一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

クイーンズタウン

2018年01月31日 | 社会
クイーンズタウンはニュージーランドの町で、印象的な南アルプス山脈を背景に南部のワカティプ湖のほとりに位置しています。アドベンチャー スポーツで知られるとともに、この地方のワイナリーや歴史的な鉱山の町を探索する際の拠点でもあります。カワラウ峡谷の吊り橋ではバンジー ジャンプ、ショットオーバー川やダート川ではジェットボートが体験できます。冬はリマーカブルやコロネット ピークの斜面でスキーができます。

クライストチャーチ

2018年01月30日 | 社会
クライストチャーチはニュージーランド南島の東海岸にある、英国の遺産で有名な都市です。市内中心部を通って蛇行するエイボン川には、平底のパント船が滑るように航行しています。川のほとりにはサイクリング コースがあり、ハグレー公園やクライストチャーチ植物園などの緑が広がっています。2010 年と 2011 年に起きた地震では、歴史的な石造建造物の多くが被害に遭いました。

テポカ湖

2018年01月29日 | 社会
国際ダークスカイ・リザーブから星空ホフォクのゴールドステイタスを与えられています。現在は、テカポ湖周辺の空が新たな世界遺産として検討されており、正式に決定すれば世界初の星空世界遺産となります。

オークランド

2018年01月28日 | 社会
オークランドはニュージーランド最大の都市で、交通の要所となっています。人口はおよそ150万人にのぼり、特にポリネシア系人口では世界最大の都市です。美しいビーチやハイキングコース、沖に浮かぶ魅力あふれる島々、それらにほんの30分でアクセスできる都市を想像してみてください。さらに、暖かく陽気な気候、美味しいグルメ料理とワイン、そしてショッピングも楽しめる、ポリネシアを中心とする国際色豊かな街。このように多様性に富んだ賑やかな都会でありながら、身近に自然と親しめるのがオークランドの特徴です。

市街地はもちろん、周辺地域も含めて、オークランドには多彩な見どころとアクティビティがいっぱいです。しかも、長距離を移動せずとも次から次へと異なるアドベンチャーが楽しめるのも利点です。

花咲くころ

2018年01月27日 | 社会
ソビエト連邦からの独立を果たした翌年、1992年のジョージア(グルジア)の首都トリビシを舞台に、2人の少女の成長と友情をみずみずしく描き、2013年・第14回東京フィルメックスの最優秀作品賞など、各国の映画祭で評価されたドラマ。91年に独立を果たしたものの、内戦によって人々の心に大きな傷跡を残したジョージア。境遇は異なるが幼なじみの14歳の少女エカとナティアは、不足する生活物資を補う配給の長い列に並びながら、おしゃべりするのがささやかな楽しみだった。そんなある時、ナティアに思いを寄せている不良少年のコテがナティアを強引にさらい、結婚を強要。結婚したナティアは学校にも行かせてもらえず単調な日々を送るが、ある日、ナティアに思いを寄せていたもうひとりの少年ラドの身に悲劇が起こり……。エカ役のリカ・バブルアニとナティア役のマリアム・ボケリアは、ともに演技未経験だったが、本作でそろってサラエボ国際映画祭の主演女優賞を受賞した。

苦い銭

2018年01月26日 | 社会
JR渋谷駅より徒歩8分。東口駅前の宮益坂上がりきり、ガソリンスタンドの五差路を直進、一つ目の信号を右に入る。
※宮益坂、青山通りの左側の歩道を歩くと歩道橋を使わずに済みます。

「三姉妹 雲南の子」「収容病棟」などで世界的に高い評価を受けるワン・ビン監督が、縫製工場で働く女性労働者たちの姿から現在の中国の側面を描き出すドキュメンタリー。第73回ベネチア映画祭オリゾンティ部門脚本賞、ヒューマンライツ賞受賞作。15歳の少女シャオミンは、生まれ育った雲南省から長距離列車に乗り込み、遠く離れた東海岸の浙江省湖州にやってくる。この街は住民の80パーセントを出稼ぎ労働者が占め、シャオミンが働くこととなる縫製工場にも、彼女と同じようにさまざまな土地から出稼ぎに来た女性たちが働いている。経済急成長を遂げ、経済大国となった中、1元の金に一喜一憂する人びとが数多く存在する中国のもう1つの現実。シャオミンの湖州への旅からスタートしたワン・ビンのカメラは数人の女性たちの表情を軽やかに記録していく。2016年・第17回東京フィルメックスの特別招待作品。

