視覚障害者きうっちの自立への道

視覚障害者きうっち(S52年生)が気の向くままに日々の生活をツラツラとつづるブログ

地獄の入院生活(03年11月)

2011-08-20 18:00:00 | 闘病日記
 2年以上、ほったらかしにしていた自分の入院生活の記録なのですが、突然思い出したようにこの度再開することにしました。
…というか、最近あんまり暇過ぎてやることがないので、行き着いた先がこれを書くことだった、というのもあるのですが(汗)。
なお、この入院生活を記した記事のバックナンバーはこちらに目次としてまとめてあります。

 ところで、実はこの頃(03年11月頃)それまで自分の弱々しい呼吸を助けてもらっていた人工呼吸器がついに取れました。
それに加えてこの頃になってこれまで体に色々ついていた医療機器がようやく少しずつ取れ始めてきた時期でもありました。

■恐怖のカニューレ交換
 この時期、9月に気管切開の処置を行った際に挿入していたカニューレを初めて交換しました。『ただ交換した』だけなら別にこうして取り上げる事でもないのですが
問題なのは、このカニューレ交換がとってもとっても痛いって事なのですよ(涙)。どのくらい痛いのかというと

う#☆*×$%&!!

などという思いっきり声にならない声を上げてしまうくらい痛いんです。と書いてもほとんどの人はこんな事をまずされた事はないだろうし中々『あの感覚』は分からないと思うのですけど。
ちなみにカニューレ交換は喉に開けた穴にそれまで挿入されていた物をそのまま『グイッ『と引っこ抜いて
その空いた喉の穴へすぐに清潔で新しいカニューレを『グイィィィィィ』と押し付けるように挿入するわけなのですが、この新しい物を入れる時が物凄く痛いんですよね。
そうは言っても中々イメージしにくいと思うので、こんな感じの事を想像してみてください。500mlのペットボトルの蓋の下側を
喉の中心部分へ向けて思いっきり、本当に手加減無しで5秒程度ずっと押し付ける!-。身近にあるもので『あの感覚』を説明するとしたらたぶん、これが一番近いような気がします。

 しかも今後約半年に渡ってこのカニューレ交換は1週間に一度行うようになります。
何でも気管切開で喉に開けた穴(傷口)が化膿してしまわないようにというのがその理由らしいのですが。ただこれをやられてる方にとっては
毎週毎週痛い思い(しかも尋常じゃないほどの!)をするわけだから本当にたまったものではありません。ちなみにこのカニューレ交換は毎週木曜日にしていたのですが
この頃自分は木曜の事を『恐怖の木曜日』と呼んでいましたし、毎週木曜が近づいてくるにつれて本当に気分が憂鬱になっていましたね。
それに木曜の朝は明らかに表情が険しくなっていましたし相当不機嫌でしたからね、非常に分かりやすい事に(苦笑)。

■おしゃべりができるカニューレ
 ただ喉の穴に挿入されていたカニューレについては嫌な事ばかりでもありませんでした。先月の記事でも紹介していたように、この時期のわたしはのどに穴が開いていたため、肺から上がってくる空気をその穴から出して呼吸をしていたため、
通常の人のように肺から上がって来る空気が、のどの声帯を通らないためまともにしゃべることができませんでした。でも実はこの時期、その問題を解決してくれるアイテムが自分に与えられたのです!それがしゃべることが可能になるカニューレ、いわゆる『スピーチカニューレ』というものでした。
ただこのスピーチカニューレの原理はいたって単純なんですわ(苦笑)。そもそも自分がしゃべることができなくなっていたのは、肺から出される空気がのどの声帯を通らないためでした。だったらその呼吸の空気の流れを無理やり変えてしまえばいい-。ということで、そののどの穴を一時的に塞いでしまうように
カニューレに蓋をしてしまい肺から出てくる空気が声帯を通るようにする。ようするに、普通にしゃべれる人と同じような呼吸の状態に無理やりしてしまうということです。

