怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

中岡哲郎「コンビナートの労働と社会」

2020-06-25 06:53:50 | 
不要不急の日々故、以前読んだ本でも読み返そうと久しぶりに本棚を見てみると、中岡哲郎先生の本が結構あります。中岡先生の本ならまずは「工場の哲学」なんでしょうが、今回読もうと思ったのはこれ。

鹿島の石油化学コンビナートについて調査分析した記録です。この本が書かれたのは奥付によると1974年。鹿島コンビナートが稼働しだしたのが1972年ごろから。何もない荒れた砂地の農地が大規模開発によってどう変貌を遂げ、その社会にどういう変化をもたらしたのか、丹念な関係者への聞き取りも行って優れたルポルタージュにもなっています。
この本は大学3年生に読んだ記憶ですが、それにしても学生時代にはずいぶんたくさんの本を読んでいたものと改めて感心。もっともほとんど覚えていなくて、かつ今にして思えば私の人生にまったくというほど役に立ったなかった。ちょっとむなしい。この当時は自分の本では矢鱈と鉛筆で線を引いているのですが、読み返してみるとそんなに的外れのところに引いてあるわけではなかったみたい。でも矢鱈と引いてあるので外れることもあまりなかったのか。
巨大な鹿島コンビナートは工業出荷額では日本有数で、港としての貿易量としても日本有数。でも工業地帯と言うにはあまりにも巨大コンビナートだけで広いすそ野はない。神戸や横浜のような港としても雑多な活気とは無縁で、そこで働く多数の労働者で賑わうこともない。巨大工場でもその規模と比して従業員数は驚くほど少なく、そこには地元出身の人はほとんどいない。工場を動かすために必要な周辺の熟練を要しない雑多な仕事は地元の人たちで担われている。土地を提供した農民は豪勢な家を建て残った土地で片手間な農業を行い日雇い仕事をする。それでも農民の多くはコンビナートが出来て生活はよくなったと答えている。
これらのコンビナートがもたらした地域社会の変化は推進していた側の説明とは乖離している。この本は72年ごろの調査なので、ほぼ50年たった今の鹿島はどうなっているのか知りたい気分です。今私が思い浮かぶのは鹿島と言えば「鹿島アントラーズ」だけですが、実際の町はどうなっているのだろう。
ところでこの本を読み返すと思ったのは、第3章の「コンビナートの中心部」の記憶があったから。コンビナートの労働における熟練の形成についての考え方が、感染症予防、あるいは原子力発電所についても深く示唆することがあるという記憶があったからです。
巨大化したプラントは、それとともに安定化しトラブルが少なくなり技術的には成熟してくる。コントロールルームはIC回路でコンパクトになり整理されその操作も簡便になった。石油化学プラントが新設された当初は、予知せざるトラブルが続いた。一つには技術スタッフ、現場オペレーター両者ともに新プロセス、計装、運転技術に未熟だったために起こった。一つ一つのトラブルに経験が蓄積され、それとともに急速に工程が改良され、トラブルの数が減り、安定していく。2号プラント、3号プラントと建設されるとともに蓄積された経験が取り入れられることによってプラントは格段に安定した操作しやすいものになっている。技術的に根本的な変化なく大型化していくとプラントとしては成熟していく。さらにいくつかのプラントをまとめて一つのプラントにしてしまうプラント・インテグレーションを行い、人員減を実現する。ただプラント・インテグレーションは安定している時にはいいのだが変化には弱い。各要素の複雑な相互関係が人間の制御を不可能にしてコンピューター制御をもたらす。だが、その時コントロールルームにいる労働者は何をしているのだろうか。監視労働というのだろうが、実態は待機労働?変動の可能性がある限りその時に備えて必要な人員を省くわけにはいかない。パイプのひび割れ、フレンジのゆるみ、計器の破損、振動の異常、人間の五感が一瞬の判断で見分けるそれらのことはに置き換えることはできない。そしてそれらは事故のもっとも直接的な原因となる。コンピューターにできることは数値化された大量のデータを同時に扱う事、あらかじめ決められた手順通りに複雑な操作を行うこと、計算モデルによって人間より精密な反応制御を行うこと等で、いずれも「状況が既知で手順が決められていること」「データが完全に得られること」「対象が安定していること」を前提にしている。しかし、事故とは「何が起こったのか状況が誰にもつかめず」「どう処置を取ればよいのかわからない」「対象の変動」から引き起こされるものだから。
ところが事故に直面するコントロールルームの労働者は、予防保全の努力の徹底、装置の安定性・信頼性の向上によって、トラブルの数が減れば減るほど、トラブルに対処する能力を獲得する「経験」が減っていく。プラントの初期からいた古い労働者は、小さな不完全なよくトラブルを起こす装置を扱う中で経験を積み熟練を形成してきたのだが、今の労働者には経験を積む機会がほぼなくなり巨大化したプラントを止めれば企業が被る損害の巨大化をもたらし逆に責任は巨大化している。
非常に逆説的だが、トラブルが減ることによって事故に対応する労働者の熟練形成ができなくなる。
この構造は原子力発電所にも当てはまるのでは。技術が成熟して安定してくるとコントロールルームの労働者はどんどん少人数化し経験値が減ってくる。福島の原発が想定外の津波に襲われたときに、経験値豊富な吉田所長以下のスタッフが獅子奮迅な働きをしたのだが大混乱の中で多くのスタッフについては恐怖でしかなかったのだろう。
今回のコロナ騒ぎでも感染症対応するスタッフは経験値はほとんどなく接触者調査でも予防処置でも一度も感染症患者と対応したことがないような職員が多かったのでは。1970年代までは法定伝染病と言っていたが赤痢や日本脳炎、コレラが散発しており、保健所職員も日常的とは言わないまでも年に一度くらいは対応に追われていた。経験する中である種の度胸と覚悟が出来ていくのだが、衛生環境がよくなり、深刻な感染症の蔓延はなくなってきた。これは公衆衛生の勝利と言えるのだが、結果、今まで感染症患者に対応したことがない職員ばかりになり、熟練のない職員にいきなり全力疾走しろと言われても現場的には綱渡りになるのでは。
これから第2波とか言われているのだが、今回の経験をうまく繋げていかないといけないと思うこの頃です。
今読んでも十分読みごたえがあって考えさせられる本ですので興味のある人はどうぞ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「読書は格闘技」瀧本哲史 | トップ | 中野信子「キレる!」脳科学... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事