ピョンチャン五輪

2018年01月25日 | 社会
第23回オリンピック冬季競技大会(だい23かいオリンピックとうききょうぎたいかい、仏: XXIIIes Jeux olympiques d'hiver、英: XXIII Olympic Winter Games、韓: 제23회 동계 올림픽)は、2018年2月9日から2月25日までの17日間、大韓民国江原道平昌郡を中心とする地域を会場として開催される予定のオリンピック冬季競技大会。一般的に平昌オリンピック(ピョンチャンオリンピック)と呼称され、平昌五輪と略される。

保守の真髄

2018年01月24日 | 社会
保守は右翼とは大いに違う。
世界の思想史を紐解きつつ、混迷を深める
世界の政治情勢と向き合うために
日本が抱える諸問題への老師からの鋭い提言の書。

【本書での老師・西部の主張は以下の13項目である】
1・日本の核武装―是非もなく
2・天皇譲位―俗世は口幅を狭くせよ
3・立憲主義―悪報は法に非ず
4・領土―施政権と不可分と知れ
5・国連―屁の突っ張りにもならず
6・日米同盟―「51番目のアメリカ州」にしてもらえるはずがない
7・反左翼は言うに及ばず左翼も右翼も――人が馬鹿になる早道
8・テロリズム―それと戦争の区別などは不可能
9・資本主義―文明の砂漠に咲く「拝金とイノヴェーション」の毒花
10・民主主義―文明の砂漠に吹く「人気とスキャンダル」の砂塵
11・宗教―詐欺が人間精神に必然とはこれいかに
12・社会科学―エッセイ以上のものと詐称する専門人ども
13・自裁―それを生きいきとなすのが人生の締め括り方

【本書の章構成】
第一章 文明に霜が下り雪が降るとき
第二章 民主主義は白魔術
第三章 貨幣は「戦さの女神」
第四章 「シジフォス」の営みは国家においてこそ

【サブタイトルの「紊乱論」の意味を知りたい方へ】
著者の本文からのその主旨を抜粋する。
「 紊乱とは「文がもつれた糸のように乱れる」状態を指す。文が明ではなく暗に近づいているのだとすれば、高度文明などという表現すらが虚しくなる。だが、我が身それ自体の老酔狂という紊乱にあっては、文暗のあとに何がやってくるのか、予測も予想も想像もつかない。というより「文暗の深刻化が止めどなく進行するのであろう」と漠然と思うだけのことである。
これを絶望の境地といえばそういえなくもないが、「絶望するものの数が増えることだけが希望である」(J・オルテガ)と考えるならば、これから述べ立てる紊乱論も希望の書といえなくもない。」
内容(「BOOK」データベースより)
世界恐慌や世界戦争の危機が見込まれる現在、政治や文化に関する能力を国民は身につける必要がある!そして、良き保守思想の発達した国家でなければ良き軍隊をもつことはできないのである―まことの保守思想を語り尽くす、大思想家・ニシベ最期の書!
著者について
西部 邁
1939年、北海道に生まれる。東京大学大学院経済学研究科修士。書籍や雑誌にて旺盛な執筆活動を展開している。保守派の評論家。元東京大学教養学部教授。東大教授を辞職後は秀明大学教授・学頭を歴任。テレビ「朝まで生テレビ」などに出演。2017年10月まで雑誌「表現者」顧問。
著書は『経済倫理学序説』(中央公論社・1983年度吉野作造賞受賞)、『生まじめな戯れ』(筑摩書房・サントリー学芸賞受賞)、『虚無の構造』『妻と僕 寓話と化す我らの死』(ともに飛鳥新社)、『死生論』『思想の英雄たち 保守の源流をたずねて』(ともにハルキ文庫)、『サンチョ・キホーテの旅』(新潮社・芸術選奨文部科学大臣賞受賞)、『どんな左翼にもいささかも同意できない18の理由』(幻戯書房)、『ファシスタたらんとした者』(中央公論新社)、『学問』『無念の戦後史』(講談社)、『核武装論 当たり前の話をしようではないか』(講談社現代新書)など多数。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
西部/邁
1939年、北海道に生まれる。東京大学大学院経済学研究科修士課程修了。書籍や雑誌にて旺盛な執筆活動を展開している、保守派の評論家。元東京大学教養学部教授。東大教授を辞職後は秀明大学教授・学頭を歴任。テレビ番組「朝まで生テレビ!」などに出演。2017年10月まで雑誌「表現者」顧問。著書に「経済倫理学序説」(中公文庫・1983年度吉野作造賞受賞)、『生まじめな戯れ 価値相対主義との闘い』(ちくま文庫・1984年度サントリー学芸賞受賞)、『サンチョ・キホーテの旅』(新潮社・2009年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

