加藤敏春ブログ:21世紀の経済評論を語る!

2000年度東洋経済・高橋亀吉最優秀賞等を受賞。地域通貨「エコマネー」提唱者。

「愛・地球博」は歴史に新しいページを残せるか?(その4):「新しい文化」の創造」はできるか①

2005-08-16 01:13:42 | Weblog
 「愛・地球博」が歴史に新しいページを残せるかの鍵は、これで世界に21世紀のメッセージを発信し、「新しい文化」の創造ができるのかにかかっています。前者については、「愛・地球博のテーマ『自然の叡智』の真の意味を考える」をテーマとして何回かのシリーズで取り上げてみたいと思っていますので、ここでは後者の「新しい文化」の創造ができるかについて考察してみたいと思います。
 この点に関して1970年大阪万博のプロデューサーであり、「愛・地球博」に関しても一時最高顧問をつとめた作家の堺屋太一氏は、以下のような辛らつな指摘をしています(週刊ポスト4月29日号)。

ー現在の愛知万博の状況をどう見るか。
「『万国博』とはいえ、内容的には大きな『地方博』、つまり地域おこしの行事としては成功するだろう。万博というものは文化運動。いかに新しい文化を生み出す刊行事なんです。大阪万博が変えた日本の文化はたくさんあった・・・・・・
それに対し、『地方博』は地域の人に満遍なく楽しんでもらえばいい。だから文化を創造するなんてハイリスクなこととする必要がない。特徴と創造よりも、確実に平均的な楽しみを手続き的にも人脈的にも摩擦なくやり遂げる。愛知万博はその方向ですね」
ー(最高顧問)辞任の最大の理由はなんだったのか。
「博覧会協会会長であるトヨタ自動車の豊田章一郎名誉会長のように、万博に大きなビジョンを持った方もいたが、地元にも”愛知万博はオリンピックを誘致できなかった代わりのイベント”くらいにしか考えていない人が多かった。『万国博』はオリンピックの10倍の規模なんですがね。つまり愛知県が地域経済的に潤うのが第一という公共事業的な考え方だった。これは世界を相手にする『万国博』の発想じゃない。地元が盛り上がればいいという『地方博』の発想。
 この行事は『文化運動』なのか、『公共事業』なのかという認識の食い違いを埋められなかった。『世界への情報発信』、『文化の創造』といったグローバルな視点での”万国博プラン”を私自身は少なくとも100回は担当や周囲の関係者に語ったが、”地方博プラン”しか頭になかった人たちには理解しようという意識が乏しかった。彼らは官公庁や特定の運動家と摩擦なくやることを重視していた。特に反対運動を恐れて戦う姿勢がなかった。
 それに万国博についての認識が違って、19世紀的な『技術と珍品の博覧会』が頭にこびりついていたようです。そのため何か珍品が必要だと、大阪万博の『月の石』(月面に着陸した宇宙飛行士が地球に持ち帰った石)に当たるものを探し回っていた。『月の石』にしても、じつは開催前から目玉として位置づけたものではなかった。万博を振り返る報道でクローズアップされたので、その印象が強くなっただけのこと。中心的な話題ではなかったんです。そのことも担当者に30回以上は話して聞かせたが、理解してもらえなかった・・・・・
 万博を成功させるためには十分な運営費が必要だ。建設費と運営費の割合は、6対4が理想とされているが、愛知万博は7対3になっている」
ー大阪万博に比べると、愛知博に足りないものとは何か。
「『万国博』は一種の文化運動だから、何らかの『文化の発信』がなければ意味がない。いかに文化を生み出すのかが『万国博』の役割なのだが、愛知万博にはそれが感じられない」

 このように考えると、「愛・地球博」の真価は、それが「新しい文化」の創造ができるのかにかかっていると言えますが、では、本当に21世紀における「新しい文化」の創造ができていないのでしょうか。堺屋太一氏の指摘は、単純化すると19世紀の文化は「技術と珍品の博覧会」であり、「愛・地球博」で陳列されているシベリアの永久凍土から出土したマンモス(グローバルハウス)、音楽を演奏するロボット(トヨタ館など)、ギネスブックに載った世界最大の万華鏡(名古屋市の「太陽の塔」)、360度の映像スペクタクル(長久手日本館)、超伝導のリニモなどはその延長といえるものであり、それでは「新しい文化」の創造ができないことは明らかでしょう。
 では、堺屋太一氏が言っている文化の創造とは何なのでしょうか。本当に「愛・地球博」においては「新しい文化」の創造が起こっていないのでしょうか。そのことを次回に考えてみたいと思います。

