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「てなもんや三度笠」-60年代TVコメディー&漫画-

 僕の子供の頃の人気番組、「てなもんや三度笠」は毎週日曜日の夕方、TBS系列で30分番組でやっていました。子供の頃の僕はほとんど毎週くらいで「てなもんや三度笠」を見ていました。まだモノクロ放送の時代です。時代劇コメディーの舞台劇でした。主役の渡世人・あんかけの時次郎役が若いときの藤田まこと。当時は喜劇役者・藤田まことの出世作ですね。まぁ、お話は時代劇ロードムービー的なお笑いドラマかな。あんかけの時次郎と一緒に旅をする小坊主・珍念役が白木みのる。何処から見てもせいぜい中学生くらいの子供にしか見えない、白木みのるがこの当時もう成年した大人だと知って驚いたものでした。

 調べてみると、藤田まことさんも白木みのるさんもほとんど同い年なんですね。あの当時の白木みのるさんは少年にしか見えなくて子役だとばかり思ってた。当時の子供の僕が「エラいしっかりした子供やな」と思ったかどうか、まぁ後々にはそう思って実際の白木みのるの年齢を知って驚いたんでしょうが。「てなもんや三度笠」にはあの時代のお笑いのスターたち、漫才師やコメディアンなどがいっぱい登場してました。「てなもんや三度笠」のドラマの中から、あの時代の流行語もいっぱい生まれたし。一番印象に残る流行語は何と言っても、番組オープニングのショートコントで主演の藤田まことがあんかけの時次郎の姿で出て来て、着物の胸元からお菓子を取り出し、「俺がこんなに強いのもあたり前田のクラッカー」というセリフ。必ずバックに古いお堂の観音開きの格子戸があった。前田製菓一社提供でしたからね。子供の頃、前田製菓のクラッカーもよく食べてました。前田製菓にはクッキー様の甘い小さなビスケット菓子があって、クリケットという名前の袋菓子で、このお菓子の思い出は、小学生当時よく通った家の斜め前の映画館の売店で買って、映画見ながら食べてた記憶。

 流行語といえば、「てなもんや三度笠」の中で藤田まことさんが流行らせたギャグ、「耳の穴から手突っ込んで奥歯ガタガタいわしたろか!」がありましたね。「てなもんや三度笠」には時代の売れてた人気者芸人が入れ替わり立ち代わり毎週出演してましたから、その芸人たちが自分たちの持ってるギャグを毎週披露してました。「てなもんや三度笠」から流行したギャグも多いと思います。財津一郎さんの「さみしーっ」とか「ひじょうーに」とかいうギャグも流行しました。見た目口の大きな京唄子さんの「吸い込んだろか」とかね。その他いっぱい。そういった当時のテレビのギャグは学校行ってみんなの前で真似して、みんなでワイワイ言って楽しんでました。

  「てなもんや三度笠」がテレビで放映されてた期間って1962年から68年まで六年間も放送されてたんですね。毎週日曜日夕方6時からの放送で30分番組。この期間って調度、僕の小学校行ってた期間ですね。僕の小学生六年間の間まるまるです。僕の記憶だと僕が小学校低中学年時は毎週見ていたけど、僕が小学校高学年になってた頃はあんまり見ていなかったように思う。僕も当時はテレビっ子だったから小学校高学年でもこの時間帯、何か番組見てたんだろうけど、裏番組に何がやっていたかよく覚えてない。ただ日曜日この時間帯の裏番組でNHK 夕方六時から「ポンポン大将」というドラマをやっていたのは覚えている。「てなもんや三度笠」と同時間帯だが番組を見た記憶はある。本来落語家の桂小金治さんが主演していた、まぁホームドラマ的な生活コメディードラマで、調べたら放映期間は1960年から64年で三年半放送されていたそうだ。複数回見てる記憶があるけど、時には「てなもんや三度笠」見ないで「ポンポン大将」見てたのかな。他は記憶にある番組はないなぁ。小学生時代はこの時間帯はほとんど「てなもんや三度笠」見てたんだろうなぁ。

  番組オープニングのミニミニコントのシメに、あんかけの時次郎の「俺がこんなに強いのもあたり前田のクラッカー」のセリフがあって、そこから主題歌に乗ってタイトルバックが始まる。キャスト·スタッフ等の紹介は漫画絵に書き文字。アニメではなくて紙芝居みたいな連続する何枚かの静止画。当時はテーマソングも流行りましたね。