山口定

2018年01月23日 | 社会
複雑かつ論争的なファシズム概念を比較史的視点で思想、運動、体制の三側面から分析した本書は、ファシズムを学問的に考察する最良の書である。現在、ファシズム論をいかに構築するかを論じた補説と序文を書き下ろし、旧著刊行以来の研究史を踏まえて膨大な参考文献を追補した決定版。
著者略歴
山口/定
1934年生まれ。大阪市立大学名誉教授、立命館大学名誉教授。専攻=政治学、ドイツ現代史、ヨーロッパ政治史、政策科学論。

大江健三郎

2018年01月22日 | 社会
大江健三郎(おおえ・けんざぶろう)
1935年1月、愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)に生まれる。東京大学フランス文学科卒業。大学在学中の1957年に「奇妙な仕事」で東大五月祭賞を受賞する。同様に在学中の'58年、当時最年少の23歳で「飼育」にて芥川賞、'64年『個人的な体験』で新潮文学賞、'67年『万延元年のフットボール』で谷崎賞、'73年『洪水はわが魂におよび』で野間文芸賞、'83年『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』で読売文学賞、『新しい人よ眼ざめよ』で大佛賞、'84年「河馬に噛まれる」で川端賞、'90年『人生の親戚』で伊藤整文学賞をそれぞれ受賞。'94年には、「詩的な力によって想像的な世界を創りだした。そこでは人生と神話が渾然一体となり、現代の人間の窮状を描いて読者の心をかき乱すような情景が形作られている」という理由でノーベル文学賞を受賞した。 ほかの長編代表作に『芽むしり仔撃ち』『同時代ゲーム』『懐かしい年への手紙』『燃えあがる緑の木』『取り替え子(チェンジリング)』『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)などがある。

