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●漫画・・ 「ヒッチのもへい」

 「ヒッチのもへい」は講談社週刊少年マガジンの1963年第15号から52号まで連載されたギャグ漫画です。漫画のギャグジャンルに明確に“ギャグマンガ”という呼び名が使われ出したのは、赤塚不二夫の「おそ松くん」からです。それまではこのジャンルは“ゆかいまんが”と呼ばれてました。「ヒッチのもへい」は山根赤鬼・青鬼兄弟共作のゆかい漫画です。63年当時は、漫画作品でのお笑い・コメディジャンルは、「おそ松くん」も含めてまだ、“ギャグ”という呼び名では呼ばれてませんでした。といっても64、65年くらいになると赤塚不二夫の作品は、ギャグ漫画と呼ばれるようになる。赤塚ギャグ、ですね。そこからこのジャンルの呼称は、“ギャグ”一本に絞られて呼ばれるようになりました。赤塚不二夫の「おそ松くん」は、それまでの、ほのぼのとしたゆったり感の生活ユーモア漫画作品の総称である「ゆかいまんが」と違った、スラップスティック味のスピード感のあるドライな、新しいお笑い漫画として世に送り出されました。それは、それまでの児童月刊誌の「ゆかいまんが」ではなく、週刊少年サンデーに連載された、週刊誌の時代に即した「ギャグ漫画」でした。「ヒッチのもへい」は、週刊少年マガジンに連載され、月刊誌の時代の中では比較的スピード感は持ってましたが、まだまだジャンル「ゆかいまんが」でした。

 「ヒッチのもへい」は主人公の少年の無銭旅行もので、といっても明らかな無銭者でもないのですが、金を持たずにヒッチハイクで日本国中の名所を旅して回る物語です。ドジでちょっと間の抜けた主人公が、ヒッチハイクの旅先でちょっとした、まあ、何でもないよーな、たいしたこともない事件に巻き込まれるユーモアコメディ漫画です。駄洒落なんかも頻繁に出て来るほのぼの“ゆかいまんが”ですね。毎週連載される作品の扉の一つに、国鉄東海道線で特急の“こだま”が描かれています。この時代にではまだ国鉄の特急で一番早い列車は、“こだま(1958年から運行の東海道線ビジネス特急こだま)”だったんですね。東海道新幹線開通で“ひかり”が、夢の超特急と呼ばれて東海道線を走るのは、この連載の1年後の1964年ですね。64年の創刊2年目の週刊少年キング誌上で、島村ジョーことサイボーグ009が、新幹線“ひかり”と並んで走り、とても珍しく思って遠慮がちに「ちょっとだけ乗せてもらおう‥」と、高速で突っ走るひかりの屋根に飛び乗って、座って景色を眺め行くシーンがありました。何十年も経った今から考えると、東海道新幹線はトンネルが多かったから、どうしたんだろうなあ?

 僕が生まれて初めて週間(週刊)少年マガジンを読んだのは、63年の確か季節は春‥、多分、ゴールデンウィーク頃だったんじゃないか(?)、と思います。僕は6、7歳の年齢で、はっきりとはしないのですが、当時中学一年生くらいの兄貴とその友達に連れて行ってもらい、何かディズニー映画(101匹ワンちゃんかミッキーマウスか‥?具体的に憶えてません。)を見た帰りに映画館の近くの本屋で、サンデー・マガジン2冊を買って帰ったんじゃなかったかなあ(?)。この時のサンデー・マガジンに何が載っていたか、ほとんど憶えていなくて、印象深く記憶しているのはマガジンの「8(エイト)マン」とこの「ヒッチのもへい」だけなんです。どういう訳かこの二つだけ、しっかり覚えてた。「ヒッチのもへい」は多分、その前に読んでウケた、月刊誌「ぼくら」掲載の、同じ作者の「よたろうくん」と全く同じ絵柄の“ギャグ”漫画だったからでしょう。もっとも名義は「よたろうくん」は山根あかおに一人名義で、「ヒッチのもへい」は赤鬼・青鬼兄弟名義ですが。幼少の漫画初心者の僕に「よたろうくん」はハマったんですよ。後から考えると何てことない「1週間に10日来い」という、当時のヒット曲をもじったギャグを筆頭に、幼い僕は心底ウケて笑い転げたのを憶えています。

 数十年前の記憶ですが、この時に読んだ、週刊少年マガジンこの号掲載「ヒッチのもへい」のお話はですねー、確か奈良の名所を訪ねていて東大寺の大仏殿、奈良公園で鹿と戯れるシーンで、いくつか小さなギャグがあったんだと思います。何てことない駄洒落とか間抜けな行動とかの小さなユーモアですね。ヒッチハイク旅情ものですが、ほのぼの生活ゆかいまんがの領域の安心して読める楽しい、ゆるいお笑い漫画ですから。この時のお話かどうかよく憶えてないんですが、もへいが観光バスに乗り、素人バスガイド役をやって、「右をご覧ください。次は左をご覧ください。ハイ、首の運動終わり!」とやったギャグが、後に読んだ「よたろうくん」単行本の中で読んだエピソードでも、よたろうくん一家の町内会バス旅行の巻でも使われていたのを憶えてます。山根赤鬼氏のギャグですね。

 この巻頭画像の単行本表紙は、貸本B6版ハードカバーですね。東京きんらん社は、よくこういう、雑誌掲載の「ゆかいまんが」をまとめて1冊96Pから136Pくらいで刊行していました。雑誌掲載のストーリー漫画もあったけど、ギャグジャンルのものの方が多かったような気がする。雑誌掲載ストーリー漫画は連続するお話が長いから、出版し始めると巻数を続けて、何冊も多く刊行して行かなくてはならないからでしょうね。ギャグジャンルの漫画は長期連載作品でも、基本的に短編連作だから何処ででも切れますからね。きんらん社刊行の単行本は普通の本屋さんでも市販で買えたんですが、地方の本屋にはありませんでしたね。多分、当時でも注文すれば買えたんでしょうけど。大都市部の本屋さんには置いていたのかも。僕が6歳の頃、兄貴の部屋の書棚に、当時週刊少年サンデー連載の寺田ヒロオ氏の「スポーツマン金太郎」のハードカバー単行本があったのを記憶しています。当時の僕は幼稚園には行かず、小学一年一学期も登校拒否していたので、この漫画本は読めませんでしたけど。あの時の「スポーツマン金太郎」は小学館が直接出していたまとめ本かなあ?

 天才・赤塚不二夫が作り出した新しいギャグ漫画の世界もそりゃもう、それまでのギャグ漫画=ゆかいまんがの世界を塗り替えてしまった革命的な快挙の創作物ですが、僕は、赤塚以前の「ゆかいまんが」の持つ世界観、ほのぼのとして流れのゆったりした何処かのどかな、人情味のある、オッチョコチョイや間の抜けた、ヒトノイイ登場人物のドジ話、または落語の世界の八っつあん熊さんみたいな呑気な笑い話、あの戦後から続いて昭和40年代前半くらいまでには残っていた「ゆかいまんが」の世界に、激しい郷愁を覚えます。とても懐かしくてたまらないけど、決して手の届かなくなった場所、みたいな。

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