「愛・地球博」は歴史に新しいページを残せるか?(その3):EXPOエコマネーの目的は「エコデザイン」

2005-08-15 00:00:13 | Weblog
 21世紀においては、人類が「持続可能な発展」(sustainable development)をなしうるかが最大の課題です。2004年12月ブエノスアイレスで開催された「気候変動枠組条約締約国第10回会合」(COP10)では京都議定書の発効の歓迎が表明され、ロシアの条約批准を受けて2005年2月16日には京都議定書が発効しました。京都議定書の発効は、大きなステップではあるものの、「持続可能な発展」に向けて壮大なる“実験”に立ち向かう人類の歩みにとっては第一歩とも言えるものです。
 というのも、今回発効した京都議定書で決まっているのは2008年から12年までの第1約束期間に関してであり、2013年以降については今のところ白紙であるからです。2004年ノーベル平和賞を受賞したケニア環境副大臣のワンガリ・マータイさんは,こう語っていいます。
―2013年以降の対策は白紙だ。地球温暖化問題への対応に時間がかかるのはなぜか。
 「環境悪化には長い時間がかかる。われわれは一瞬で起こる津波被害には反応しても、毎日、少しずつ起きている悲劇、環境破壊には反応しない。30年経って川が干上がるまで、何が起きているのか気づかないのだ」
 「キリマンジェロ山頂の氷解が溶け、川が干上がるなど、砂漠化は進行している。アフリカの熱帯地方では耕作地が減り、作物不良が起きている。アフリカは貧しいが、先進国が何かをしてくれるまで待つべきではない。米国が今日と議定書を批准しないことは、無策の言い訳にならない 」
・ ・・・
そして
―途上国は環境破壊と紛争という負の連鎖を断ち切れるのか。
「植樹することで土壌浸食を防ぎ、薪を得るために森林が伐採されることもなくなる。5~10年で変化が実感できる。負の連鎖は断ち切れる」
「だがアフリカに貧富の差がある限り、和平は遠い。先進国と同じレベルを享受するアフリカ各国の支配層は京都議定書に熱心ではない。貧しい国の支配層は、先進国に求めるように、自らが生活様式を変える必要がある」(2005年2月6日読売新聞朝刊より)

 レスター・ブラウン(アメリカのアースポリシー研究所所長)からは、別の観点から警鐘がならされています。彼は京都議定書自体が十分な効果を持ち得ないと批判して
 「京都議定書は発効したが、すでに陳腐化しつつある。(同議定書の削減目標では)温暖化防止に役立たない。もっと大幅に削減しないと、温暖化の進行を食い止められないことが科学的に立証されつつある」と指摘しています(2005年3月28日日本経済新聞朝刊より)

 地球的自然を利用しつくして滅びへと向かう開発から、自然と人間の共生へとコントロールされた持続可能な関係への転換、それが可能かどうか、われわれ一人一人が問われています。そこに必要とされるのは、新しい時代精神(エートス)です。「愛・地球博」で活用されるEXPOエコマネーの究極の目的は、新しい時代精神の創造にあります。

 EXPOエコマネーの究極の目的は、「エコデザイン社会」を創造することです。この場合の「エコデザイン」には、大きく言って2つの意味合いが込められています。
 その1は、「エコデザイン」を21世紀社会のモデルとして提示することです。「エコデザイン」については、環境工学を専攻する学者の間では(たとえば、山本良一・東京大学教授)、「製品のライフサイクル全体における環境負荷を減少しながら、製品の性能あるいは経済的付加価値をさらに高める(環境効率の向上)手法」と定義されていますが、私が組織の名称に「エコデザイン」という言葉を使ったのは、単に製品の環境効率を上げる手法としての意味のみならず、「エコライフ」が人々のライフスタイルそのものにまで浸透していく社会を創造していくという意味合いを込めたつもりです。
 その2は、21世紀社会のモデルとして「エコデザイン」を構築する主役は“市民”であるということです。20世紀の主役が“企業”であったことと対比して、よく21世紀の主役は“市民”であると指摘されますが、その内実は今までのところ明確にアピールされ、デモンストレーションされていません。EXPOエコマネーは、新しい21世紀の貨幣を市民自らが作り出すことによって、市民サイドから新しい時代精神を創造し、それをアピールし、デモンストレーションし、さらに市民の生活そのものに浸透させていくために構想したものです。なんとなれば、貨幣はその登場以来それぞれの時代の社会交流や経済取引、ひいては時代精神を体現するものであるからです。
 こうした2つの意味でEXPOエコマネーを活用して21世紀の市民である私たちが生み出そうとしているのは、新しい時代精神、そしてそれを具現化した「エコデザイン」社会であり、私たちが目指す「エコデザイン」とは、単に「エコなデザイン」の製品を造りだす生産システムではなく、「人々のライフスタイルを含む社会システム全体がエコとなり、社会デザインそのものがエコである状態を実現すること」であると考えています。
 その意味でEXPOエコマネーが訴えるものとは、社会を「エコデザイン」とし、その構成員である一人一人のライフスタイルを「エコライフ」に転換していくことを言っているのです(「エコライフ」に関しては、簡単に「情報とサービスは豊かに、モノとエネルギーは慎ましく!」と私は表現しています。

「愛・地球博」は歴史に新しいページを残せるか?(その2):「新しい時代精神」を語るEXPOエコマネー

2005-08-14 00:15:23 | Weblog
 そして、いよいよ21世紀初の“一般博”として「愛・地球博」が開催されました。そのテーマは“自然の叡智”となっていますが、どのような21世紀の時代精神を語るのかに関しては、少なくとも私の見る限り明確にはなっていません。
 「愛・地球博」は単なる“環境万博”ではありません。また、シンボルとしてマンモスやロボットが語られがちですが、これで新しい時代精神が生まれるわけではありません。EXPOエコマネーこそが、「愛・地球博」を契機に新しい時代精神を創造するものなのです。
 EXPOエコマネーが訴えるのは、人間の好奇心ではなく、それを超えた「創発」(emergence)です。それによって社会的なイノベーションを起こし、20世紀型の「大量生産・大量消費・大量廃棄」型の産業文明とは対極にある産業文明や資本主義を創造するものです。私は、これこそが21世紀の「エコデザイン」であるといえると思います。
創発とは、人間の本源的な欲求である「創造」(creation)を駆動力として、社会を変革するイノベーションを起こす状態を指しています。パソコンの原型であるダイナブックを1970年代に開発し「パソコンの父」と呼ばれるアラン・ケイは、現在子供向けのプログラム言語「スクイーク」(squeak)を開発しその普及に努めていますが、次のように語っています。