♪雲と一緒にあの山越えて 行けば街道は日本晴れ おいら旅人一本刀
「おひかえなさんせ」「おひかえなすって」
 腕と度胸じゃ負けないけれど なぜか女にゃちょっと弱い

 という歌が、番組オープニングで一番だけ流れた。本当はこの歌は三番くらいまであるんだけど、番組では一番しか流れないから一番の歌詞しか知らなかった。当時はドーナツ盤のレコードも出てたけど、子供の僕はレコードを購入するほどでもなかったな。もう一曲、番組挿入歌で ♪てなてなもんや てなもんや~ という、あんかけの時次郎と珍念が二人掛け合いで歌う歌もあった。この歌は舞台劇のドラマの中で、あんかけの時次郎と珍年の二人で歌ってた。番組では毎週のように、当時ヒット曲を飛ばしていた演歌や歌謡曲の歌手がゲスト出演して、自分のヒットしている持ち歌を歌っていた。勿論、ドラマの中で何らかの役で演技もしていた。

 

  漫画になった「てなもんや三度笠」は、当時流行したコミックスで、B5判雑誌サイズでページ数だいたい100Pから140Pくらいまでの、まぁ雑誌的な単行本で、貸本出版の大阪日の丸文庫から全二巻刊行されてます。これは僕は貸本屋で借りて来て読んでます。作画はデビュー間もない水島新司氏。

 貸本漫画からデビューした水島新司氏のデビュー作は、大阪日の丸文庫の刊行する短編オムニバス誌「影」に1958年に収録された短編作品です。「てなもんや三度笠」の第一巻の方が出版されたのが64年。漫画家デビューからもう5、6年経ってる訳だから「デビュー間もない」ということはないですね。画業五十年を越える水島新司先生の漫画家人生からすると“初期”作品かな。64年は水島新司先生が本格的にメジャー雑誌に作品を描き始めた年ですね。

 水島新司さんというと、日本漫画史に残る野球漫画の第一人者ですが、64年、メジャー雑誌に登場した当初は他のスポーツ根性漫画を描いてました。64年メジャー雑誌執筆は連載作品では少年画報社の週刊少年キングからだと思います。64年から67年頃までは少年キングに、卓球漫画やサッカー漫画などのスポーツ根性漫画の連載を続けてました。隻腕というハンデを背負っていたり、貧しい家庭の子供だったりと逆境にいながら不屈の意志で頑張る根性漫画が多かったですね。雑誌連載の初期は原作付きの作品も多かったですね。特に、昭和の人気ドラマを数々手掛けた脚本家で小説家の、花登筐氏の原作が目立ちますね。65年頃のキング連載の「下町のサムライ」はサッカー漫画だったっけな?あれは原作付きだったか?済みません、忘れました。花登筐氏原作作品では、70年の週刊少年チャンピオンに連載された「銭っ子」を印象深く覚えています。水島新司先生は初期の作品はオリジナルも原作付きも、けっこう人情漫画というかヒューマン漫画というか、辛く苦しく悲しい境遇にさらされた少年が逆境に挫けそうになりながらも、その精神力や周囲の人たちの暖かい人情・友情で立ち上がるような、泣かせるドラマも多かったように記憶してますが。スポーツ根性・熱血漫画ですが、67年頃キングに連載されてた、梶原一騎氏原作の「ファイティング番町」なんか、好きな漫画だったな。

 最初期の野球漫画では、大阪日の丸文庫が出版してた月刊雑誌「まんがサンキュー」に連載されてた「どんちゃん」とか、「まんがサンキュー」休刊後新たに出版した月刊誌「まんがジャイアンツ」に連載されてた「だぶだぶワンちゃん」とかありましたね。それが64年65年頃ですね。花登筐氏原作の野球漫画「エースの条件」はもっと後で、69年の週刊少年キング連載ですね。佐々木守氏原作の野球漫画「男どアホウ甲子園」は、69年の週刊少年サンデーで連載が始まり75年までも長期連載されました。水島新司先生の作品のカラーがほとんど野球漫画一辺倒みたいなイメージになるのは、70年代に入ってからかな。72年に週刊少年チャンピオン誌上で始まった、氏の野球漫画の代表作のように有名になった作品「ドガベン」は、最初は柔道漫画だったんだけどね。連載当初の「ドガベン」読んで、しばらくチャンピオン見なかったら、間空けてチャンピオン読んだとき「ドガベン」が野球漫画になってて「あれ?」って思ったのを覚えてる。山田太郎は柔道やってた筈なのに‥、と。

