古いネガを整理していると、忘れていた板橋で撮影した写真が出てくることがある。それをスキャンして貯めていたのだが、少しまとまったのでこれまでの追加分として掲載してみようと思う。撮影時期は様々で1977年から1980年に掛けてのもの。
まず、板橋駅北側の踏切から駅構内を見渡したカット。1977年1月に撮影したもの。今はマンションが建っている住友セメント工場の在りし日の姿。貨車で到着した原料をクレーン車で荷下ろししてセメントに加工する工場があった。線路の右手奥には、滝野川のガスタンクも見えている。
雨の板橋駅に滑り込んでくる赤羽行きの電車。黄色に塗り替えられているが、永らく赤羽線の主役だった101系ではなく、山手線を走っていた103系が赤羽線にも投入された。1978年4月の撮影。
これは赤羽駅付近で撮影したものだが、赤羽線を走った貨物列車。上のカットの住友セメント工場への原材料を運送してきた列車。大宮~板橋間を走っていた。1978年8月の撮影。
そして、ここからはカラー。国道17号から東武東上線下板橋駅へと続く道。板橋一丁目付近。そして、現在の姿。1980年5月の撮影、以下同じ。右手の金子金物店は、今も変わらない。左側の巣鴨信用金庫はビルが建て変わっているし、その向こうの並びも同様。国道17号には首都高速道路が通っている。さらにその向こう側もガソリンスタンドに、自動車修理工場だったものが、マンションに変わっている。
旧中山道との交差点、板橋一丁目交差点。板橋駅前通商店街を板橋駅方向に望んでいる。左側のあぶきんは閉店しているが建物はそのまま、右側の金子金物店は撮影した日は閉まっているが、現在も営業している。商店街のアーケードは数年前に老朽化して取り壊されるまではあった。この通りの建物が、全般に低い建物ばかりだった。この頃はまだ空が広かったと思う。
国道17号に出て来たところ。スーパーライフのある板橋スカイプラザを望む。首都高で印象が一変してしまった国道17号。このアングルで見える範囲でも、高層建築が当時はまだ少なかった。
国道17号を渡って、板橋区立第四小学校前の道。文具店の建て替え前の姿が懐かしい。第四小学校は、耐震補強工事ですっかりリニューアルされて綺麗になっているが、あまり雰囲気は変わっていない。奥に見えるのは都立北園高校の旧校舎で、1989年に新校舎が落成している。
こうしてみると、バブル期前の板橋にはまだまだ高層建築が少なかったのがよく分かる。気が付くと、板橋駅近くの一丁目にはかなりの数のマンションが建っている。また、商店のビル化も進行しているのも分かる。じわじわと少しずつであっても、変化は確実に起きている。
まず、板橋駅北側の踏切から駅構内を見渡したカット。1977年1月に撮影したもの。今はマンションが建っている住友セメント工場の在りし日の姿。貨車で到着した原料をクレーン車で荷下ろししてセメントに加工する工場があった。線路の右手奥には、滝野川のガスタンクも見えている。
雨の板橋駅に滑り込んでくる赤羽行きの電車。黄色に塗り替えられているが、永らく赤羽線の主役だった101系ではなく、山手線を走っていた103系が赤羽線にも投入された。1978年4月の撮影。
これは赤羽駅付近で撮影したものだが、赤羽線を走った貨物列車。上のカットの住友セメント工場への原材料を運送してきた列車。大宮~板橋間を走っていた。1978年8月の撮影。
そして、ここからはカラー。国道17号から東武東上線下板橋駅へと続く道。板橋一丁目付近。そして、現在の姿。1980年5月の撮影、以下同じ。右手の金子金物店は、今も変わらない。左側の巣鴨信用金庫はビルが建て変わっているし、その向こうの並びも同様。国道17号には首都高速道路が通っている。さらにその向こう側もガソリンスタンドに、自動車修理工場だったものが、マンションに変わっている。
旧中山道との交差点、板橋一丁目交差点。板橋駅前通商店街を板橋駅方向に望んでいる。左側のあぶきんは閉店しているが建物はそのまま、右側の金子金物店は撮影した日は閉まっているが、現在も営業している。商店街のアーケードは数年前に老朽化して取り壊されるまではあった。この通りの建物が、全般に低い建物ばかりだった。この頃はまだ空が広かったと思う。
国道17号に出て来たところ。スーパーライフのある板橋スカイプラザを望む。首都高で印象が一変してしまった国道17号。このアングルで見える範囲でも、高層建築が当時はまだ少なかった。
国道17号を渡って、板橋区立第四小学校前の道。文具店の建て替え前の姿が懐かしい。第四小学校は、耐震補強工事ですっかりリニューアルされて綺麗になっているが、あまり雰囲気は変わっていない。奥に見えるのは都立北園高校の旧校舎で、1989年に新校舎が落成している。
こうしてみると、バブル期前の板橋にはまだまだ高層建築が少なかったのがよく分かる。気が付くと、板橋駅近くの一丁目にはかなりの数のマンションが建っている。また、商店のビル化も進行しているのも分かる。じわじわと少しずつであっても、変化は確実に起きている。
いやぁ、懐かしい。1977年から1980年に掛けてとのことなので、滝野川から引っ越してすぐの頃です。こんな風景を見ていたのかと思うと感慨もひとしおです。
また、ちょうどこの前後に、板橋区一丁目内の、とある学習塾に通っておりこのあたりをよく歩きました。
私は線路を挟んで北区滝野川ですが、どこかですれ違っていたかもしれませんね!
しかしお詳しい。住友セメント工場への列車が大宮~板橋間を走っていたなど存じませんでした。貴重な情報たいへんありがとうございます。
御覧頂いて、どうもありがとうございます。
やはり板橋は地元だけに、特に気を入れて撮ったわけではなくても、余ったフィルムの端っこだったりに写しているものがありました。まだ、もう少し出て来そうなので、整理できたらまた掲載したいと思います。
私も日常を過ごしていた町ですから、すれ違ったことがあるかも知れませんね。
高校が北園でよく1990年頃巣鴨信用金庫の前を自転車で激走してたので見ていて懐かしくなりました。
(毎年高校には遊びに行くのですが、気づかないうちに変わってますね)
板橋駅のセメント工場もたまの電車通学の際に何の気なしに眺める風景としてなんとなく印象に残ってます。
確か94年頃には取り壊しを始めてたように思います。
入学当初はまだ写真の内容に近かったように思います。
(僕が北園に行った時は新校舎2年目くらいでした)
なんだか、よく分からない感情がジワジワ湧き出てますがコレがノスタルジーなのかも知れませんね。
澄み切った空の板橋。
良い写真をありがとうございました!
御覧頂いて、どうもありがとうございます。
北園に通っておられたということは、何度か道ですれ違っているかもしれませんね。
最近の変化として寂しい話としては、下板橋への通りにあった小さなレストランのシュベスターが閉店してしまったこと。じわじわと変化は続いていくものだなと思います。
これからも楽しませて頂きます。
御覧頂いて、どうもありがとうございます。
改めて見ていて気が付いたのは、下板橋駅に続く道は桜が見事なんですが、この頃にはまだ桜が植えられていなかったんですね。
石神井川にしても、今や有名になった目黒川にしても、30年くらいで今の状態になっていますから、あそこもそんなものだったんでしょうね。