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●漫画・・ 「墓場鬼太郎」

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○ 墓場鬼太郎
 
キャラクター界の大スターであり、何世代にも渡る、子供たちの国民的ヒーロー、ゲゲゲの鬼太郎ですが、日本漫画史を代表する一人に数えられる大御所漫画家、水木しげるさんの代表作ですけど、ヒーロー鬼太郎の元々のルーツというか、最初の登場は貸本の世界でした。戦後少ししてからの50年代60年代に貸本という、まだ総体的に貧しかった時代の娯楽媒体がありました。貸本についてはこのブログ上で何度か解説を書き込んでますので、今回は詳しい説明は割愛させていただきます。よろしければ拙ブログ「Kenの漫画読み日記。」の06年4月の記事、「貸本マンガReturns」のトコロをお読みください。多分、ここが一番詳しく「貸本」について語っていると思う。水木しげるさんは貸本出身の漫画家です。貸本は劇画を誕生させた世界です。貸本の世界は60年代末には消滅して行きましたから、もう、貸本出身の漫画家さんも随分少なくなっているんではないでしょうか。寂しいものですけれども。水木しげるさんは、太平洋戦争の最前線の東南アジアから、九死に一生を得て復員された、戦争経験者です。もう一人の、貸本出身の漫画史を代表する作家、劇画をメジャーにした大御所漫画家、さいとうたかを氏も、もう70歳くらいの年齢ですよね。そしてもう一人、貸本出身の巨人がいますが、無論日本漫画を作った人の一人ですが、白土三平氏、この大御所も70歳以上になられますね。水木しげる先生は現在、85歳くらいの年齢になられながら、今もお元気なんですからすごいですね。水木しげるさんの代表作「ゲゲゲの鬼太郎」のルーツというか、元々の姿は、貸本漫画の「墓場鬼太郎」でした。墓場の鬼太郎、と呼びます。もっと掘り下げると、鬼太郎の真のルーツは実は紙芝居です。戦後紙芝居の人気作品、ハカバキタローから来て、貸本漫画に再生したものです。戦地から引き揚げて来て、荒廃した戦後の内地で、食べる為にいろいろな仕事をして凌いだ水木氏は、召集前から画家を目指していたこともあって絵心があり、紙芝居の仕事も行います。紙芝居の人気作品「ハカバキタロー」を手掛けたことから、作者の伊藤正美氏に断りを入れて、貸本漫画の世界に移った後、水木しげる先生オリジナルの「墓場鬼太郎」を制作した。という訳なんですね。1959年、貸本漫画単行本の怪奇アンソロジー誌「妖奇伝」に、墓場鬼太郎ものの第1作、「幽霊一家」が発表されます。ここに、後の、国民的ヒーロー、ゲゲゲの鬼太郎の原型が誕生した訳です。貸本の墓場鬼太郎シリーズは短編、中篇と発表され続け、貸本出版社を変えて長編を数作、1964年まで発表され続けます。貸本文化の終焉が近づくと共に、水木氏も執筆活動の場をメジャーである雑誌へと移します。

 