 ただ、この時点では『カニューレが変わって自由にしゃべれるようになった。わ~い、うれしいな♪』とただ単純に喜べなかったことも事実なんですよね。それどころか、この時点でのあまりの自分の体の『貧弱さ』にまたしても落胆することになりました。
自分は上で『呼吸をする際の空気の流れを変えて、普通の人と同じような状態を強引に作り出ししゃべることができるようにした』と書きました。
つまり、病気になってからこの時点までは、呼吸をする際に肺からノドのあたりまで空気を上げることができれば、何の支障もなく『スゥ~ハァ~』と呼吸をすることができたわけなのですが
この時点での自分はまだ腹筋など、息を吐く力が明らかに不足していました。特に座った姿勢など体を起こした状態にするとそのことが顕著に現れてしまっていました。
ではそもそもそれが顕著に現れてしまうと一体どうなってしまうのか?-。この時点の自分が『スピーチカニューレ』をノドに装着し、空気の流れを通常の人と同じ状態を強引に作ってしまうと、悲しいことに呼吸困難でまともに体内へ酸素を取り込むことができなくなる、というような状態に陥ることになってしまっていました(涙)。
ただ、ベッドの上に寝ている状態、体をあお向けにした状態であれば『スピーチカニューレ』を装着しても、上のような『悲しい現象』になることはこの時点でもなかったので
この時点ではスピーチカニューレを装着することは実際にはあんまり無かったですね。特に車椅子に座ったり、リハビリなどでそれなりに激しく(あくまでこの時点での自分にとって、なのですが)動いたりなんかする時は
まず間違いなく呼吸困難になることが目に見えていたので、コイツを装着することはありませんでした。この時点でスピーチカニューレを装着することにしていた時といえば

両親と面会する時や、病院のお医者さんとどうしても話をしなければならなかった時とか、ま~正直そのくらいでしたね。
実はこの『スピーチカニューレ』の恩恵を本格的に受けられることになるのは、まだまだ先の話なんですわ、結論からいうと…。

 でもみなさん、『普通にしゃべることができる』っていう状態がいかにありがたいことなのか、しゃべることができなくなって本当によく分かりますよ。
何しろ自分は目も見えてなかったから『筆談』もほぼできなかったわけで、コミュニケーションを取ることもまともにできませんでしたから。これを読んでくれているみなさんも『自在にしゃべることができる』ことを本当にもっと享受していただきたいと思います。ホント、人間いつ『普通にしゃべることができなくなる』か分からないですから。

■頭が…体がかゆい…お風呂に入りたい…
 ところで、この時期の自分はお風呂に入ることができませんでした。理由は単純です。お風呂に入ってシャワーを浴びるためには、車椅子に『それなりに長い時間』座っていられないといけないのですが
この時期の自分は『それすら』もできませんでした。なのでこの頃の自分は毎日、ベッドの上で看護士さんに手渡されていた濡れタオルで全身を拭いてとりあえず全身の汗は拭きとってはいたのですが、それにしてもやっぱりお風呂に入るのとは全然違うわけで
体がかゆいかゆい。しかも元々皮膚が弱い自分はどうやら背中に何か『白いカビ』のようなものまで生えていたらしくて……まぁそれは薬を使ってとりあえずはひどくなるのを抑え込んでいたのですが、とにかくこの頃は全身がかゆかった、という記憶がもっとも印象に残っています。