ファシズム

2018年01月21日 | 社会
世界史用語解説 授業と学習のヒント appendix list
ファシズム
イタリアなど帝国主義の後進地域に生まれた全体主義国家。ドイツのナチス、日本の軍国主義なども該当する。1930年代に侵略行為を展開し、第二次世界大戦の要因をつくった。1945年、敗戦とともに主要なファシズム国家は消滅した。
 ファシズムとは、20世紀前半の帝国主義時代に現れた国家体制の一類型で、独裁権力のもとで議会制民主主義が否定され、強力な軍事警察力によって国民の権利や自由が抑圧される国家体制を言う。全体主義ともいわれるが、第一次世界大戦後に生まれたイタリア=ファシズムに見られる特徴は、反ブルジョワ、反資本主義を掲げた革新性を装うこと、議会政治での政党間の争いを克服すると称して、カリスマ的な指導者が大衆宣伝を行って選挙という民主主義を装うこと、などである。
 ファシズムは第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制、ワシントン体制という国際社会の矛盾を突く形で生まれ、世界恐慌という資本主義の矛盾という中で育った。イタリアで、ムッソリーニが結成したファシスト党が1922年に権力をにぎったのを最初として、他に典型例としてはドイツのヒトラーのナチ党=国家(国民)社会主義労働者党によるナチス=ドイツがある。また一個の政党ではなく、軍部が権力を握り、政党を大政翼賛会として傘下に置き、天皇信仰をテコに国民を動員した1930~40年代前半の日本型ファシズム(天皇制)国家もある。
 ファシズムを狭い意味でイタリアのファシスト党の独裁政権に限定した場合は、ドイツのナチズム、日本の軍国主義との違いが論じられるが、世界史の大きな理解ではドイツ、日本もファシズム国家と規定した方が良いと思われる。
 ファシズム国家のもとではナショナリズムが強調され、国家元首への敬礼や国旗や国歌への拝礼が強要され、国家利益が優先されて国民の人権や自由は奪われる。政治においては議会や政党は否定されるか、あっても一党独裁のもとで形骸化して民主主義は行われなくなる。なお、先進国であるイギリスやフランスにもファシズム運動は出現したが、いずれも大衆的な広がりにはならず、国家権力を奪うほどにはならなかった。
ファシズム国家の諸相
 イタリア・ドイツ・日本は帝国主義の矛盾が表面化した世界恐慌の後、1930年代から侵略行為を自衛のためと正当化して軍事行動を開始、1940年代に枢軸国と称して提携した。第二次世界大戦はファシズム国家対自由と民主主義を守る連合国という大義名分で始められ、45年にファシズム諸国が敗北することで終わった。戦後世界はファシズム国家の出現を国際的に防止するしくみとして「連合国」を発展させ、国際連合を組織した。
その他のファシズム国家 この典型的な三つの国家以外にもファシズム国家は存在した。ファランヘ党によって支えられたスペインのフランコ政権、隣国ポルトガルのサラザール政権(及びその後継のカエターノ政権)である。この二国は、いずれも1930年代末までに独裁体制を作り上げ、大戦後にも政権を維持している。スペインにはフランコ以前の1920年代にプリモ=デ=リベラ政権がファシズムに近い独裁政治を行っていた。また大戦前のオーストリアのドルフース政権、ルーマニアのアントネスク政権、ギリシアのメタクサス政権もファシスト政権とされるが、これらは大戦期に崩壊した。なお、1910~20年代のハンガリーのホルティ、ポーランドのピウスツキも独裁政権であったが、これらはファシズムには近いが、区別して権威主義体制とされている。
ファシズムの語源
 ムッソリーニの創設したファシスト党に始まるが、その言葉は古代ローマのファッショに由来する。ファッショは古代ローマの執政官(コンスル)の権威を示す一種の指揮棒のようなもので、小枝(棒)を束ねたもの。権力の象徴とされ、人民を「束ねる」意味があるところから、全体主義を意味する言葉として蘇った。そこから、ファシスト(全体主義者、国家主義者)、ファシズム(その主張)という用語が派生した。ムッソリーニはいたるところで古代ローマを賞賛し、学校ではローマの歴史を重視し、ローマ建国の日とされる4月21日は祭日となり、盛んにラテン語を引用した。<ダカン『イタリアの歴史』2005 ケンブリッジ版世界各国史 創土社 p.319->
ファシズム台頭の背景
 第一次世界大戦後もさらに激しくなった列強の帝国主義の利害対立の中で、1929年に世界恐慌が起きると、ドイツやイタリア、日本のような後発的ないわゆる「持たざる国」は、イギリス・フランス・アメリカという「持てる国」を主体としたヴェルサイユ体制・ワシントン体制を打破し、世界再分割を要求するようになり、軍事力による生存圏の拡張を図ろうとする風潮が生まれた。そのファシズム指導者を国内的に支持したのは、特に世界恐慌による経済不況に苦しめられた中間層の多数派であった。