 「私が子供向けのプログラム言語「スクイーク」(squeak)を開発したのは、子供たちが分解し、組み立てられ、アイデアをシンプルに表現できることが大事だと考えたからです」
 「私は、アーティストというのは人々を愛するのと同様にアイデアを愛することができる人々だと思います。これは、子供たちが文明の作り手になるのを助けるというアイデアです。次世代の子供たちが文明を改良していくのを助けるという活動でもあります。こうした考えに、私自身ワクワクしているんですよ」
 (http://www.ewoman.co.jp/winwin/44ak/17.html)

 また、ペッカ・ヒネマンが著した『リナックスの革命』(原題”The Hacker Ethic”)のプロローグを書いているリーナス・トーバルズ(コンピュータの新しいOSとして注目されているリナックスの提唱者)は、これからの人間の動機づけは「生き残り」から「社会生活」へ、「社会生活」から「娯楽」へと段階を移していくという現象を「まちがいなく強い衝動だ」と形容しています。
 この衝動に駆られる人間は、自分たちの情熱を他の人々と一緒に実現したいと念じています。人類にとって価値があるものを創りあげて、それによって仲間たちに認められたいと考えています。最高の価値観は、「創造」です。そこでは、お金もうけは第二義的な動機づけとなります。この点に関してペッカ・ヒネマンは、「それは創造性だ。…・つまり自分の能力を想像力豊かな形で使い、絶えず自分自身の限界を予想を超える形で乗り越え続け、世界に本当に価値ある新たな貢献物を提供することだ」と指摘しています。
  EXPOエコマネーは人間に創発を喚起するツールであり、その創発を「持続可能な発展」の構築に誘導するものです。その意味で、“百年紀”のみならず“千年紀”のあり方を問いかける「愛・地球博」においてEXPOエコマネーが活用されることは、大きな意味があります。
 そこで、世界市民一人一人がEXPOエコマネーを活用した「市民交流」により新しい価値尺度の重要性を認識し、真の意味での「持続可能な発展」の構築に至る創発 を起こし、新しい時代精神の“渦”が生成・発展して社会が進化していく……・・・・・・・・・。そのような姿を実現したいものです。

「愛・地球博」は歴史に新しいページを残せるか?(その1):「新しい時代精神」を語っているか

2005-08-13 00:11:58 | Weblog
 歴史をひも解くと、国際博覧会は来るべき時代の精神や思想を語り、新しい時代の幕開けを演出しています。1851年、歴史上初の万博として開催された「ロンドン万博」では、長さ約564メートルの鉄骨とガラスで着た巨大な温室のような建物がクリスタルパレス(水晶宮)と呼ばれシンボルとなりました。言ってみれば、19世紀に勃興しつつある産業革命のシンボル的な存在であったといえます。19世紀に入ってからは、1876年の「フィラデルフィア万博」はアメリカ独立100周年記念として開催されたものであり、展示されたたくさんの発明品の中には、電話、ミシン、タイプライターなどがあり、これらの便利な機会は、一度の数多くの製品を造る大量生産方式とともに、産業発展の大きな原動力となりました。
 20世紀の時代精神の幕開けは、まず1889年に開催された「パリ万博」に見ることができます。このときには、エッフェル塔やセーヌ川に架るアレキサンドルⅢ橋などの巨大な構造物を展示し人々の好奇心を喚起しました。また、1900年に開催された「パリ万博」は、19世紀を振り返り新しい20世紀を展望するために開かれました。会場内の動力にはすべて電気が用いられ、後に万博の歴史で“最も華やかな万博”といわれるようになりました。
このように2つの「パリ万博」は20世紀の時代精神を形成するきっかけとなったもので、人間の「好奇心」を喚起することで、20世紀の始まりを告げました。その後生まれたのは、マネーを駆動力とする「大量生産・大量消費・大量廃棄」型の産業文明でした。
 日本と万博とのかかわりは1867年の「パリ万博」に江戸幕府や薩摩藩、鍋島藩が参加したことが始まりです。その次の万博である1873年の「ウィーン万博」では、日本政府として初めて参加しました。そのときに展示された神社と日本庭園が人気を呼び、ウィーンでの日本ブームの火付け役となりました、名古屋城の金のシャチホコが展示されたのはこのときが初めてですが、「愛・地球博」では再び展示されています。
 日本と万博とのかかわりでエポックメーキングとなったのは、なんと言っても1970年 “人類の進歩と調和”をテーマとして大阪で開催された「日本万国博覧会」(通称「大阪万博」)です。ときまさに日本の高度経済成長が開始されたときで、シンボルとして建てられた「太陽の塔」は、その後日本経済の高成長を象徴するかのような構造物でした。この「大阪万博」は、アジア初の万博であり、入場者の数は約6,421万人、実に当時の日本の人口の10人に6人の人が訪れたことになります。宇宙船アポロ11号が持ち帰った月の石を見るのに長蛇の列ができたのもこのときです。
 その後1975年の「沖縄国際海洋博」(テーマは、“海―その望ましい未来”)は万博史上初の海洋博であり、海に浮かぶ展示館アクアポリスが人気を集めました。1985年の「国際科学技術万国博」(テーマは、“人間、居住、環境と科学技術”)は、世界各国で最も進んだ科学技術を紹介したり、科学技術の成果物を展示した万博で、つくば市で開催されました。このように日本と万博とのかかわりの歴史を見ると、19世紀、20世紀の時代精神を日本に取り入れる先導役としての役割を万博が果たしたことがよくわかります。
 2005年の「愛・地球博」は、21世紀という“百年紀”のみならず“千年紀”の転換期に始めて開催される国際博覧会であり、それに匹敵した時代精神で新しい地球文明の創造を告げるものでなければなりません。実は日本はその嚆矢を放った経緯があります。1990年の「国際花と緑の博覧会」がそれで、テーマは、“自然と人間との共生”でした。ただし、「国際花と緑の博覧会」は「沖縄国際海洋博」や「国際科学技術万国博」と同様に“特別博”と位置づけられ1970年の「大阪万博」や2005年の「愛・地球博」の“一般博”とは異なって小規模なものでした。
 しかしその後の万博は、1992年のセビリア万博(テーマは、“発見の時代”)、1993年大田(テジョン)万博(テーマは、“発見のための新しい道の挑戦”)などに見られるように、そのような問題意識が引き継がれることはなく、2000年、20世紀最後の年に開催された「ハノーバー万博」は“人、自然、技術”をテーマとして開催されたもので、20世紀から21世紀へとバトンタッチするために開かれた万博として、21世紀へ引き継がれるさまざまな地球の問題が取り上げられました(いずれも“特別博”)。