 漫画作家、水木しげるさんの代名詞ともなった、「ゲゲゲの鬼太郎」という作品のヒーロー、鬼太郎は、人間に害を及ぼす妖怪を退治する、正義の味方、人間の味方というヒーローキャラですが、元々の「墓場鬼太郎」の頃は、鬼太郎は、そういう正義のヒーローというキャラではありませんでした。鬼太郎は妖怪ではなく、幽霊族のただ一人の生き残りであり、父親の目玉親父も幽霊族ではある訳ですが、人間とは関係なく、ごく自分の生活をしている個人でした。時代的にまだまだ貧しい50年代から60年代前半の時代背景ですから、大勢の人間達の生活の影で、人知れず静かに闇に暮らし、産み落とされた幽霊族の末裔としては、ゴミ箱を漁り、拾い食いし、時には人間をばかすような真似をして、何とか食べ物にありついて生きている、人間の生活から見ればアウトサイダーのようなアウトローのような存在でした。鬼太郎には、別に、人間を守ろうとか、正義などという大儀は全くありませんでした。不良であり、乞食であり、ニヒルな存在でした。人間に依頼されて妖怪と戦うのは、「墓場鬼太郎」の中では、最後頃の2編くらいだけですね。それもやはり、生活の為、取り合えず食べる為の、お金の為に受ける仕事です。正義のヒーロー「ゲゲゲの鬼太郎」を除く、「墓場鬼太郎」やその他の傑作短編など全作品に流れているニヒリズムは、多分、水木しげるさんが戦争中、最前線にやられ、地獄の軍隊で毎日、殴り蹴られされながら、生死の境界線を必死で生き抜いて復員し、焦土の中の赤貧の生活で何とか食べて生きて来た、その人生前期が自然ともたらした雰囲気なのではないでしょうか。勿論、非常にユーモラスで、楽天的な感じさえ受ける程なのですが、間違いなくシニカルでニヒルです。でも、ホント、長編「河童の三平」も含めて、とぼけたユーモアに溢れてますね。もう一つの長編、「悪魔くん」シリーズに関しては、ここでは論じないことにします。あれは水木作品ではちょっと異色ですから。だから元々の鬼太郎はね、人間とは関係なく自分の生活を生きるマイノリティーで、他の魑魅魍魎などの闇の存在と共に暮らし、時折、その生活を邪魔する人間が居れば、他の妖怪達と協力して、行いの良くない人間たちを懲らしめる、人間の一般市民の生活という表側に対する、影の部分にひっそりと存在している少数派であり、ヒーローなんかではとんでもなく、アウトローやアウトサイダーですね。この時代の鬼太郎は、やはり日本の、まだ電気が電化という文明をもたらす前の、前近代的な幽霊や妖怪の棲む、民俗学的文化の産物を踏襲した、影の、闇の存在ですね。

 後に、何世代にも渡る、子供たちの国民的ヒーローとなる鬼太郎の、本編「ゲゲゲの鬼太郎」は、1967年の少年マガジンから開始されます。68年からTVアニメ開始、それまでになかった、妖怪という怪物を倒して人間を守る、新しいタイプの正義の味方勧善懲悪ストーリーが、正統子供ヒーローものジャンルの、メジャーに昇格し、確固たる大きな位置を占めます。67年の少年マガジン誌上リニューアル登場以前から、鬼太郎はまだ「墓場の鬼太郎」の旧名のままで、講談社系、週間少年マガジンや月刊別冊少年マガジンにて、65年から、読み切り短編や3回程度の短期集中連載で掲載されているんですけど、まだはっきりとは、人間を苦しめる悪の妖怪を倒す正義の味方サーガにシフトチェンジをしきれていなかったので、貸本から雑誌に移った当時はあまりパッとせず、人気もそれ程出ませんでした。僕は、貸本時代の鬼太郎をよく知っていたので、別冊少年マガジン掲載の短編の鬼太郎も、面白く読んでいて好きでした。でも65年66年当時の雑誌掲載分の、短期集中連載の中篇、「墓場の鬼太郎」のお話は、貸本時代の長編のストーリーの焼き直しが多く、デティルはもっと洗練されて緻密になっているものの、基本的な大筋は同じお話でした。鬼太郎が、髪の毛を鋭く硬い針にして飛ばしたり、下駄やチャンチャンコを脳波による、リモコン操作で自由に操って武器にしたり、妖怪アンテナまでもが、雑誌連載から始めた超能力でした。貸本時代の鬼太郎はただ不気味なだけで、これといった特殊な能力は持ってはいませんでした。人間が、コンクリに詰めて殺した筈なのに、切り取った手だけがクモのようにカサカサ動き回るとか、まるでお化けのような怪異な力だけでした。後は、お父さんの目玉親父が、人間を連れて自由に地獄に出入り出来るだとか。スマートな超能力を使えるようになったのは、アニメ化されてからですね。最近のアニメ分では、身体から高電圧の放電を出来るとか、新たな超能力を持っているみたいですね。でも、僕個人としては、貸本時代や雑誌移行当時の、決して揺ぎ無い人間の味方なぞではない、もっと泥臭かった鬼太郎の方が好きですね。滅びかかった闇の存在のマイノリティーで、恐れられ差別されて来た幽霊族の極少の生き残りが、自己犠牲的に人間を助ける、絶対の人間の味方だなんて、そんなの嘘に決まってるじゃないですか。墓場鬼太郎はけっこう弱かったですよ。ぼんやりしていて間が抜けていて、隙だらけで、悪い人間やネズミ男にすぐ騙されるし、害毒的な悪の妖怪には簡単に落とされる。むしろ寝返ったネズミ男に救われたり、ネズミ男や目玉親父の活躍の方が目立ちます。「墓場鬼太郎」全体の物語は、民話的な怪異譚と、それと、赤貧の底辺層をシニカルに笑う、おとぼけのニヒルなユーモア生活ストーリー、かな。あ、それから、この時代の鬼太郎には、はっきりとした妖怪と呼ばれるものは、出て来ていません。

