田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

水郷柳川を歩く

2015年11月13日 | 柳川

 柳川に行ってきました。いつもは3月の「さげもんめぐり」の時に行くのですが、この日は天気が良かったので、掘割沿いを歩くことにしました。

 柳川は久留米からだと特急電車で20分足らずです。まず西鉄柳川駅からバスで沖端に行きます。しかし、平日は1時間に1本しかバスの便がないのに驚きました。いつもは車で来るので気付きませんでした。

 沖端に来ました。すぐ近くには北原白秋生家や御花があります。ここは川下り船の乗下船場になっています。左手は沖端水天宮です。 

  柳川といえば川下りで有名ですが 、5社が運行しています。それぞれの乗船場がありますが、沖端が終点になります。逆コースの川上りを運行している会社もあります。川といっても掘割のことです。

 掘割を船で行くことは昔からありましたが、観光として川下りが始まったのは昭和30年代後半です。

 北原白秋の生家です。白秋の実家は造り酒屋でした。今は記念館になっています。

 

  「御花」です。柳川藩主の別邸でした。この建物は明治43年に旧藩主立花家の邸宅として完成したもので、洋館と和館からなっています。現在では旅館と料亭を経営されています。「御花」は見学できますし、立花家史料館や柳川の特産物売り場があり、川下りとともに柳川観光の目玉となっています。庭園「松濤園」をはじめ敷地全体が国の名勝です。

 

 この日は沖端から川下りコースを歩いて遡ることにしました。川下りといっても、ほとんど高低差はありません。船は人が歩く速さで進みます。約70分の船旅です。

 ここから歩き始めます。

 

 

 柳河城の三の丸付近、弥兵衛門橋です。 

  平日ですが、次々と船が下ってきます。 

  白秋は抒情小曲集「思い出」の中で「私の郷里柳河は水郷である。さうして静かな廃市の一つである。」と書いています。もともと筑後地方には農業用水路としてクリークが網の目のように張り巡らされています。柳川では縦横に掘割がつくられましたが、旧城下町を囲む掘割を城堀と呼びます。

 柳川には親戚がいたので、小学生の頃は泊まりがけで遊びに行きました。その当時は、小さな水路が家の近くまで入り込んでいました。或る日、暗くなって叔父達と掘割づたいに映画館に行ったことを思い出します。新人歌手だった村田英雄の、芝居仕立ての実演を見に行ったのです。

 この風景には懐かしさを覚えます。海の明快な色ではなく、色調が不分明な静けさです。

 

 

  ここは日吉神社の側にある船着き場です。

 日吉神社で式を挙げた新郎新婦は、ここから親族とともにどんこ船に乗って結婚式場まで川を上ります。昔、私の従弟が結婚した時もここで式を挙げ、私も乗船しました。橋の上や岸辺の人から祝福されると、何だか晴れがましい気持ちになります。

 

 水上売店です。川下りの観光客向けの売店です。

 

 

  並倉です。鶴味噌醸造さんの麹室としてつくられました。大正初期の建築で国の登録有形文化財です。川下りの名所になっています。

 

 城堀水門です。貸切の団体客が掘割を上ってきています。毎年2月にはこの水門が締め切られ、水落しをして掘割の手入れが行われます。私が大学生の頃までは、少し上流では子ども達が堀の中で水遊びをするほど綺麗でした。

 

  三柱神社前の乗船場です。昔は乗船場はここだけでした。先ほどの団体客の船が近づいてきました。右側の建物は松月文人館です。明治時代から遊女屋、氷屋、病院、料亭と変遷を重ね、いまは文学資料館になっています。

 

  明治40年夏、与謝野寛や白秋など明星派の詩人5人が、九州の北部から西部を旅します。彼らは紀行文を分担して書き、旅先から東京の新聞社に寄稿します。後に「五足の靴」として本に纏められますが、一行は旅の往きと帰りに白秋の実家に投宿し、大歓待を受けています。

 柳川での様子は「五足の靴」に詳しいのですが、「柳河は水の国だ、町の中も横も裏も四方に幅四五間の川が流れて居る」と書かれています。

 旅の帰りに柳川に寄った時、彼らは北原家の家族らとこの建物で氷水を喫し、夜になって白秋の実家まで船で下ります。月明かりの下に掘割を行く、情緒纏綿とした美しい描写は当時の水郷柳川を彷彿とさせます。

 「五足の靴」の旅は後に白秋の「邪宗門」など、南蛮趣味の作品につながる天草がハイライトです。しかし柳川も、白秋の詩の中ではどこか異国情緒が漂っています。

 今日は掘割沿いに1時間半歩きましたが、ちょっと疲れました。今度は船に乗ってのんびりと川下りをしたいですね。船から見る景色はまた格別です。

 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (京都で定年後生活)
2015-11-13 15:22:50
こんにちは
水郷柳川、いいところですね。
名前は知っていますが、残念ながらまだ行ったことがありません。
風情と情緒たっぷりの水辺の景色にうっとりです。
近代建築も見所がありそうですね。

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こんにちは (九州より)
2015-11-13 17:27:23
昔は小さな水路が町のあちこちにありました。今でもしっとりとした、いい町です。
柳川には祭りや風習など、昔の伝統がまだ息づいています。「御花」など旧藩主の当家の存在感がまだ大きいのです。
私の住む町も城下町ですが、町界町名変更で歴史的町名をばっさりと消してしまいました。
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