「市民宗教」繁栄の礎:日本からアジアへ

2005-08-12 00:52:29 | Weblog
 「市民宗教」というのは、7月31日付読売新聞「地球を読む」の欄で劇作家の山崎正和氏が戦後60年の日本の繁栄の基礎として解明したコンセプトです。この言葉を一見するなり私は、その魅力にとり憑かれ、心底から賛同するとともに、それをアジアにも展開できるのではないかと考えるようになりました。
 山崎氏によると、第2次大戦後見た目の廃墟の中で、実は日本には大きな遺産が残されていたといいます。それは、すでに戦前の1930年代に、政治経済の近代化と市民社会の基礎が築かれていたからです。確かに30年代の終わりから軍国主義が台頭しますが、戦中でさえそれが国民の心を支配していなかったと、山崎氏は指摘しています。山崎氏は、宝塚歌劇団、プロ野球、谷崎潤一郎の耽美主義の小説などが生きながらえたことをその例示としてあげています。
 さらに国家神道についても、「国家神道は吹聴されたが、国民の心になじんでいたのはむしろ仏教に無常観に近いものであった。戦前からの数年間、日本人は思想的に奇妙な二重生活を送ったというのが実情だろう」といっています。
 山崎氏は以下のように続けます。
 「そしてこのことが日本の敗戦後の意向を滑らかなものにし、混乱を最小限に抑えて復興に向かわせる要因となった。にわか仕立ての軍国主義の衣を脱ぐと、国民は直ちに身についた市民感覚に帰れたからである」
 60年までの日本は30年代の延長であり、拡大でした。
 新しく女性の解放と農村の救済を加えれば、社会運営の思想もそのままで通用しました。勤勉、清潔、協調、向上心、核家族の愛といったモラルも、大宗教や大イデオロギーの指導なしに維持されました。自由か平等かといった大議論なしに、常識的な善意から福祉政策も充実されました。
 「日本人は『プロジェクトX』の時代を生きたわけですが、それを支えた精神は、暗黙の世俗的な道徳、常識的な規律、『市民宗教』(シビル・レリジョン)とも言うべきものであった」のです。
 その後日本人は経済摩擦を経験し、グローバリゼーションの波のもまれ、バブルとその後のデフレにも苦しまされることになりました。冷戦の脅威が過ぎ去ると、今度はテロの脅威に直面しています。
 「だがその間、国民の国家間、世界観に大きな同様がなく一貫して『市民宗教』を守り抜いたことは注目しよいだろう」

 山崎氏によると、戦後60年における日本人の思想的成熟は次の3つあるが、そのいずれもが「市民宗教」に根ざしているとのことです。
ー政教分離
 この近代国家の基本というべき点で日本は世界のどの先進国よりも先駆けている。アメリカ大統領選の争点には妊娠中絶や同性愛などの宗教問題となり、コーランへの冒涜があれほど中東の民を激怒させたのは日本人にとって意外。逆に、フランス政府が政教分離を叫ぶあまり学校でイスラムのスカーフを禁じたことは日本人の目には過度に神経質に映った。
 首相の屋数に神社参拝に関しても、争われているのは追悼すべき人間の名前であって、靖国神道の教義ではない。
ーナショナリズムの克服
 多くのサッカーの国際試合において、日本のサポーターの公平さは世界的な評価を受けてきた。竹島問題で韓国の攻撃を浴びているさなかにさえ「韓流ブーム」にかげりは見られなかった。中国の反日運動に対しても、日本の中では民衆のデモも中国人迫害も起こらなかった。
 このことは政治的無関心(アパシー)を意味しているのではない。若者の国際化は進み、NGOへの関心も高くなっている。むしろ若者の自然な感性が、もはや民族谷ではなく不変的な価値にそって動いていると見られる。そのことが、今日本の若者文化を力づけ、ポップアート、ポップ音楽、マンガ、ファッションを中心に、退去して国境を越えている。
ー英雄崇拝とポピュリズムの道がふさがれたこと
 もともと「市民宗教」は常識の体系であるから、社会は穏健な常識人に信頼を寄せがちになる。

 「大宗教も大イデオロギーもなく、1億人以上の国民が60年の安定を保ってきたことは奇跡に近い」。「いま日本人に必要なことは、『市民宗教』もまた宗教ダルこと、その暗黙の倫理の中には実は倫理が潜んでいること、したがって普遍化の可能性があることをこと、言葉にして語ることであろう。それは日本人の宗教を世界に布教するためだけではなく、日本人に自らがときに世界の無理解に耐えても、粘り強く生き抜くために必要なのである」と山崎氏は結んでいます。

 私は、この山崎氏の論考を読んで痛く感激しました。というのも、これは私が拙著『アジア・ネットワーク』(1997)で都市を拠点として「日本型市民起業家」の登場を予測し、それがアジアのパートナーと経済、環境、エネルギー、社会、文化などの各側面において、ネットワークを構築して「ハンザ同盟」のようなスキームを大胆に描いて見せたことと軌を一にするにする論考だったからです。
 『アジア・ネットワーク』は、次のように結んでいます。
 「20世紀最高の歴史家といわれるフェルナン・ブローデルは,文明の盛衰と交差のあり方を分析した古典『地中海』の中で、いみじくも『与えるものが支配する』と述べている。われわれが21世紀に向けて『新しい石田心学』を哲学として持った『日本型市民起業家』増を提示し、民度の高さと効率と公正をバランスさせたモデルを『アジア・アキュメノポリス』にまで拡大したとき、『新しい日本』がアジア太平洋に与え、そして与えられる日が訪れすに違いない。そしてそのとき、『この国のかたち』がアジア太平洋発として世界に発信させるだろう」

小泉総理は靖国神社を参拝すべきか?(その3):「歴史認識」の点から考える

2005-08-11 06:12:14 | Weblog
 靖国神社問題に関しては、過去に不幸な対立があった国家の間で「歴史認識」を共有ことは可能かということも絡んできます。
 この点に関して、2002年から3年がかりで行われた日韓歴史共同研究に研究協力者として加わった木村幹・神戸大学教授の『歴史認識問題は韓国再建の切り札か』(『中央公論』2005年7月号)は、非常に示唆深い論考です。
 共同研究は最終的に双方の議論がかみ合わないまま終わりましたが、その体験を踏まえて木村教授は、次のように議論を展開しています。
 それぞれが自由な研究者として参加した日本側の研究者に対して、韓国側の姿勢はまったく違っていた。彼らは「民族史というストーリーと、民族主義というイデオロギーを共有する、一つの強固にまとまったナショナルチーム」であった。
 その背景には、韓国の人々の特有の世界観がある。彼らは「この世には普遍的な『真理』が存在するという前提ですべての物事を考えている」。そして「異なる真理の存在は、すなわち彼らの信じる真理への冒涜を意味している」。
 これはかつて朝鮮半島で栄えた朱子学の思想、つまり宇宙には絶対的な法則であり規範である「」というものがある、といった考え方に連なると木村教授は見ていますが、いずれにしても、彼らが「民族の歴史」を肯定しなければならない以上、「行うべきは、必然的に他方の側の歴史認識の糾弾」になるのだといっています。

 私は、歴史の専門家たちは過剰なナショナリズムと愛国心の行き過ぎの防波堤にならなくてはならないと思います。双方の歴史専門家がそのような勇気を持つことと、それぞれの政府がそのような環境を保障することが必要不可欠になるのです。
 しかし、現実には日本はともかく、中国、韓国のそれぞれの政府にそれを期待しがたい状況になっています。特に「中国では共産党が歴史や時間を監視する塔となっている」(山内昌之・東京大学教授『歴史と外交』(『外交フォーラム』2005年7月号))のが現実です。
 しかも、今までの政府指導者や議会関係者の不用意な発言が、せっかく創りあげてきた友好ムードに水を差すということもたびたび起こっています。この点において反省しなければならないのは、日本でしょう。
 では希望はないのでしょうか。
 私はそうとは必ずしも言い切れないと考えています。韓国や中国の知識人の主張が「朱子学的伝統」を引き継いでいることは確かですが、最近の「韓流ブーム」などで庶民感覚は非常に接近してきていると思います。中国もイデオロギーはともかく、今や市場経済の国です。
 特に、私はアメリカなどで大学院教育を受け、今後政治、経済、市民活動などの分野で指導者的役割を演ずる20歳代、30歳代の若者に期待したいと思います。私が拙著『アジア・ネットワーク』(1997)で先見の明(?)によりその登場を予測した「アジア型市民起業家」が今数十万人、数百万人の単位で育ってきています。
 私は「近代」のアジアがここ数十年は支配すると考えています。その環境の下では、首相の靖国参拝は継続すべきだというのが私の考えです。しかし、「アジア型市民起業家」が40歳代、50歳代になり、それに次ぐ世代が社会の中枢として登場してきて相互にネットワークを形成したとき、アジアにヨーロッパの中世かな近世にかけて栄えた都市国家のネットワークである「ハンザ同盟」のようなものが出現し(現在進行している各種のEPAあるいは「東アジア共同体」形成の動きはそれを制度的・環境的に保証するものとなるでしょう)、アジアに「新しい中世」の時代が訪れるでしょう。
 私は前掲書『アジア・ネットワーク』でこれを「アジア・ハンザ同盟モデル」と呼んで具体論を展開しましたが、そのときは靖国問題も自然と風化していくのではないかと期待しています。そのときは日本が戦後60年間で形成してきた「市民宗教」(山崎正和)の実績が生きてくるものと考えています。
 では、その「市民宗教」とは何なのでしょうか。次回はそのことについて論じてみたいと思います。

小泉総理は靖国神社を参拝すべきか?(その2):日本の安全保障の視点から考える

2005-08-10 00:53:31 | Weblog
 前回は「近代」の目で現実を直視してアジアの安全保障を考え、来るべき「新しい中世」の時代のアジアを作り上げるという「したたかな」戦略が必要なことを指摘しました。
 今回は、では「近代」の目で現実を直視してアジアの安全保障を考えた場合、小泉総理は靖国神社を参拝すべきか?ということに関して、私見を述べたいと思います。
 歴史を振り返ると、日本は幕末から今日までの150年余りの間に3度、国の将来を賭けた運命に選択を行い、そして今、4度目の歴史的選択に直面しています。
 第1の選択は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、英米の支持を背景に大陸と対峙し、清帝国とロシア帝国の脅威に対処することでした。その結果日本はまず日清戦争に勝利を収め、近代化・産業化の礎を築きました。
 そして次に、日露戦争で極東におけるロシア帝国の勢力をくじき、世界の列強に並ぶことを得ました。
 第2の選択は1930年代初頭から第2次世界大戦にいたる時期になされました。日本の生命線を満州と定め、中国とは宥和しつつ太平洋を挟んで米国と対峙するという図式でした。しかし、満州国の建設は日中戦争の勃発と泥沼化、三国同盟の締結、日米関係の険悪化という悪循環をもたらし、国を滅亡へと導きました。
 第3は、1952年のサンフランシスコ講和条約による主権回復と60年の安保条約改定であり、米ソ冷戦体制にあって、日本が自由主義、民主主義の側、すなわちアメリカ陣営の一員になるという国策の基本が決まったという選択です。
 当時は、野党のみならず、多数の知識人、有力新聞社がそれを含めた全方位・等距離外交を主張する中で推進されたこの選択が、平和で自由で民主的な今日の日本を実現し、経済的繁栄をもたらしたことについて、現在異を唱える人はいません。
 過去における選択のうち1回目と3回目は正しく、2回目は誤っていました。それらの正否を分けた共通項は何でしょうか。その一つは自由主義、民主主義の側に立つこと、その二つは太平洋の側に立ち大陸と向かい合う姿勢をとることです(ただし、同時テロ多発事件以降のアメリカの変質については、別の機会に触れます)。
 そして21世紀の初頭、日本は4度目の岐路に立っています。中国との連携を強化し、米国と一定の距離を保とうとする考えが政・官・財各界の一部に新たな選択肢として浮上しています。
 これは中国市場の将来性にかけようとする点で第2回目の選択に類似し、日米中の距離を大陸よりに変更しようとする点では、米ソ冷戦体制における社会主義系の進歩的知識人が主張した全方位・等距離外交の流れを汲むものといってよいでしょう。
 これは戦後60年間一貫して国策の基本とされてきた原則を転換することです。しかしその重大性については、政・官・財の指導者の認識は薄いといわざるを得ません。特に、拡大する中国市場を当て込んで多額の投資をした企業は、中国との宥和を最優先課題と考えています。
 しかしわれわれは、「近代」の目においては現実を正確に認識しなければなりません。中国は依然として共産主義国家であり、過去60年の歴史はベトナムをはじめとする侵略と内紛の連続でした。チベットなどでは少数民族の虐待も行っています。ダライ・ラマは今難を逃れて亡命中の身です。
 しかもすでに世界第3位の各軍事大国化を果たし、アメリカが強い意懸念を表明しているように、毎年5兆円とも7兆円とも推定される膨大な軍事費(最近のアメリカの報告では10兆円と言われています)を投入してさらなる武器の近代化、増強に努めています。すでに数百期を保有する核弾道ミサイルの多くは、日本全国を射程範囲に治める性能を有しています。このような中国といかにしたら平和的、安定的で、かつ、理性的に共存できるのか、考えなかければなりません。
 唯一の解は、日米同盟による抑止力です。十分な備えと決意を持ち、それを相手に認識させることにより始めて持続的な均衡が形成されます。その上で、環境を含めた真の相互交流が可能となります。
 靖国問題は歴史認識の問題、戦争責任の問題として提起された形となっていますが、実はどれだけ米国から離れ中国寄りになるかの踏み絵として提起されていることを見誤ってはなりません。
 一部の知識人の間には、中国は靖国問題をA級戦犯の合祀問題や首相の「公式」参拝に限定しているからA級戦犯を分祀べきだとか、小泉首相の靖国神社参拝は中止すべきだと主張しているいる人がいますが、そのようなナイーブさでは「したたかな」中国とは真の友好関係を発展させ、将来パートナーシップを発展させていくことはできません。これらの知識人は、中国の国歌は抗日歌であることを知っているのでしょうか。
 人間社会でも、真の友人関係を構築すること、仮に殴りあってもその後にお互いに腹を割って打ち解けられる関係になるかにかかっています。
 参拝中止はかえって中国と真の友人関係を発展させることの妨げになるものと私は考えています。