Photo_91  「ゲゲゲの鬼太郎」以前の墓場の鬼太郎のシリーズは、65年66年当時雑誌掲載の中篇短編を集めてまとめたものが、「墓場の鬼太郎」のタイトルで数巻、講談社コミックスで60年代末頃に発刊されましたが、当然、今は絶版でしょう。この分は70年代、講談社漫画文庫にもなりました。貸本時代の「墓場鬼太郎」シリーズは、76年に二見書房サラ文庫から全3巻で、2001年に朝日ソノラマの水木しげる貸本漫画傑作選の中で3巻が出版されています(この分は初出、86年でした)。いずれも3巻の内容は、貸本時代の62年から64年までの兎月書房、佐藤プロ、東考社からの出版分、長編6話です。貸本鬼太郎でも、それ以前の作品は、なかなか復刻がされなかったのですが、この度の角川文庫の「貸本漫画復刻版-墓場鬼太郎」シリーズには、59年の鬼太郎初登場誕生秘話から62年までの、鬼太郎物語漫画の最初期の、兎月書房、三洋社出版分が収録されていて、貸本墓場鬼太郎のコンプリート完全版を達成しております。快挙ですね。アニメ鬼太郎しか知らない若い読者たちは、自分たちよりもずっとずっと先に生まれていた鬼太郎が、自分たちの知っている誰もが知っている、正義のヒーロー鬼太郎と、誕生後数年間の泥臭い鬼太郎が如何に違うキャラであるか、を驚嘆と共に知るのもいいと思います、です。「ゲゲゲの鬼太郎」は過去4回もアニメ化されていて、なおも07年4月からまたも新規に、第5期アニメ化され、放送されてます。07年4月に全国ロードショーで、実写映画版の「ゲゲゲの鬼太郎」が公開です。50年近くも前に食うや食わずで赤貧の生活の中で、水木しげる先生が生み出した、当時はまるで毒虫かゴキブリのようでもあった主人公が、不動の国民的ヒーローとして誰ひとり知らぬ者は無い程のキャラクターになってるんですから。驚きですし、水木しげる先生はやはり、天才の一人ですね。