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 1962年から68年まで足掛け六年も放送された人気コメディー舞台劇ドラマ「てなもんや三度笠」ですが、劇場映画としても何作も作られています。63年から67年まで東映で二作、東宝で三作映画化されてますね。僕はネット動画で「てなもんや三度笠」を見ました。一番最初に作られた劇場映画で東映の作品ですね。63年制作公開です。この時代の有名なコメディアンが脇役に多数出演してました。映画は一本の骨になるストーリーがあるのですが、内容はコントが次々と連続して繋がって進む感じですかね。

 僕は小学生時代の住まいが邦画のロードショー公開の映画館の斜め前にあり、よく映画を見に一人で映画館に入ってました。この邦画専門の映画館は、東宝・東映・大映・松竹・日活の新作映画を毎回二本立てで、だいたい二週間交替か十日交替くらいで掛けてたと思います。客入りが悪ければ一週間で変えてたのかな。いや、普通に一週間で変えてたのかな?何しろ僕の小学生当時の記憶だからな。五社の新作映画を代わる代わるだから都会の映画館に比べればロードショー公開とか言っても多少のずれはあったんだろうけど。

 小学生時代は喜劇映画はクレイジーキャッツのものはよく見たけど、映画版の「てなもんや三度笠」を見た覚えはないな。他の喜劇映画もよく見てますけどね。森繁久弥の社長シリーズとか、コント55号やドリフターズのものとか。 「駅前旅館」とかも見てるな。

 60年代コメディーTV ドラマで「スチャラカ社員」というのが毎週日曜日の正午から放送されてたんだけど、子供時代この番組も見ていたけど、これに若き藤田まことが出演していたというのは全く記憶から抜け落ちていた。覚えていたのは女社長役のミヤコ蝶々と、幹部社員の中田ダイマル·ラケットの漫才コンビ。あとは夢路いとし·喜味こいしの漫才コンビも出ていたように思うんだがどうだろう(?)。「スチャラカ社員」を見ていたのは小学校低学年までで、あとは裏番組の「大正テレビ寄席」を見てた。多分僕は「スチャラカ社員」を63年~64年頃までしか見ていないんで、この喜劇ドラマは60年代前半には放送は終わってたんだろうと思っていたけど、調べてみたら「スチャラカ社員」って67年までやってたんですね。「スチャラカ社員」放送の後半は全くと言っていいくらい見ていない。「スチャラカ社員」の放送期間は何と61年から67年までの長期間になってるから、僕は多分小学校上がる前から小学校二年生か三年生くらいまで見てますね。あとは裏番組の「大正テレビ寄席」。でも「スチャラカ社員」に藤田まことや白木みのるが出演してたのは全く覚えてないなぁ。

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 「てなもんや三度笠」は戦後昭和の児童月刊雑誌「少年ブック」の表紙になったこともあったんですねぇ。ただし、僕の記憶では「てなもんや三度笠」のコミカライズの漫画は、少年ブックに連載はされていません。上記の画像の雑誌・少年ブックは1967年2月号ですね。一月の5日か6日発売の月刊誌2月号は、当時は第二新年号と呼ばれることが多く、付録も豪華にいっぱい付いてました。新年1月号の発売は前年の12月6日頃ですから、実際子供がお年玉で購読するのはだいたい第二新年号の2月号ですからね。

 月刊誌・少年ブックに「てなもんや三度笠」は載っていなかったけど、似たようなコメディー時代劇TVドラマのコミカライズで「てんてこ漫遊記」という漫画が連載されていました。1966年の少年ブックですね。「てんてこ漫遊記」のドラマを見た記憶はあるのですが内容をよく覚えていなくて、舞台劇だったのか戸外でのロケ撮影だったのか、あるいはスタジオでのセットだったのか全く憶えてません。ただ、主演が、戦後昭和のTV黎明期から60年代の、たくさんの人気コメディアンの中の、代表的な一人でもある、茶川一郎さんが勤めてました。主役が茶川一郎だった、というのはよく覚えてます。茶川一郎さんはお笑い芸人ではなく、藤田まことさんと同じく、コメディードラマや映画の喜劇俳優でしたね。飛び出たような大きな両目が印象的でした。