 ファシズムは彼らの不満を背景に、旧来の伝統的権力を否定し、国民主体の社会にするという一種の社会革命幻想を振りまき、中間層を取り込んだ。また、国民を国家と一体化するために、ことさらに民族主義(ナショナリズム)を鼓吹し、民族的な優越を強調して、反面他民族や異民族に対して激しい敵意を隠さず、特にユダヤ人を排除した。各国とも、資本家(財閥)や軍、教会などの保守勢力は当初はこのようなファシズムを危険視して警戒したが、次第に共産主義革命を抑える力として利用しようという姿勢を変え、容認し、提携するようになった。それがファシズムが権力を握った理由である。それがもっとも顕著に表れたのが、ドイツのヒトラーの主張であり、それを実現したのが、ナチス=ドイツであった。 → その性格については、総統国家を参照。
人民戦線の意義
 ファシズムの暴力的攻撃に対して議会政治や自由主義を擁護するには、それに対抗する勢力がばらばらであっては力にならなかったことは歴史が示している。それに対抗する勢力、具体的にはブルジョワ民主主義政党、社会民主主義政党、そして共産党などが幅広く結束して、いわゆる人民戦線(民族統一戦線)を構築するしかなかったのであるが、ドイツとイタリアでは社会民主主義政党と共産党は激しく対立し、互いに相手を目前の敵としてたため、ファシズムの台頭を許したとみることができる。
ファシズムに対する闘い
 ドイツとイタリアでナチスとファシスト党の勝利が確定したことは、他のヨーロッパ諸国に大きな脅威を及ぼした。それに対して、コミンテルンはようやく1935年の第7回大会で「反ファシズム人民戦線」の結成を方針とし、スペイン人民戦線、フランス人民戦線が相次いで結成され、1936年に選挙で勝利して人民戦線内閣が発足した。
 スペインでは人民戦線政府に対してただちに軍部が反乱を起こし、スペイン戦争が開始され、ドイツとイタリアは積極的に反乱軍を支援した。人民政府への支援はソ連が明確にしたものの、フランスの人民戦線政府は当初はスペイン政府支援を決定したにもかかわらず、政府部内の反ソ派の反対で中止した。結局スペインの人民戦線政府はイギリス・フランスの不干渉政策によって見殺しにされ敗北した。フランス人民戦線内閣はこれをきっかけに内部対立が激化し、結局崩壊した。こうして人民戦線の崩壊によって世界戦争へと突入する。
 アジアにおいては、1931年の満州事変以来の日本の侵略に対し、中国共産党は1935年に八・一宣言で人民戦線の結成を国民党に呼びかけ、36年西安事件を機に国共合作の機運が進んでいた。にもかからず日本軍は1937年に盧溝橋事件を機に全面的な日中戦争に踏み切る。それを受けて第2次国共合作が成立し、「抗日民族統一戦線」による日本ファシズムに対する民族的抵抗が展開されることとなる。
つぶやき ファシズムの足音
 第二次世界大戦後、民族独立運動の過程でのアジアやアフリカ、反米運動の過程でのラテンアメリカ、などで独裁政治が生まれているが、これらはファシズムとは言えない(高度な資本主義独占体制との結びつきはないので)。むしろ、グローバリズムのもとで出現している帝国の形成、それに対する叛乱の形態をとりながら強まっている民族的排他主義などの中に新たなファシズムの目があるのではないかと危惧される。
 “〇〇ファースト!!” という叫びを聞くたびに胸騒ぎを覚える。日本でも標榜されている「決められる政治」ということが、多数で何事も決めていくという政治になってしまえば、少数意見の尊重や、時間をかけた合意形成と言った当たり前の民主主義の手続きが無視されかねない。ヒトラーのナチス政権も選挙によって国民の信任を受けるという「民主主義」の手続きを取っていた。
 「多数決」で即決していくことがどのような結果を招いたか、世界史を学ぶことによって感じ取ることができる。ファシズムに抵抗するのは一人一人が「手間のかかる合意形成、少数意見の尊重」といった「民主主義のまどろっこさ」に徹することが必要に思える。
14章2節 用語リストへ/15章4節 用語リストへ
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ノートの参照
第15章2節 エ.イタリアのファシズム
第15章4節 エ.ナチス=ドイツとヴェルサイユ体制の破壊
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奴隷とは

