うろ覚えライフ。

巷の旬な話題と情報への個人的意見、日々雑感。懐古・郷愁。漫画・映画・小説・ポピュラー音楽。

逃亡サヴァイバル

2011年01月26日 | 時事社会ログ

 

市橋被告「毒ヘビも食べていた」 手記でロビンソン的逃亡生活を告白

 

  沖縄の離島で「毒ヘビ」も捕まえて食べ、いつでも死ねるように「有毒のトリカブト」を持ち歩いていた――。イギリス人英会話講師の殺害事件で起訴された市橋達也被告(32)が、2年7か月にもわたった逃亡生活を手記で告白した。そこでは、「卑怯にも逃げた」自らの懺悔録が淡々とつづられている。

   市橋達也被告の逃亡生活は、本人が黙秘を続けるなどしてベールに包まれていた。それが、本人の口から手記という形でいきなり語られることになった。

逃亡続いた理由に離島の「アジト」

   この手記は、幻冬舎から2011年1月26日に発売される「逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録」。自ら鼻を針で縫ったり唇をハサミで切ったりした驚きの整形体験などを含め、全国20都府県ほどを様々な手段で逃げた様子が、本人が描いた挿絵入りでつづられている。

   長期間も逃亡を続けられた理由に、「アジト」の存在もあるらしい。

   この本によると、07年3月の事件後に、被害者のためにとして四国でお遍路の旅をしたが、自分の指名手配写真を見て、「無人島」への逃亡を決意した。しかし、飲み水の問題を考え、住民が少ない島がいいと、図書館で探して沖縄の離島を見つけた。

   そして、同5月中旬、久米島の東1.2キロにあるオーハ島に渡った。大潮の干潮時に陸続きになるのを利用して、歩いて渡ったらしい。食料などを準備したものの、森はジャングルのようで夜になると海は暗く、地獄のように感じた。また、魚も釣れず、海水から飲み水も作れず、途方に暮れたという。

   この島には、お年寄り3人ほどが住んでいることから、市橋容疑者は、彼らに仕事はないかと頼んだ。しかし、断られてしまい、いったんは島を去る。

   ところが、他所に行くと仕事はあっても疑われたことから、永住しようと再び島に渡った。飲み水は隣島で汲み、釣りや潜水もマスターしたほか、サバイバル本を参考に「毒ヘビ」を食べるのも覚えた。そして、島の南東部に米軍の監視小屋だったコンクリートブロック造りの小屋を見つけ、そこを「アジト」に潜伏生活を続けた…。

沖縄の関係者は逃亡先脚光に困惑

   結局、市橋達也被告は、オーハ島には、4度渡ったという。警察に見つかる身の危険を感じてのことで、そのときのために島で見つけた「トリカブト」の根も持ち歩いていたというのだ。

   無人島生活の経験がない市橋被告は、そんなに何度もロビンソン・クルーソー的生活を送れるものなのか。

   久米島町の総務課では、担当者がこう説明する。

「生活しようと思えば、できると思います。食べられる野草もいっぱいありますから。ただ、トリカブトは生えておらず、せいぜい食べてお腹を壊す程度の野草しかないはずです。浅いところにいる魚は、毒もなく大丈夫です。ハブはそんなに多くはいません。近づいても逃げるので簡単に獲れないはずで、本当に毒ヘビだったのかどうか」

   島には、住民がいたほか、沖合に観光スポット「はての浜」があるが、なぜ市橋被告が不審者に挙がらなかったのか。この点について、担当者は「住民に聞き取りをしていないので、不審なことに気づいていたかどうかは分かりません」と言う。

   今のところマスコミ以外の問い合わせはないというが、逃亡先として脚光を浴びたことについて「いいことで有名になるならいいんですけどね…。正直言いまして困惑しています」と話している。

   出版元の幻冬舎によると、初版は3万部だが、すでに2万部を増刷して好調な出だしだという。手記は、2010年6月に市橋被告に依頼したのがきっかけ。本人は、手記を書いた動機を「懺悔のひとつ」としており、印税は被害者の遺族に渡すことを望んでいる。その一方で、遺族は強い嫌悪感を示していると報じられている。また、裁判の情状酌量を考えているのではとの批判も出ているようだ。

 

 

 いやはや、必死の力、とはすごいものだ。市橋被告も、国立大学を卒業して、要するにニート生活で、資産家で金に余裕のある親から、生活の面倒見てもらっていて、住宅費も英会話学校の教習代もみんな払ってもらってたんだろうけど、必死になればこれだけのすごい生活力があるんだ。この必死の力の半分でも出していれば、大学出た後も余裕で、ちゃんと勤めてきちんと社会生活出来ていたろうになあ。

 皮肉なもんだなあ。お坊ちゃんの間はしたことも考えもしなかった、3K的な肉体労働を、逃亡間は真面目にこなしていた。プラプラ遊んで趣味の英会話なんぞをたしなんでいた市橋は、その気になればどんなことでも出来たし、(潜在的には)旺盛な生活力を持っていたんだ。必死になれば普段は怖い、捕まえたこともない毒ヘビだって捕えて料理して食べることも出来る。

 逃亡間のサヴァイバルをこなしてのけた生活力と精神力・意志力を、大学卒業後の社会生活で活用していたら‥。勿体ないけど、もうどうしようもない。ちょっと、もう、人生の修復が全く利かないことを犯してしまった。

 この本には、リンゼイ・アン・ホーカーさんを殺害に至るまでのことは書かれてはいないようですね。自分の逃亡生活の思い返し記録だけで。いったい何故、外人女性の英語教師を殺すまでせねばならなかったのか?そこが重要な点だと思うんだけど。強姦しようとして、あるいは強姦暴行などの犯行に及んで後、警察に通報されると判断したので殺してしまったのか?殺すつもりはなかったが、強姦に及ぼうとして暴れられたので、押さえ付けようとした暴行が行き過ぎてしまった、とか。あるいは最初から殺意があった、とか。猟奇殺人の類だったとか、いろいろと殺害の動機やプロセスがある。そこのところが一番重要だよね。

 この手記は、何だか、お蔭でこんなに苦労しなければならなかった、と言っているようにも受け取れる。お蔭で俺はこんな大変なサヴァイバル生活をして来たんだよ、とちょっと恨めしげに告白しているような。自分のやった凶悪犯行は棚に上げ。

 市橋も何も殺さなくともなあ。殺さなければ強姦罪と傷害罪だったのに。リンゼイさんも殺されなければ、精神的には大きな傷が残るだろうが、本国の恋人も居たし本国には最愛のご両親や家族が居る。もしも傷が残れば本国に帰ってやり直せたろうし。殺してしまっては、死んでしまっては、もう何にもならない。市橋も、もうこの人生は全く取り返しが着かない。

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« エリカ様の真実 | トップ | 一見普通人-大人の発達障害 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