水瓶

ファンタジーや日々のこと

歌舞伎座から築地まで

2016-07-03 20:53:50 | 東京の町
好きな人はこのポスターの絵を見ただけで、何の演目なのかわかるんでしょうね。
土曜日に歩き回った銀座周辺の写真です。今日は歌舞伎座から築地までの晴海通り沿いの写真を。

しかし今日の暑さはすごかったですね。。梅雨終わっちゃったんでしょうか。
去年は梅雨明け急に暑くなって、お盆辺りから急に涼しくなってほっとしたけど、今年はどうなることやら。。。


三原橋交差点すぐにある歌舞伎座。今の歌舞伎座は五代目なんだそうです。
でも歌舞伎座って江戸時代からあると思ったら、出来たのは明治時代。
そういえば外国人向けに、当初からトイレが洋風だったとかいう話を何かで読んだような気がします。


後ろにそびえる高層ビル。こういうの腰巻きビルとかいうんだっけ。




久々の大都会な景色がすごく新鮮に感じます。


晴海通りと交差するように下を走る高速の上には、築地川公園があります。築地川が埋め立てられて今の首都高になったようです。
築地の歴史を調べてみたら、これがすごい面白いんですよ…!
こんなに激しい変遷を経て来てたのか。知らなかった!!

築地はその名の通り、もとは海であったのを埋め立てて出来た土地で、明暦の大火で被災した横山町にあった本願寺の移転のために、佃島の門徒たち(浄土真宗の信者のこと)が埋め立てたんだそうです。

佃島って、家康が江戸に移住した時に、気に入られて一緒に移住した摂津(今の大阪)の漁師たちが移住した場所なんですよね。
だから佃はもともと大阪の地名だったそうで、お祭りの風習とかが、ちょっと関東とは違うんだそうです。
で、その佃島の人たちって、結構高度な埋め立ての土木技術を持ってたようだとこの説明にはあります。

そういえば宮本常一さんによると、浄土真宗の村はまわりに堀をめぐらすことが多いんだそうで、なるほどその辺、室町から戦国時代の一向一揆に見られる村の団結力(裏を返せば排他的)や、戦闘的な姿勢などからも説明がつくような気もします。臨戦態勢の村づくりというか。兵農分離の進んでいない時代では、一向一揆は一国の軍にも劣らない武力を持った一大勢力で、大名の抱える軍隊がへたに他国に出兵したりすると下から突き上げられて逆に国がゆらいでしまうので、うかつには遠征もできなかったそうで、だから一向一揆というのは、一過性の百姓一揆みたいなのとはちょっと違うみたいです。信長とかもすごい神経質に対応してたようなんですね。

でも、そんな風に一つの村としての自主独立傾向が強いから、堀を掘ったり埋め立てたり、みんな自分たちの手でやってたと思うんですよね。
だから、そうした土木技術を持ってたとしても不思議はない。やっぱ室町時代はすごく大事なターニングポイントなんだって!

・・・ってまあ、後の方は私が勝手に考えたことなので、ほんとかどうかはわかりません。
でもこういう風に想像をめぐらすと、築地の面白さが倍増するわけなんです。


ちょうどこの辺りが万年橋。道路にしか見えないけど、下を高速が走ってます。
橋杭が石でつくられたため、「万年もつ」から万年橋と名付けられたそう。橋の名前の由来話とかって面白いんですよね。
そうそう、築地川は埋め立てた土地を取り巻く海水で、川の流れはなかったそうです。そういうのはというようです。


この築地川公園にはチロリという日本初のセラピー犬の銅像がありました。うう、えらいワンコだなあ。。よしよし。


そしてこちらも同じく築地川公園にありました拷問器具健康こみち。さっそく踏み出した森のなかま。

いででいでで!!!

一、二歩でドロップアウト。どんなもんかと私もトライしてみましたが、
健康どころか一歩進むごとにドラクエの毒沼のごとくHPがけずれてく気がするんですけど。。


こうして見るとこのシャープなとんがり具合、悪意すら感じられます。
こういうのの上に正座させて、足の上に石の板置く拷問とか江戸時代にありましたよね。ほんっとに痛いよこれ。。。


万年橋を渡った所に、松竹の巨大なビルが建っていました。そういえば歌舞伎座も松竹なんですよね。


暑い。。


道路ギラギラ。


この辺、劇場とか多いみたいですね。しかし工事関係のトラックとかいっぱい走ってたなあ。


あの柳並木が、かつての川沿いを思わせます。下は高速。

さっきリンクした橋の話によると、この道を行った先に采女橋という橋があり、そこはカワウソが化けて出たので、
日が暮れると一人歩きをしなかったそうです。行ってみればよかった。。
日本のカワウソって今は絶滅しちゃったんですよね。
でもタヌキ、キツネ、カワウソ、実際にいる動物が化ける、化かすっていうのもなんか面白いですよね。
酔っぱらいのいいわけに上手く使われたりしたんじゃないのかなあ。濡れ衣だ!


夏の影の色濃いビルの谷間。巨大クレーン。




この辺は築地四丁目。


あのあんまり日本のお寺っぽくないのが築地本願寺。こちらも築地市場内外を回った後に行ってみました。
そういえばうちの母方の実家は浄土真宗西本願寺派だったんだっけ。


おお、あれは………翼よ、あれが築地のマグロだ!

次回築地場外に続く。今度はお寿司食べに来たいなあ。ぐうう。

銀座にぐんまちゃん?

2016-07-03 08:52:15 | 日記
暑い上にも暑そうなぐんまちゃん、大丈夫かな?

昨日はほんとに暑かったですね。今日も輪をかけて暑いようです。
炎天下を歩き回ったら、今日は若干熱中症気味。。
水分かなりとったつもりだったけど、体がまだあんまり慣れてないんですね。ほひ。


昨日は誕生日の近い母が東京に出て来て、姉と森のなかまと四人一緒に銀座でランチをしました。
さすがは銀座、おいしいです。フレンチの今の流行は、小さくカットした野菜をお皿にきれいに散りばめる感じ?
姉はこういうお店を見つけるのが上手ですが、私は回転レストランとか予約しちゃうので評判良くありません。
なにが悪い。


結婚前の二十代の頃、東銀座の会社に一年ぐらい勤めてたことがあるんですけど、どう行くのかすら忘れていて、
自分の忘却力にビックリしました。。。どこだっけ。


横浜も大きな街だと思ってたけど、しばらくぶりに来てみたら、東京の銀座は人、車、建物、ケタが違う感じ。
物力(ものぢから・ぶつりょく。今つくった)が圧巻です。

てっぺんに巨大クレーンをのっけたビルがあちらこちらに。二十年前の面影はほとんど見当たりません。
来るたびにどんどん変わってゆく銀座。オリンピックまでにまたどれぐらい変わるんだろう。


・・・あ!でもこのお店は覚えてる!三原橋の交差点にある、手ぬぐいなど和装小物を売っている大野屋さん。
入ったことなかったんですけど、今日はちょっとのぞいてみました。干支の絵柄の手ぬぐいが種類沢山!
外人さんにも人気のようです。森のなかまが印伝のお財布を購入しました。


大野屋さんと道をはさんで向かい側にあるビルに、群馬のアンテナショップができていました。
お客さんがいっぱい!アンテナショップはどこでも人気ですよね。


ぐんまちゃんかわいいなあ。。ちなみに、群馬と栃木の区別がつかない人が多いそうですが、
県の形がゴリラっぽいのが群馬で、日本ザルっぽいのが栃木です。類人猿北関東圏。


ぐんまちゃんぐーんぐーん♪

久しぶりに銀座まで行くなら帰りにどこか寄って来ようと、この後築地の方へ回ってみました。
今年の11月で移転しちゃうんですよね。私はちゃんと行くの初めてだったんですが、これがすごく面白かった・・!!!
もう四時すぎで、市場の時間はとうに終わって閑散としていましたが、ゆっくり写真を撮るにはかえってよかった。
というわけで、築地の写真をアップしていく予定です。いやあ移転しちゃう前に行ってよかった。ほんとによかった。


ぐんまちゃん家では赤米を買いました。さっそく今朝のご飯に、白米一合に大さじ一入れて炊いてみたら、
うっすらピンクに染まってきれいです。お赤飯よりほんのりしたピンク。これから味わってみます。

ところで、なんと横浜がカープの連勝を止めたではありませんか。まだ目はあるぞ、ぐーんぐーん♪