小泉総理は靖国神社を参拝すべきか?(その1):靖国神社の本質から考える

2005-08-09 00:07:56 | Weblog
 とうとう衆議院解散となりました。これからの選挙戦は目が離せませんが、ここで忘れてはならないことがあります。それは小泉首相の靖国神社参拝問題です。
 そろそろ終戦記念日である8月15日が近づいてきましたし、現在アジアの通貨体制を含む「アジア・ネットワーク」に関する私の最新論を整理しているところであり(1997年の拙著『アジア・ネットワーク』(98年毎日新聞社アジア太平洋賞特別賞受賞)で10年後のアジアを語っており、EPAの展開、東アジア共同体構想、人民元の切り上げなどを見ていると、今アジアが私の予測の方向に動いているという感を強くしています)、近日中には皆さんにご披露したいと考えておりますので、今回はアジアを語るときに避けて通れない問題である「小泉総理は靖国神社を参拝すべきか?」という問題について、私見を述べたいと思います。

 この問題を巡って世論は真っ二つに分かれていますが、私が見るところ「靖国問題」の本質を理解した議論がなされていません。なぜ靖国神社が話題になっているが、問題の核心は何か、多くの人は知りません。
 靖国神社とは、世間で思われているように、戦没者と追悼する施設ではなく、明治になって戦没者を顕彰するためにつくられた施設なのです(この点に関しては、高橋哲哉(東京大学大学院総合文化研究科暇教授)著『靖国問題』(2005)に詳しく述べられています)。これで、靖国神社に祀られた死者は追悼すべきではなく顕彰されるべき死者なのだから、A級戦犯は罪びとであってはならないという靖国神社の理屈がわかります。靖国神社としては首尾一貫しているわけです。ちなみに、靖国神社に合祀されている合祀者は、現在246万6532人です。
 では、なぜ死者を顕彰する施設が必要だったのでしょうか。
 歴史を振り返ると、古代ギリシャのポリスでは、戦争は市民の義務でした。そのため、義務を履行し死んだ市民には国家として栄誉を与えたのです。しかし中世になると、戦争は国王と家臣と傭兵たちがするもので、国民がするものではなくなりました。
 そこで近代になると、近代国家が成立し徴兵制がしかれたとき、戦死者には再び栄誉を与えることが必要になったのです。靖国神社は、そのような明治以降の近代国家の要請に伝統の衣を着せてつくられたものなのです。
 日本は依然として近代国家の国体をとっています。イラクに自衛隊を送っているのも、近代国家としての日本です。このことは、日本のみならず世界のほかの国も同様です。
 私は、このように靖国神社の本質を考えると、靖国神社とは別の国立の追悼施設を建設すべしという主張に対しては、心情としては理解できても、問題の解決にはならないと思っています。
 「不戦の誓いを新たにする」というのが、小泉首相自身の靖国神社参拝の正当化の理由ですが、これは本質的な回答ではありません。本質に近い答えではあっても、むしろ、中国、韓国などを意識した外交的な言い回しという側面もあります。

私は、欧米のみならずアジアにもいずれ「新しい中世」の時代が来るべきだとい主張を展開してきましたが(拙著『アジア・ネットワーク』(1997))、01年9月アメリカでの同時多発テロ事件、それ以降のブッシュ政権の変質、それによって引き起こされたアフガン戦争とイラク戦争、そして今回イギリスで起こったテロ事件により、欧米においても「新しい中世」の時代が来る時期は遠のいたという時代認識を有するに至っています。
 また、私の「新しい中世」論は、冷戦構造が残るアジアに関しては欧米よりも数十年遅れるという論旨でしたが、北朝鮮問題、台湾海峡問題などにかんがみると、その状況はいまだ変わっていません。アジアの政治、安全保障に関しては、依然として「近代」の目で冷静に対処していかなければならないと考えています。