Photo_86  ○ 顔の見えない殺人鬼たちの時代
 う~ん、やっぱ、最近のニュースだと、英会話教室NOVAの英国人美女教師が殺害された事件かなあ。TVのニュース番組で、イギリスのお父さんと恋人の会見が写っており、涙を流して訴える悲痛な会見だった。はるばる東洋の、治安の良い筈の先進国に来て、英語教師として普通に仕事をしていたのに、無残に殺されてしまった。親族や親友・恋人はたまらないだろう。きっと日本人そのものを憎んだだろうね。ニュース番組では事件について、英国ロンドン近郊の静かな町の実家近隣でインタビューしていたが、インタビュアーが日本人だと、いきなりぶん殴られはしないかと、思わずはらはらして見た。警官数名が職務質問に訪れた容疑者の青年宅で、マンションのドアが開くと男が飛び出して来て、警官の間を割って逃走、追いかけた警察官を振り切って、リュックを落とし、靴も落として裸足で、男は逃げ切ってしまった。この容疑者となって逃走中の若い男は、何と国立千葉大出身で両親は医師と歯科医の夫婦、資産家の家庭の息子であった。あまり日本語が喋れなかった美貌の22歳イギリス人女性は、無残にも、ベランダに運ばれたバスタブに、無理に折り曲げられて中に入れられ、いっぱいに盛った園芸用の土に埋められた形で、死体となっていた。死因は絞殺っていってたっけか(?)。撲殺?しかし、今の時代は恐いよねえ。最近の殺人事件の犯人て、何かみんな、普通一般の隣人だもん。特別、日頃から動向のおかしいような変わった人なんかじゃなくて、ヤクザ者などの前科のある人とかじゃなくて、ごくごく普通の一般市民なんだもの。それがストレートに殺して来る。恐いなあ。最近の家宅侵入者は先ず殺す。金の無心でも、泥棒でも、もう、すぐに殺しに掛かって来る。侵入してから先ず住人を殺すことから始める、という強盗も居た。昔から常識的に、泥棒は先ずは住人に見つからぬように、抜き足差し足忍び足で家捜ししたものだ。それがもう手っ取り早く殺してから仕事を始める、という残忍・冷酷さ。本当に今の人たちは恐ろしい。誰がいつ殺人者になるやも知れぬ、というような恐怖がある。隣の人の良いおじさん、掃除をしている控えめなおばさん、おせっかいやきなおばさん、親切な学生、裕福そうな若奥さん、真面目な勤め人のおじさん、おとなしくて優しそうな学生、いったい誰がいつ殺人者になるかも知れぬ、という顔の見えぬ殺人鬼の時代だ。と、いう気がしている。

 殺害されたイギリス人女性、リンゼイ・アン・ホーカーさんは、指名手配されている、28歳の市橋達也容疑者にストーカー行為をされていたらしい。しつこく追い回す容疑者を不快に思っていた、被害者リンゼイさんだが、何故か、男のマンションにまで行って部屋に上がっている。市橋は英会話の個人レッスンを依頼していたものらしいが。無職だが家が資産家の容疑者は金持ってて、破格の授業料で釣ったのかなあ?リンゼーさんの死因は絞殺だが、殴打跡があるらしい。恐ろしい男だ。まだ逃走中らしいが、顔も身元も何も全部はっきりしている男だし、バックに組織がある訳で無し、いづれ捕まるだろう。緊急来日したリンゼイさんの父親とフィアンセは、日本でも会見し、涙ながらに、絶対に許せない、と怒りと共に悲痛に訴えていた。同じ変態でも痴漢とかいうのは、まだ可愛げがある。今の変態は人殺しをする。恐ろしい世の中になっている。ネットの「自殺サイト」なるものを通じて知り合った、男女3人を相次いで殺害した男も、人が呼吸困難の状態で苦しむ姿に異常に興奮するという変態だった。呼吸が出来なくなり苦しみながら死に行く人間を見るのが無上の喜びであり、この男に取っての至上の性的喜びを引き起こすのだ。アメリカのサイコホラー映画に登場するシリアルサイコキラー、異常犯殺人鬼が現実の日本社会に出て来ているのだ。こういうヤツは真性の馬鹿だが、これも立派な変態で、恐ろしい鬼畜殺人魔だ。覗きとか盗撮とか痴漢とかならまだ笑う余地があるけれど、馬鹿野郎だが仕様が無えな、と許せそうな気もしないでもないが、今、じわじわとはびこりつつあるように感じられる、鬼畜殺人魔の変態たちは恐怖であり、脅威だと思う。日本は本国イギリスよりも安全と言っていたホーカーーさん父娘。しかし、英国人英会話教師リンゼイさんを追い掛け回した挙句、無残に殺した市橋も勿論、変態殺人鬼の一人だ。

