエリアは、前回の根津の「はん亭」裏の通りを南に進んだところから。道なりに進んで奥へ路地を入り、池ノ端三丁目へと抜ける。
このカットは、「はん亭」裏の通りを少し南側へ行ったところ。左側は直ぐに不忍通りである。今はマンションが建っていて、面影もない。池ノ端二丁目8。
その向かい側、この頃は名古屋の名物として有名な坂角のえび煎餅の東京支店?があった。このカットを撮っている直前にトラックから、商品の段ボールが山の様に下ろされたところ。調べてみると、坂角の東京支店は昭和41年に開設とのことだが、ここがそうなのだろうか?現在は千代田区の平河町に移転している。木造二階家で、かなり古そうな建物に見える。根津二丁目6。
6X6版で撮影したカット。奥の並びにも木造家屋が並んでいた。根津二丁目6。
その奥の並び。木造二階家の長屋が並んでいた。「ネームかけはぎ東京商事」という看板にも味がある。蒲団が干してあったりというのも、生活感が溢れている。根津二丁目6。
道なりに進んで行くとあった家。「はり、灸、あんま、マッサージ、吉野寮院」と看板が出ている。根津二丁目6。
その先のところにも、吉野寮院の看板が出ている。並びには、「美容室ナガト」。側面には、上野パーク劇場「キャノンボール」のポスターが貼られている。この映画は81年末に封切られたお正月ロードショーの作品。根津二丁目4。
その裏の長屋。総二階の長屋で瓦葺きながら、屋根は波打っていてかなり傷んできていた。裏店という雰囲気が漂っている。それでも、この写真をよく見るとまだ使われていた様だ。今は更地になっている。奥のモルタルの家が変わっていないので、場所が特定できた。根津二丁目4。
そのまま路地を抜けて行くと、池ノ端三丁目に出てくる。関庭酒店は今も盛業中。ただ、この建物はお住まいに使われているようで、今は店舗ではなくなっている。池ノ端三丁目5。
このカットは、「はん亭」裏の通りを少し南側へ行ったところ。左側は直ぐに不忍通りである。今はマンションが建っていて、面影もない。池ノ端二丁目8。
その向かい側、この頃は名古屋の名物として有名な坂角のえび煎餅の東京支店?があった。このカットを撮っている直前にトラックから、商品の段ボールが山の様に下ろされたところ。調べてみると、坂角の東京支店は昭和41年に開設とのことだが、ここがそうなのだろうか?現在は千代田区の平河町に移転している。木造二階家で、かなり古そうな建物に見える。根津二丁目6。
6X6版で撮影したカット。奥の並びにも木造家屋が並んでいた。根津二丁目6。
その奥の並び。木造二階家の長屋が並んでいた。「ネームかけはぎ東京商事」という看板にも味がある。蒲団が干してあったりというのも、生活感が溢れている。根津二丁目6。
道なりに進んで行くとあった家。「はり、灸、あんま、マッサージ、吉野寮院」と看板が出ている。根津二丁目6。
その先のところにも、吉野寮院の看板が出ている。並びには、「美容室ナガト」。側面には、上野パーク劇場「キャノンボール」のポスターが貼られている。この映画は81年末に封切られたお正月ロードショーの作品。根津二丁目4。
その裏の長屋。総二階の長屋で瓦葺きながら、屋根は波打っていてかなり傷んできていた。裏店という雰囲気が漂っている。それでも、この写真をよく見るとまだ使われていた様だ。今は更地になっている。奥のモルタルの家が変わっていないので、場所が特定できた。根津二丁目4。
そのまま路地を抜けて行くと、池ノ端三丁目に出てくる。関庭酒店は今も盛業中。ただ、この建物はお住まいに使われているようで、今は店舗ではなくなっている。池ノ端三丁目5。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます