皆さんは遺品にたいしてどんなイメージをお持ちですか?
もしかすると少し気味が悪いというようなイメージを持っているのでは?
でもそれは仕方のない事だと思います。
私だって、遺品に対するイメージは死を連想してしまっていましたから。。。
昔、引越し屋さんのリサイクルショップを営んでいたのに今は店舗を閉鎖しているのもそんな意識が有ったからです。
遺品 = 怖い・気味が悪い
特に他人の遺品にはそんなイメージを一般的に持つことは日本人としては仕方のない事ですね。
しかし、最近私は知人にこんな事を聞いてハッとしました。
ブータン王国では、故人の遺品を遺族が欲しがるのが自然なんだと。
故人の遺品をもらうと幸せになるとか故人が守ってくれるというような考え方の人々が多いのだそうです。
だから故人の衣類などはほとんどが捨てられることはなく遺族が着用するようです。
私はその話を聞いてある言葉を思い出しました。
そう言えば・・・
昔から、「この車を是非キーパーズさんのお仕事で使用してくれませんか?」というような言葉を頂いたケースの事。
「故人が使っていた遺品を誰かに大切に使ってもらえれば、きっと故人も喜ぶと思うのです」
このようなご遺族からの言葉を本当にたくさん聞いたことが有ったのです。
故人は、自分の愛着が有りまだまだ使用できるものを自分の代わりに誰かに使ってもらえれば、嬉しいか?嬉しくないか?
これは人によっても違うでしょうが、嬉しいと思う故人もたくさんいらっしゃると思うのです。
自分の死によって家財道具の命も終わらせる必要はありません。
家財道具は大切に使ってくれる人の手に渡ればまだまだ長生きできることになりますからね。
私は必ずしも遺品は身内が形見として引取らなければいけないとも思いません。
まったくアカの他人でも、大切に使ってくれる人であれば故人も遺品もきっと喜ぶのではないかと思いませんか?
私の会社には、まだまだ使える遺品たちがたくさんいます。
そして、私たちと一緒に遺品整理の手伝いをしくれている遺品たちもたくさんいるのです。
遺品たちと仲良くしている姿を、天国に居る故人はきっと微笑ましく見守ってくれているのではないかと私は思っています。
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人間は死についてとても敏感です。
死なないように人は様々な気を配ります。
しかし、もっと意識すべきことはどう生きるかですよね。
死を前提とするのではなくどう生きるかを考えることは、守りではなく積極的な考えです。
このように考えると明るい気持ちになれるような気がしませんか?
物(遺品)をどう有効に使うかという考え方と同じような気がします。
物を大切に使うってことは、どう長生きさせるかという事ですからね。
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小姑に「嫁がもらっていいんですか(婚約直前に義母が他界したので)」と聞いたら、「いいのよ。使ってもらえたら、母も幸せなのだから」というので有難くいただき.....
ただ、サイズその他が合わないので、ころあいを見て、作り変えないといけないのですがw
遺品も何らかの形で使ってもらえると幸せかもしれないですね。
早く、こちらのブログに来れば良かったです。
今回の日記を読んで、救われました。
亡くなった叔母の物を順番に処分しているのですが。
処分といっても、欲しい人に分けています。
主人の兄弟の家は、痴呆のおばあちゃんがいて、フトンを汚すそう。叔母のフトン、パジャマ、新しい下着、オムツ、服など、使ってもらう事にしました。欲しい人に使ってもらえたら叔母も喜ぶと、思うので、と渡しましたが、それで良かったのですよね。
食器も私が使っています。主人も理解してくれて、嫌じゃないよと、言ってくれて。
ご飯茶碗一つにしても、食べる度に叔母の事を思い出しながら食べています。