2018年01月20日 | 社会

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「 まえがき」より

どんなアメリカ黒人の祖先も、たどれば一枚の売札にいきつき、それ以上は
さかのぼれない。多くの場合、それさえ不可能である。わたしの家族の一部
では、事実そうなっている。

この本は、つぎのような私達の曾祖父母たちの記憶に捧げられる、――

エルヴィラ・スミス
マギー・カースン
アーカンソー州の奴隷たち
そして
スクエア・アンド・アンジュリーヌ・レスター
オースティン・アンド・シルヴィア・ジョーンズ
ミシシッピー州の奴隷たち
そして
今は名前の知られることのないひとびと。

わたしは、かれらを知ることがなかったが、かれらの子孫のひとりであるこ
とを誇りとしている。

かれらの生涯、その力強さ、その勇気に値するようになれることを、私は念
願としている。

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おじいちゃんの口笛

2018年01月19日 | 社会

ぼくらは、老人ホームでおじいちゃんをみつけたんだ。それから、きゅうにいそがしくなった。やさしさとユーモアと、ヨーロッパで幅広い共感をよんだ物語。1994年ドイツ児童図書賞受賞。

たこを作ったり、口笛を教えてくれたり、ほんとうの孫のように仲よく遊んでくれた養老院のおじいちゃん。そんな素敵なおじいちゃんが誕生パーティーのあと亡くなってしまう…。少年と老人のふれあいをユーモラスにさわやかに描く。

ヘンリーブラウンの誕生日

2018年01月18日 | 社会
奴隷は、家具や家畜とおなじように、だれかの持ち物としてあつかわれ、主人が売ると決めたら、本人の気持ちなど関係なく売られてしまいます。家族が売られていくのを見ても、どうすることもできないのです。ヘンリーは、そんな奴隷のひとりでした。ヘンリー・ブラウンは、秘密の組織「地下鉄道」の助けをかり、自由への脱出を試みました。ヘンリーが立てた計画は、だれも思いつかなった方法でした。2008年コールデコット賞オナー賞受賞作。
著者略歴
レヴァイン,エレン
アメリカ合衆国生まれ。ブランダイス大学卒業後、ニューヨーク大学法学部で博士号を取得。テレビ局での勤務や移民への英語教育などを経験した後、教育と執筆活動に力を注いでいる。『ヘンリー・ブラウンの誕生日』で、2008年コールデコット賞オナー賞受賞

ネルソン,カディール
アメリカ合衆国生まれ。画家、イラストレーター。プラット美術大学卒業。多方面で活躍するかたわら、1999年からは、絵本の絵も手がけ数々の賞を受賞。『ヘンリー・ブラウンの誕生日』で、2008年コールデコット賞オナー賞受賞

千葉/茂樹
北海道生まれ。国際基督教大学卒業。出版社で児童書の編集に携わった後、北海道に居を移し、英米作品の翻訳家として活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

Nike Air

2018年01月17日 | 社会
1990年代中頃、スニーカー人気が爆発的に高まり、本来運動靴であるはずのスニーカーに異常な程のプレミアム価格が上乗せされ、定価よりはるかに高価で取引されるようになっていた。特に1995年に発売された「エアマックス95」は大人気となり、1998年までの約3年間は生産、販売が追いつかない品薄状態が続いたため、非常に高額で取引されるようになっていた。販売店によっては、中古の場合で十数万円、新品の場合は六十万円程度の価格を付けたケースもあるとされる。

新品だけでなく中古品であってもかなりの高額で取引されたため、エアマックス95を履いた人物を襲撃し奪い取る事件が頻発し、「エアマックス狩り」「マックス狩り」と言われ社会問題化した。奪い取ったエアマックスをそのまま犯人が着用する場合もあれば、転売されるケースもあった。

また、強盗を意味する「狩り」だけではなく、単なる盗難や偽造品の販売も横行し、偽造品販売は暴力団の資金源ともなっていた。

21世紀突入後は、人気のスニーカーに多少のプレミアム価格が付くことがあっても、犯罪を犯してでも奪い取るほどの異常な高額ではなく、またスニーカー自体の人気も当時ほどではなくなったことから、あまり行われなくなっている。