  TV ドラマ「てんてこ漫遊記」を調べてみると、1966年のTBS 系列、水曜夜の七時半から八時までの30分放送ですね。僕は放映を見た記憶はあるけど内容をよく覚えてないから、僕自身はテレビっ子ではあったけれど、この番組はそれほど熱心には見てはなかったんでしょうね。コミカライズ「てんてこ漫遊記」の漫画が少年ブックに載っていたのも記憶はしてるけど、漫画の方も内容までは覚えていません。月刊誌真ん中あたりに一色掲載で載ってたギャグ漫画で、そんなに人気漫画でもなかったと思います。作画の漫画家の方に失礼だけど。

 本来、貸本専門の出版社であった大阪日の丸文庫(光伸書房)が、1963年頃から出版界で流行し始めたB5判雑誌形態の単行本コミックスを、64年、日の丸文庫専属のように日の丸文庫刊行の貸本誌で描いていた水島新司氏にコミカライズで、TV人気コメディー「てなもんや三度傘」を“日の丸ワイドコミックス”で描かせて、貸本ではなく普通の市販書店に流通させた。この時代に流行したB5判コミックスは雑誌「少年」を出版していた光文社が発行した、「鉄人28号」や「鉄腕アトム」の“カッパコミックス”が有名ですね。

 貸本誌ではなく、普通の書店で市販されていたB5判コミックス本ですが、当時の貸本屋でも取り扱っていて、貸本屋で借りて読むこともできました。でも、僕の毎日通っていた近所の貸本屋には「鉄人28号」や「鉄腕アトム」のカッパコミックスは置いてなかったなぁ。東邦図書出版社の「キングロボ」は置いてたなぁ。東邦図書出版のは“スーパーコミックス”となってますね。楳図かずおさん作画の「マスクボーイ」という少年ロボット漫画があるんですが、これはB5判コミックスで65年に刊行されて、この本も確か東邦図書出版だったと思うのですが‥。

 調べたら、楳図かずおさんの「マスクボーイ」はB5判コミックスで、やはり東邦図書出版社発行のようですね。スーパーコミックスではなくて、“東邦のまんが-ホームランブックス”になってますね。

 日の丸ワイドコミックスの水島新司さん作画「てなもんや三度笠」は僕は貸本屋さんで借りて読んだのを記憶してるんですが、これの第1巻は64年の発売で、第2巻の方がいつ発売かはっきりしないのですが、まぁ多分、64年中か65年頃でしょう。僕が六歳のときからほとんど毎日通っていた近所の貸本屋さんは老夫婦でやってたんですが、ある日お爺さんの方が急に亡くなっちゃう。お爺さんが亡くなってから何ヶ月かお婆さんだけでやってたんですが、奥さんの方はお爺さんに比べるとだいぶ若く見えてたけど、まだまだオバサン呼びで通用するくらいだったけど、まぁ、お婆さん一人で、う~ん、あんまりよく憶えてないけど、半年から三ヶ月くらいの短い間だけだったように思う、お婆さん一人で営むのは大変過ぎたのか、ついに僕が11歳のときに店じまいする。永久閉店。僕が11歳のときの春か初夏頃にこの貸本屋は店じまいした。

 家の近所の貸本屋がなくなって毎日通ってた貸本屋の貸本借りが途切れてしまい、しばらくは貸本屋で漫画本を借りて読むことはなくなった。で、実は大通りを挟んだ向こう側にももう一軒、貸本屋があって、こっちはまだやってた。けれど、道路挟んだ向こう側は隣町になり、近いっちゃ近いんだけど、僕の中で何となくテリトリー外な気持ちがあって、小学校六年間行ったことが一度もない貸本屋だった。

