怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

内田樹「コロナ後の世界」・磯田道史「日本史を暴く」

2024-05-17 11:33:06 | 
コロナ禍前と以後では世間の在り様ががらりと変わった面がある。
個人的には葬式の在り様は大きく変わって、列席することがほとんどなくなった。連絡も事後で家族葬で行いましたと言うものばかり。
喪服の出番はなくなっています。
淋しいことだけど宴会で無礼講に騒ぐと言うこともなくなり、ソーシャルディスタンス。その前に宴会自体がなくなりました。
今コロナが5類に移行してやっと日常生活が戻ってきましたが、この間の政府の対応についてはなんだかな~でした。のど元過ぎればで過去のこととして思い出したくないのですが、安倍政権がしたことはきちっと評価しなくてはいけないのでしょう。
やっている感だけ出して、主観的願望が客観的情勢判断にとってかわり政策を進めてきた結果、明確な指示のない「自粛要請」、突然の「全国一律の学校休校」、混乱を極めた医療現場と後手後手の対応、自国では開発することが出来ずにアメリカ頼りのワクチン行政、今でも家に使わずに残っている「アベノマスク」、菅政権に続く無観客での「オリンピックの強行実施」、
右往左往した対応を政府はちゃんと検証したのだろうか。欧米に比べて死者の数が少なく感染抑制に成功しただから問題なしと言っていてはまともな評価はできない。しかしそれでは今度コロナとは違った感染症が襲ってきた時に同じ様なことをやればいいのだろうか。
安倍政権は国民を支持者と反対者に二分し、「反対者には何もやらない」ことによって権力を畏怖し、服従する国民を作り出そうとしてきた。そのことによって国民は「国」と「私」の一体感を喪失させてきた。コロナ禍においてはその一体感のなさが政府の施策への信頼性をなくし、強い規制を受け入れることが出来なかった。
内田さんに言わせれば安倍政権を総括すれば「知性と倫理性を著しく欠いた首相が長期にわたって、国力が著しく衰微した時代」なのだが、安倍暗殺の後、いまだに安倍政治の呪縛は解けずにアベノミクスの修正も出来ず政策の足かせとなっている。
社会の分断が進み、中産階級なるものが解体し、経済では一人当たりGDPはその順位を下げ続け、今や韓国に並ばれようとしている。国際社会では日本に誰もリーダーシップを求めていない状況になっているにもかかわらずなのですが。
「コロナ後の世界」ではコロナ禍を通じて炙りだっされた安部政治の体質を内田さんは厳しく論じている。

もちろん安部政治だけでなく、コロナ後のアメリカ、中国、日米関係などなどについても論じているのだが、個人的には「反知性主義者たちの肖像」でマッカーシーが何故法外な権力を持てたのかを論じたところは目からうろこでした。アメリカ社会を席巻したマッカーシー旋風と言う赤狩りは民主的国家だったはずのアメリカ合衆国でどうしてそう言うことが可能だったのか、同時代を生きていない日本人の私には腑に落ちていなかったのだが、やっと理解出来た気になりました。マッカーシーは「政府には共産主義者が巣くっている」と言う自分が喧伝している物語を一瞬たりとも信じたことがなかったから。自分の言っていることを信じていない人間は自分の言っていることを信じている人間よりも論争的な局面ではしばしば有利な立場に立つ!確信のないことを語る気後れとは無縁に断定的に語る。反知性主義者たちの本当の敵は「時間」であり、終わりなき反復によって時間を止めようとする。
論じてあることはここでは書ききれないのですが、ネットを徘徊する有象無象の議論に際して頭の中の整理をするためにも読んでみてください。
磯田さんの本「日本史を暴く」は読売新聞連載の「古今をちこち」の2017年9月から2022年9月掲載分を収録したものです。当然ながら読みやすいように1項目はほぼ3ページ。あまり深い考察まで至らないのですが、トリビアな話題が満載で、ここから興味を持った点を深掘りするといいのでしょう。読んでいると磯田さんの古文書オタクぶりが如何なく発揮されている姿がよく分かります。時間があると今日の古書店をまわって掘り出し物がないかと探している。古書店側も文章は読めても著名人のものならともかく家臣の連絡文書とか庄屋の日記的なものとかは、その歴史的価値とかはよく分からないので見る人が見ると新たな発見で価値あるものもよくあるみたいです。世界的に見てもこんなに古文書が残っているのは稀有のことみたいです。それにしても古文書をすらすら読めると言うのは高校の古典で苦労した程度の私にとっては特異な才能としか言いようがありません。
丁度コロナ禍の時期の連載なので、第4章は「疫病と災害の歴史に学ぶ」として日本史の中で疫病と災害に翻弄された人々の姿と為政者の対応を紹介しています。歴史を見ると天変地異とか悪疫がはやると古代から平安時代までは怨霊とか祟りとされるのですが、江戸時代になると天然痘の流行に対して隔離政策がとられだします。藩によって対応が違うのですが、厳格な隔離政策を取ったの藩の目的は感染症から藩主の命を守るためと言うのが時代です。
幕末のコレラ禍とかスペイン風邪の時に時の政府がどうしたのか庶民はどうしたのかを紹介しているのですが、今のコロナ禍に対する鋭い批評になっています。
磯田さんの新書は出版されるとベストセラーになるので、この本も予約してからかなり待たされて読むことが出来ました。

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