 4月1日、駐日英大使が異例の会見で、被害者リンゼイ・アン・ホーカーさんのお父さんのメッセージを読み上げた。「娘は日本を愛していた。日本の人々と知り合うことが大好きで、日本は信頼と敬意の上に築かれた尊敬すべき社会‥」という内容が入っていた。僕はこの父上は立派な人だなあ、と感心した。僕が同じ立場なら、日本の国民全部を憎悪したのではないか、と思われるからだ。多分、現時点では個人的には、こんな国とは国交なんか持つな、くらいに怒りで思っただろう。日本人に親切で友好的な外国人に対して、ストーカー行為を行い挙句に殺害する、日本の国立大卒でハイクラスの家庭に育った、28歳で生活支援を実家から受ける、無職の男。大使がこういう会見で声明を出すなんて、はっきりとした抗議ではないにしても、もう、国際問題みたいなもんじゃないですか。この市橋容疑者には、両親も教育にはお金を掛けて、偏差値教育のエリートとなるよう育てて来たと思います。そして教育は成功し、高偏差値の国立大に受かり、無事卒業した。しかし、結果、やってることは白痴的な馬鹿な行為です。28歳にもなってこの行為は、低脳の馬鹿としか見えませんよ。小さい頃から教育にお金を掛けて、偏差値エリートに育て上げ、高偏差値有名大学を出して、一見、頭脳優秀な人間として育っているように見えても、中身は、実はこんな、社会的に俯瞰して物事を捉えることも出来ない、事象の前後を見て想像する簡単な思考力もない、白痴的な馬鹿にしか育っていない、という実例があるということです。政府は教育再生会議とかやっているようですが、先生も親も国家ももう一度、ペーパーテストの偏差値偏重教育を考え直すべきだと思います。

※市橋達也逮捕Ⅰ09-11/04
※市橋達也逮捕Ⅱ09-11/10
※市橋達也逮捕Ⅲ09-11/16
※市橋達也獄中手記の逃亡生活記録刊行2011-01/26

 

 ○ わかっちゃいるけどやめられない
 小学生の頃住んでいた家の斜め前が、邦画封切の映画館で、当時よく、一人でや友達と一緒に映画を見に行っていたが、子供の僕は特に、東宝の怪獣ものなどの特撮映画、加山雄三の若大将シリーズ、そして植木等主演のクレイジーキャッツ喜劇映画を好んでよく見ていた。当時、植木等さんは僕ら子供のヒーローだった。映画はおかしくて面白くて爽快だった。映画の爆笑を起こす主人公は、とにかく明るくてポジティブで悩まず気にせず楽しく、スマートで洗練された都会人のキャラだった。僕らド田舎の子供たちには憧れのキャラでもあったと思う。クレイジーキャッツのメンバーでは、当時の僕には輝きまぶしい植木等さんよりも、地味でおかしい谷啓さんの方を好んでいたように思う。ハナ肇さんとか犬塚宏さんには何故か少々苦手意識を持ってた。クレイジーキャッツはTVでも大活躍だった。僕がものごころ着いた時からもう、TVの超人気スターだった。毎週欠かさず見ていた「シャボン玉ホリデー」が懐かしい。「ヒットパレード」にもよく出ていたと思う。時々、TVの特番で舞台ショーの中継や録画のライブをやっていた。ジャズの音楽を演奏し、植木等さんが歌い、ギャグやコントが盛りだくさんだった。バラエティー番組では、ギャグやコントが秀逸だった。いつでも爆笑を呼び起こした。クレイジーキャッツは当時のお笑いの帝王だったろう。植木等さんの歌も楽しくて、大好きだった。年の離れた兄がクレイジーキャッツのいわゆるコミックソングのレコードを、買って来たり借りて来たりして、僕は毎日、たくさんの植木等さんの歌を聴いていた。「スーダラ節」は、当時、小学校のクラスでやっていたお楽しみ会で、教壇でクラスのみんなの前で、振り付きで歌った。ウケたのが嬉しかった記憶がある。当時の植木等さんのコミックソングでは僕は、「ハイ、それまでヨ」という歌が一番好きだった。「無責任一代男」「学生節」「五万節」「ドント節」「ホンダラ行進曲」‥。楽しい歌がいっぱいあったなあ。クレイジー映画で一番よく印象に残っているのは「大冒険」「奇想天外」あたりかなあ。植木等が日吉丸から木下籐吉郎をやった、コミック太閤記の、出世時代ものも憶えてるなあ。織田信長がハナ肇だったように思う。あれ?ハナ肇は蜂須賀小六だったっけかなあ?本当に懐かしい。