 多分、中学生になってからだと思うんだけど、この道路挟んだ貸本屋、僕にとって未知の貸本屋に通い始めた。でね、記憶にあるのが、日の丸ワイドコミックスの「てなもんや三度笠」をこの貸本屋で借りて来て読んだ覚えはあるんだよね。水島新司・作画の2巻の方だったのかなぁ?そこんところはあんまりはっきりしない。1巻の方を六歳から毎日のように通ってた貸本屋で借りて読んで、2巻をこの新たに通い始めた貸本屋で借りたのか?まぁ、どっちでも良いっちゃどっちでも良い話なんですけど。

 この新たに通い始めた貸本屋は、多分僕が中一から行き始めたんだと思うんですが、あんまりはっきりしない。六歳から通っていた近所の貸本屋が小五のときに店じまいして、それからしばらく貸本借りて読むことはなく、中一か遅くとも中二のときに通い始めて、直ぐに行かなくなった。

 僕のおぼろな記憶では、この貸本屋の背面の棚いっぱいいわゆる“貸本漫画”が並んでいたけど、貸本末期に突入していた時代、この店では新しい貸本漫画は取り寄せてはなかったように思う。僕が中一というと68年とか69年ですから、もう貸本漫画はほとんど消滅間近の時期ですね。貸本漫画はA5判ソフトカバーが主流だったんだけど、60年代後半に入ると貸本専門出版社も“新書版コミックス”にシフトチェンジし始めた。この時代の“新書版コミックス”で一番売れていて一番有名だったのが秋田書店の「サンデーコミックス」ですね。この道路挟んだ隣町の貸本屋は新書版コミックスは扱っていなかったように記憶する。多分、この時代にはもう、この地域の貸本漫画の取次ぎをしていた貸本専門の問屋がなくなったんじゃないかな。だから貸本漫画の仕入れができなくなった。多分、そうなんじゃないかと思うんだけど。戦後の出版業界で貸本漫画の問屋は、普通の市販雑誌のメジャー問屋とは別に独自で発展して行きましたからね。このあたりのこともね、「貸本漫画リターンズ」の中で解説していたと記憶するんだけど、あんまりはっきり覚えていない。どうも済みません。

 「貸本漫画リターンズ」という本は、戦後出版業界の歴史の“貸本漫画”について知るには、その流通も周辺の仔細も含めて、勿論、貸本漫画の様々なジャンルの内容や流行を主体に、貸本の全ての情報を網羅したような本で、とてもよく解る解説本です。「貸本漫画リターンズ」もう絶版になって久しいけど。貸本漫画は1970年には完全に消滅したと言い切っていいんじゃないかと思います。貸本専門の出版社も何社かは新書版コミックスを出していたけど、貸本専門の流通システムが完全になくなって、市販雑誌の流通システムに乗せて“貸本”でなく販売漫画書籍としてコミックス漫画本を売っていたけど、ほとんど成功しなくてコミックスのレーベルもなくなり、僕の記憶でイメージにあるのは、貸本専門の出版社だったひばり書房が「ひばりコミックス」で怪奇漫画を刊行し続けてその後も残り続けたくらいですね。戦後貸本文化は1970年にはなくなった。

 で、僕が小一から小五まで通った貸本屋がなくなって、道路挟んだ向こうの隣町だから何となくテリトリー外意識のあった貸本屋に中一くらいから行き始めた僕でしたが、貸本の新刊というのはなく、多分、何か市販の漫画雑誌をこの店で貸本して営業してたみたいでした。オボロな記憶だけど。新書版コミックスは扱ってなく、何年か前から流行りのB5判雑誌タイプのコミックスも置いていた。だからこの店で光文社カッパコミックスの「鉄腕アトム」を借りた覚えもある。店の背面壁の棚には古いA5判貸本がいっぱい並べられていた。古い貸本漫画を借りた覚えもある。

 この貸本屋には本当に短い間しか通っていない。何故かというと、僕の馬鹿行為で行けなくなった。これは本当に僕の馬鹿者行為で未だに忘れられない超ネガティブな記憶で、少年時代の大きな恥の一つです。

 実は、ここで週刊少年キングの当時のある号を借りて来たのですが、家でワガママ・パーな子供だった僕はカンシャクを起こして家の庭でだったと思う、その借りて来た雑誌をバリバリに破いてしまった。多分、僕の要求が母親に通らず、カンシャクを出して母親に見せ付けるように本を破いたんでしょうね。母親に見せ付けるって、僕が借りて来た本を自分で破損したら本を返しに行くのは僕なんだから自分が困るだけなのにね。そんなことも解らない馬鹿ガキだったんですねぇ。