 それと頭。上で述べているように体も入院生活を始めて以来、ずっと洗えてなかったのですが、それは髪の毛も同様で
11月の頭くらいまではずっと洗うことができませんでした。ただ、髪の毛に関してはまだ救いがありました。10月、本格的に入院生活をし始めたばかりの頃の自分は
生まれたての赤ん坊のように首が全然立たなくて、車椅子に座ると首が前か後ろに『カクンッ』となってしまうような状態でした。
この頃の自分が髪の毛を洗髪しようとした場合、ベッドにあお向けに寝転がり、そこから頭をベッドから少し出した状態にしてその下に洗面器を置き、頭を洗うようにしていました。
当時、お風呂場に行ってシャワーも浴びることができなかった自分が頭を洗髪しようとした場合、この方法しかありませんでした。
ただ、この方法でも体に『それなり』の負担はかけることになります。洗面器の上に頭を浮かせて髪の毛を洗髪している間は、当然頭は洗面器の上に浮かせっぱなしになっているわけで、首には結構負担がかかっているわけなんです。
洗髪している間の時間はだいたい30分くらいなので、自分の首はだいたいそのくらいの時間頑張っていればいいわけなのですが、この頃の自分は『たったそれくらいの時間』すらも、自分の頭を首だけの力で支えているのが大変でした。

 でもまぁ、やっぱり頭をシャンプーとお湯でガシガシと洗ってもらうと気持ちいいんですよね。当然のことですけど。
特にお風呂に入って体を洗うことができなかったこの頃の自分にとってはなおさらそうでした。実はこの頃、こうやって頭を洗ってもらえていたのは1週間に1度程度だったのですが
それでもこの頃の自分は幸せでしたね。この時期の自分にとって、こうやって頭をガシガシと洗ってもらった後の、頭がサッパリしていた時が一番幸せな時間だったのかもしれませんね。

■この頃の主なリハビリメニュー
 ところで、この頃の自分はまだまだ自分では体がほとんど動かせない状態で
リハビリをするにしても、そのほとんどがリハビリの先生など『誰かの解除付で』でした。
それで、この頃自分がしていた主なリハビリのメニューは主に次の4つ。

1.両腕の可動域を広げるための運動
2.車椅子になるべく長く乗る練習
3.(声を出すことはできないのですが)口の動きだけでも、しゃべる形を忘れないようにするために口の運動
4.指の可動域を広げるための運動

 とまぁ、以上の4つなのですが、正直これだけだと何だかよく分からないと思うので、なるべく分かりやすく1つずつ補足説明を。
1.は先月も同じようなことをしていたんですけど、両腕の可動域を誰かに解除してもらって広げる運動をしていました。
この頃の自分はまだ、両腕が肩の高さより少し上に上がるくらいまでしか動かなかったので、まだ両腕の間接が固まってしまう前にこういうことをしておく必要がありました。
まぁ本当は自分の力である程度動かせるのであれば、自分自身の力で体操のような運動をしていればいいんですけど、この頃の自分にはまだそんな力はありませんでしたからね…。

 2.は読んでそのまんま。これから、自分が病院内の各医療科へ診察に行く場合、当面は車椅子で移動することになります。
でも先月の時点で自分は車椅子に連続で最大20分程度しか乗ることができませんでした。さすがにそれではお話にならないわけで、これから診察に行くこと等を考えると
診察の待ち時間なんかを含めて、正直2時間くらいは乗れるようになっていないとお話にならないんですよね。それに上でも少し触れてますけど
車椅子に長時間乗れるようになれば、もしかしたら近々お風呂に入れるようになるかもしれない-。そんな淡い期待を秘めつつ、この頃の自分は頑張って車椅子に乗っていました。
でもまぁ、その甲斐あって11月が終わる頃には当面の目標だった、車椅子に2時間ほど乗れるようになっていました。
最初に2時間車椅子に乗れた時はホント嬉しかったなぁ……この入院生活を始めて以来、自分はできないこと、挫折感ばかり経験してきたのですが
この『車椅子連続2時間乗車』で初めて『自分の力で何かを達成した』という気分を味わえましたからね。それと同時にこうも思いましたけど。『オレってやればできるじゃん!-。と(笑)。