 

 植木等さんの育った実家はお寺で、父親は厳格な僧侶で、人の平等を説いて主張し、暗黒時代の中で投獄もされたような反骨の士であったらしい。厳しい父に育てられた植木等さんは真面目な性格で、本当の顔は、映画で演じていた、お調子者で無責任な、底抜けに楽天的なキャラクターとは正反対の人だったらしい。青島幸男さん作詞の歌が回ってきた時は、心底悩んだらしい。「スーダラ節」で歌われるいい加減なサラリーマン像は、植木等さんが理想とし目指す人格からは、掛け離れ過ぎた、軽蔑すべきようなキャラだ。歌を引き受けるかどうか、悩み続け、実家に帰り、厳格な父に相談すると、「スーダラ節」の有名な一節、解っちゃいるけど止められない、というのは親鸞聖人の教えと合致するところがある、放送作家であり作詞家の、青島幸男さんは天才だ、迷わず歌いなさいと、父親に言われ、植木等の「スーダラ節」が誕生したという。あの歌も「ハイ、それまでヨ」も、植木等でないと駄目だろう。他のキャラでは絶対ヒットしていない。青島幸男も天才だったが、あのサラリーマンキャラ、いい加減で調子が良くてスマートで洗練された都会派超楽天的爆笑キャラ、本当の自分とは正反対のあの無責任男キャラをやれたのも、植木等さんの天性のものだったろう。植木等という人は、渥美清と双璧の、昭和を代表する天才コメディアン俳優だろう。昭和を作ったヒーローがまた一人消えた。昭和は遠くなって行く。もう、そんなにしないで、昭和はただ、伝説になってしまうのだろう。自分の望まぬ役どころを仕様が無く、仕事としてやり、皮肉にも大ヒットして、無責任男を一生懸命やり切った植木等さん。坊主の道から外れたのは、一重にミュージシャンになりたかったかららしいが、昭和の高度成長時代の前期、蟻の如く働き続けるサラリーマンたちに、スクリーンやTV画面から元気を送り続けていたことは間違いない。また少年だった僕らにも、最高の笑いと楽しみとセンスを与えてくれた。

 

