東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

谷中、根津、池ノ端1982~その二

2013-10-08 16:39:02 | 1980年代初期の写真
さて、引き続いて1982年2月2日の世界へ。今回のエリアは下記のようなところ。言問通りの裏手に当たる辺り。


前回掲載した天眼時の裏手の路地を出て来たところから、今回のスタートになる。木造二階家が並んでいた。今は奥の家は取り壊されて空き地になっている。池ノ端四丁目23。



その隣の家。現存している。外壁はサイディングが貼られていて、改装されている。東日本震災で被害があったようで、一部屋根にブルーシートが掛けられていた。池ノ端四丁目23。



同じ家をアングルを変えて。木造家屋は手入れの具合が見れば直ぐに分かる。この当時は、大工さんが近所にいて面倒をみてくれていたのだろうと思う。池ノ端四丁目23。


その向かい側にあった料亭行徳。木造二階だが、かなり大きな建物だった。今は取り壊されて駐車場になっている。池ノ端四丁目24。



こちらは行徳の全貌が分かるカット。結構大きな料亭だったことが分かる。池ノ端四丁目24。



そこから進んで、藍染川跡の台東区と文京区の区界の道へ出てくる。何を売っていたのか、既に仕舞た屋になっているようにも見える。谷中一丁目2。



酒屋、萬屋三浦と看板にある。木造モルタルの二階家の商店。通りの反対側は文京区。根津二丁目14。



その並びの少し奥にあったブリキヤ國嶋。根津二丁目14。



この当時の茨城県職員東京宿泊所。旧田嶋朝次諸邸。丹那トンネルの工事を請け負った田嶋氏の私邸として、明治43年にレンガの蔵が造られ、翌明治44年に本館が建てられ、大正5年に玄関棟が建てられたという。保存運動も行われたのだが、取り壊されてしまい、今は特養ホームになっている。根津二丁目14。



レンガ蔵だけが残り、曳き家して場所移動をして店舗として営業されている。根津二丁目14。


この当時の全景。角が入口だった。今見ても、本当に勿体ないことをしたと思う。根津二丁目14。


その向かい側にあった福島屋蒲団店。看板には旧町名の上から現町名が書かれているのが分かる。今は仕舞た屋になっているが、建物は現存している。池ノ端四丁目24。


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