 そして3.。既に書いている通り、この時点での自分は医療的な処置の関係で、まともにしゃべることができませんでした。スピーチカニューレを装着するという裏技を除いては。
ただそれでも将来的にはしゃべることができるようになる可能性が高いわけで、いくらこの時点でしゃべることができないといっても、『口の動き』までがしゃべる動作を忘れさせるわけにはいかない。
なのでこの時点でも(たとえ声は出せなくても)しゃべる訓練をしておく必要がありました。それにスピーチカニューレを装着していれば、この時点でもある程度しゃべることはできていたわけなのですが
この時点での自分は、しゃべることについて『ある重大な』疾患がありました。自分の病気は『自律神経のマヒ』から体の様々な機能が停止、または低下してしまう病気だったのですが
その影響は『しゃべること』にも影響が色濃く出ていました。簡単に言うと、病気の前と比べると明らかにしゃべりにくくなっていたのですが
中でもこの時点での自分は『か行』を全然言うことができなくなっていました。例えば『かっこ』という言葉を言おうとすると、「あっお』とか行が全部あ行に化けてしまうようにしかしゃべれなくなっていました(泣)。
これはスピーチカニューレを装着し始めてからまもなく気づいたことだったのですが、これに気づいた時には、ありきたりの表現ですけど本当に悲しかったですね。
で、この『か行が言えない障害』を是正するためにも、このリハビリは結構重要だったわけです。
でもその甲斐あってか、2ヶ月くらいこのリハビリを続けていたら『か行が全部あ行に化けてしまう』という何とも間抜けな障害はだいぶ是正することができました。
何より、人の名前をちゃんと言うことができない、それが自分の好きな人だったらなおさら苦痛なわけですから。
そんなわけで、このリハビリは実はこの時点で一番一生懸命やっていたのかもしれないですね。

 で、最後の4.について。この時点での自分は手の指の可動域も狭くて
分かりやすく言うとジャンケンのチョキの形を作っても、手の力が足りなくてすぐ形が崩れてしまう、というような状態でした。そこで自分は次のような方法で手の指の可動域を広げるようにしていました。
まずベッドの上にあお向けに寝転がって両腕を楽な体勢にする。そしてその状態から片方の手のひらで『チョキ』の形を作り、
形が崩れてしまう前に、そのままの形をベッドの上に押し付ける。で、押し付けたまま約10分程度そのままの体勢を保つ。これを左右両の手のひら、1日数回繰り返す-。とまぁ、こんなことをして手の指の可動域を広げる運動というか、手の指の関節の動きをよくするための運動をしていました。
あとは軟式の野球ボールを使って、人差し指と中指でボールを挟む、いわゆる野球のフォークボールの握りをしたりして、指と指の間をなるべく広げられるように努めたり、まぁこれに関しても結構色々やっていました。
何よりこの『手の指の可動域を広げるためのリハビリ』は、どれもベッドにあお向けに寝転がったままの体勢で、この時点での自分が一番楽な体勢でできたということが大きかったですね。
というわけで、この時期の自分は、ほとんどの時間ベッドの上に寝転がっていたこともあり、暇さえあればこのリハビリをしていました。おかげさまで約2ヵ月後、年が明ける頃には手の動きもだいぶ良くなり、ジャンケンのチョキの形を作ることも片方の手の人、中、薬指の3本を立てて『3』の形を作ることも容易にできるようになっていました。

■ついにICUからの脱出
 03年9月中旬頃に入院生活を始めて以来、自分はずっとICU(集中治療室)に入院していました。
ご存知の通り、このICUは病状が一番重たい患者が入院をする部屋で、
入院生活を始めてからの自分は、人口呼吸器がつけられていたり全身がほとんど動かせないような状態だったり、まさに絵に描いたような『病状が重たい患者』だったわけで
そんな自分がこのICUに入っていたのは当然といえば当然だったわけなのですが、この11月の終わり頃には人口呼吸器も取れて自分の体の状態も(入院当初よりは)かなり良くなり
この度晴れてこのICUを脱出することができました。ただ、それでも移った先の部屋はICUより一つだけランクアップした、患者4人の相部屋で看護士さんが常に2人常駐している部屋だったのだから
冷静に見れば、それほど進歩をしたわけではないのかもしれませんけどね。

~来週へ続く
コメント (1)
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