 ○ 日本一のホラ吹き男
 
植木等さんの追悼番組ということで、テレ東系木曜映画劇場で、往年の植木等さん主演の喜劇映画、「日本一のホラ吹き男」をやっていた。一部ミュージカル仕立ての如く、場面展開のシーンで、植木等さんが軽快に飛び跳ねながら歌う箇所が幾つも挿入されていた。お話の1エピソード毎区切りでミュージカルシーンのように、この映画内で植木等さんは何曲も歌い踊っていた。植木等さんは、よくとおる良い声質で、歌がうまい。先ず最初の主人公登場シーンは、大学陸上部のオリンピック強化選手の練習場面で、軽快に跳ねながら「東京五輪音頭」を歌いながら賑やかに登場する。途中、僕が子供の頃好きだった、クレイジーの「学生節」も歌っていた。レコードの「学生節」は一番が植木等、二番が誰だっけ、ハナ肇?三番は谷啓というふうに、メンバーでボーカルを変えていたが、映画挿入歌では、植木等のみで1番2番とボーカルだった。映画そのものは、ありえないコミック映画で、軽快でスピード感ある進行の洒落た喜劇映画だった。主人公が全面的に前向きでポジティブ全開で、ネガティブ、暗さが微塵も無いキャラで、日本人が生来持つ、くよくようじうじ反省立ち止まり悩み性格を吹き飛ばす、軽快で気持ちの良い、青空脳天気全開映画だ。毎日毎日コツコツ長時間働き続けて、苦しい労働に耐え続ける、高度成長期に入った時代の汗みどろの人たちみんなに、笑わせながら元気を与える映画だ。この時代の植木等さんの主演映画は、「無責任男」というタイトルが代表する、見てくれが猛烈に元気が良くて、お調子者で大口を叩き、ホラを吹きまくり、まるで責任を感じず、悩み嘆く上司の肩を叩いて、何事も笑い飛ばして済まし、自己中心主義で憎めず、底抜けに明るい前向きキャラの主人公の、ありえないとんとん拍子の出世物語が多いですね。その年中ウカレ男の主人公キャラを、スマートに都会的に演じていた。勿論、あのキャラの役作りが出来たのは唯一、植木等さんだけしか居なかった。やはり天性のセンスを備えた、稀代の喜劇役者だったんだな。しかも本当の素顔は実は、酒もギャンブルもやらない固い真面目な、筋の通った性格を持ちながら‥。

Photo_83  東宝映画「日本一のホラ吹き男」には、クレイジーキャッツの面々では、チョイ役で、谷啓、安田伸、桜井センリが出ていた。ヒロインは浜美枝。この当時の浜美枝さんは本当に可愛くて綺麗だなあ。植木等さんのこの手の映画シリーズでは、ヒロインは圧倒的に浜美枝さんが多い。子供の頃の僕には、浜美枝さん、星由里子さん、酒井和歌子さんといった、東宝の美人女優さんたちは、スクリーンの憧れでしたねえ。映画の製作のところには、渡辺晋の名前が入っている。当時の渡辺プロダクションの創設者であり初代社長の渡辺晋さんですが、植木等さんの才覚を、青島幸男さんと共に見出し伸ばし、それを積極的に売り出していったんでしょうね。やっぱり、一人の人間が育って行くということには、いろいろな人間が関わっているんだなあ。例え、天才的素質を持った人間でも、それを見つけ、育て、伸ばし、して行くいろいろな人間が周りで関わって行かないと、大成することは無いんだなあ、としみじみ思いますねえ。どんなに素晴らしい才能でも、才能は一人だけでは、大成するところまでは、先ず、育ちはしない。しかし、小学校からこっち学校の勉強はまるでして来なかった僕の脳味噌には、ろくに知性というものが無い訳なのだけれども、子供時分の脳が一番、情報を吸収して育つ時期に、僕の脳味噌を作ってくれた昭和のヒーローたちが、一人、また一人とこの世を退場して行くのは、寂しい限りです。浜美枝さん、「キングコングの逆襲」に出演していたんですねえ。子供の頃、キングコングがロボット・メカニコングと対決して倒す姿には感激したものだが、もう、細部はすっかり忘れているなあ。余談ですけど、感動的な話。植木等さんのお父さんのエピソードですが、戦時中、近隣の人たちが赤紙を受けて出征になると、寺に挨拶に来る訳ですが、その時、植木さんのお父上は、戦争に行くみんなに、戦地では出来るだけ危なくないところに居ろ、死んだらダメだ、絶対に生きて帰って来い、なるべくなら敵も殺さないようにしろ、と説いたんだそうです。今の時代では立派な平和的人道的意見ですが、あの時代では国賊ものの意見ですよ。世間に知れたら、即、憲兵が飛んで来て袋叩きで投獄でしょうね。実際に投獄されていたらしいですが。あの恐怖圧政時代に素晴らしい人だったんですね。その反骨の父に育てられた植木等さんの、ファンには表面では決して見せぬ、実像は本当は、正統派の人格者だったんだろうなあ、と思います。合掌。

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