 この行動は、小三くらいの幼い子供が玩具店の前で親に「買って買って」とダダをこねて道路に寝そべって泣いたりする、あれと同じものですね。当時の僕は中一かヘタしたら中二です。本当に幼稚で馬鹿な少年でした。中一の僕は母親に対して要求が通らずカンシャク起こして泣いてただろうか?さすがに中一くらいの年齢なら泣いてないか?でも相当な馬鹿ガキだったから泣いてたかも(?)。情けない話です。道路で泣きじゃくるのは小三でもやらないかな?五歳か六歳頃までの行為かな?

 結局ね、本を持たずに(バリバリ破いて紙くずになって本の形はなかったし)、当時の週刊少年キングの市販代金分のお金を持って、当たり前ですが自分で貸本屋に謝りに行きました。それからはこの貸本屋に行くことはなく、その内この貸本屋さんも店じまいした。

 このときこの貸本屋で店番してたのが、多分、子供会の行事でよく見掛けていたから同じ町内の、僕よりも三つくらい上級の女の娘で、勝気な感じの頭の良さそうな美人のお姉さんでした。僕が中一くらいでこの方はもう高校生だったんだと思います。顔立ちが良くキリッとしていて気が強そうで学業成績の良い女の娘だったと思う。

 僕もまさか家でカンシャクを起こして借り物の本をメチャクチャに破いたとか言えませんから、「なくなったから弁償します」の一点張りで通した。なくしたから弁償ならまだ良いと思ったんですね。意志を持って借り物の器物破損は犯罪ものですよね。お姉さんは簡単には許してくれず、とにかく持って来いとしつこく言われた。僕は品物の代金さえ弁償すれば済むくらいの安易な気持ちで来ていたので、もう一度探して来いととにかくしつこく言われ続けて、このときの僕は窮地で本当に困り果ててました。端から見たら、万引きした子供が万引きGメンのお姉さんに問い詰められてるような絵図だったでしょう。万引きした子供の警察の取調べみたいな感じでしたね。

 もう一度探して持って来い、と、もうありません、の押し問答がしばらく続いて、僕は泣きそうな感じで突っ立って謝り続けていた。だいぶ経ってから彼女の方が根負けしたのか、しょうがないと雑誌代金を受け取って解放してくれた。この当時の週刊漫画誌は70円か80円くらいだったのかな。綺麗なお姉さんは最後まで僕を睨み付けていました。結局それで僕はこの貸本屋に行けなくなってそのときから行ってない。このときは多分、高一か高二くらいのこの人と他に二、三人の子供が傍に居た。子供何人かで店番してたんでしょうね。他は中学生か小学生くらいの男の子だったかな?この勝気なお姉さん以外はよく憶えてないですね。

 このネガティブな思い出は僕の中で“恥”の記憶として残り続けてますね。俺は全くしょうがない馬鹿ガキだったなぁ、と。

 この貸本屋さんで借りて読んだ漫画で記憶に残っているのが、日の丸ワイドコミックスの「てなもんや三度笠」と、光文社カッパコミックスの「鉄腕アトム」の「ホットドッグ兵団の巻」と、ちょっと前のA5貸本単行本でさいとうたかをの「パクリ屋お六シリーズ」の一冊。さいとうたかをの“パクリ屋お六シリーズ”は僕の記憶だと貸本で二巻出てて、市販の青年コミック雑誌での短編でも描かれてる。ひょっとしたら僕が知らないだけで、“パクリ屋お六シリーズ”はもっと描かれてるのかも知れないけど。貸本のは二冊とも読んでるけど、一つはタイトル「くず篭に3匹」で、もう一冊のタイトルは忘れた。

 手塚治虫の鉄腕アトム「ホットドッグ兵団の巻」はこのとき初めて読んで感動したのを覚えている。ここの貸本屋に通ったのはほんの短い期間でした。多分、二ヶ月間もない、一ヶ月間中くらいの短い間だったかも知れない。

 ここの記事の後半は「てなもんや三度笠」とあんまり関係のない僕の思い出ばかりになってしまいました。恥の記憶も含んだ思い出。

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