「クール・ビズ」は服飾文化史の中では中途半端

2005-08-08 00:11:12 | Weblog
 「クール・ビズ」に関しては何回も取り上げてきましたが、服飾文化史を専攻する東京家政大学の能沢慧子教授によると、きわめて中途半端なものだそうです(7月22日付朝日新聞14面「私の視点」)。
 まず、「クール・ビズ」のノーネクタイに関しては、「ネッククロス(ネクタイの前身)の高みから投げるのでなければ、彼の嘲罵はどのような効果があっただろうか」という文学者、ジャック・ブーランジュの言葉を紹介して、痛烈に批判しています。
 彼とは、18世紀末から19世紀初頭にかけて英国紳士のオシャレの基礎を築き上げ、ダンディの神様とあがめられたジョージ・ブランメルのことです。彼が一回の市民でありながら英国の皇太子、後の国王ジョージ4世ら上流社交界の憧れを一身に集めた理由は、そのスキのない身だしなみと才気に満ちた会話術によるものでした。
 ネッククロスをあごをうずめるほど高々に結んだ姿、そしてそのすぐ上に位置する口から冷ややかに発せられる皮肉に満ちた言葉こそ、ダンディの精髄だったということです。
 以来、ネクタイは紳士のドレス・コード、つまり信頼のおける、教育を受けた文化人の記号となって今に至っているというのです。
 能沢慧子教授は「クール・ビズ」が実行に移された翌日テレビを見たそうです。そのときの印象を次のように書いています。
 「上着とネクタイなしのワイシャツ姿の男性がいすから立ち上がって話し始めるのを瞑したとき、私は手っきり裁判所で弁明をする、形勢不利な被告人であろうと直感したが、実は国会中継で大臣の答弁を放送していたのであった。傍らに、これもネクタイなしで、のどぼとけもあらわに語る病み上がりと見れば、こちらもやはり閣僚であった」
 服飾文化史から見れば、ネクタイを省いたシャツスg多は、紳士の誇りと尊厳、そして他人への敬意のしるしを失わせ、ややもすると被告人か半病人の気配を生んでしまうのだそうです。
 現在のワイシャツの襟型はブランメルの時代から、ネクタイを結ぶことを前提に生み出されているといいます。そうすると、ネクタイなしのワイシャツは着替え途中の半端な姿なのだと結論付けられるそうです。能沢慧子教授は、旧来のワイシャツから安易にネクタイをとる前に、ネクタイなしを前提とした襟のデザインを考えることを提案しています。
 「クール・ビズ」の2番目の要素は背広のないことですが、この点も批判の対象となっています。
 現代の背広の歴史は比較的浅く19世紀後期生まれだそうですが、中世末期依頼5百数十年にわたって洗練され続けた上着の伝統を踏まえているということのようです。
 適度なボリュームと堅さと独特の襟形を持った背広とネクタイの組合せは、着る人の内面の獣性を抑制し、弱さを隠し、体形を引き立て、現代社会人としての自信を与えるものだと能沢教授は言います。
 「それは複雑化する現代社会で活きていくにはもってこいの鎧なのだ。ネクタイを取り、背広の上着を脱いだとき、男性は涼しさという「快」を得ることだろう。しかし同時に失うものは少なくない」
 私も、「クール・ビズ」の是非に関してこのような深みのある議論が伴うことに関しては、考え込まざるを得ませんでした。

総括ライブドア対フジテレビ(その9):日本企業は何を目指すべきか?③

2005-08-07 00:00:20 | Weblog
 「日本企業は何を目指すべきか」について、拙著『安心革命』(2003)はさらに以下のように続けています。

 私たちがむしろ参考にしなければならないのは、ジェームズ・コリンズ(スタンフォード大学教授をへて現在はコロラド州ボールダーで経営研究所を主宰)が指摘した「偉大な企業」の本質です。コリンズは『ビジョナリー・カンパニー』の問題意識をさらに深化させて『ビジョナリー・カンパニーⅡ』を著しました。そこでは、『フォーチュン』誌で選ばれた全米500社のうち、1965年から95年までに株式が15年以上にわたって市場平均以下に低迷し、その後急浮上して15年以上にわたって市場平均の3倍以上に評価された企業11社を、「偉大な企業」として分析しています。そして、「良い企業」が突然、「偉大な企業」に変貌する条件を次のように考察しました。
①経営トップ――職業人としての意思の強さと、個人としての謙虚さが備わっている(11社のうちの10社が社内から昇進している)。
②規律の文化――どんな困難にぶつかっても最後には必ず世界一になれるのだという確信を持つと同時に、自分が置かれている現実を直視する。規律ある人々との徹底的な対話を通じて、自分たちが世界一になれる分野となれない分野を見極め、なれる分野にエネルギーと情熱を傾注する。
コリンズは、「良い企業」と「偉大な企業」とを分ける分水嶺を、逆境への対処の仕方だと指摘します。どれほどの困難にぶつかっても最後には必ず勝つという確信を持って対処するのが「偉大な企業」であるというのです。
 また、コリンズは、次のようにも述べています。「準備段階から突破段階に移行するパターンが肝心」、「リーダーシップはビジョンだけを出発点とするものではない」、「人々が厳しい現実を直視し、その意味を考えて行動するように促すことを出発点とする」、「従業員や幹部の動機づけの努力をするのは時間の無駄である」、「偉大な企業は、コアコンピタンスを超えたものを追求する。自社が世界一になれる、情熱をもって取り組める、経済的原動力となる、という三つが重なったところを追求する」、「利益とキャッシュフローは生きていくために必要だが、生きていく目的ではない」ということです。
 こうした条件から考えて、コリンズのいう「偉大な企業」とは競争の下での相対的優位を保ち続けるというのではないことがわかります。そして、21世紀には、他企業よりもいかに優れるかということではなく、「企業理念」を重視する新しい「ビジョナリー・カンパニー」こそが必要とされるはずです。相対的優位の「良い企業」を超えて、絶対的優位の「偉大な企業」へ向かう、新しいゴールが用意されているのです。
今後の課題は、このような新しい「ビジョナリー・カンパニー」や「偉大な企業」を数多く生み出していくための具体的な仕組みの整備です。また、新しい「ビジョナリー・カンパニー」や「偉大な企業」の指標づくりと、その指標を活用して個々の企業が具体的な取り組みをすすめていくための実行メカニズムを、整備していく必要があるといえます。
経営トップというものは、事業の山を登っている段階で、来るべき谷への備えと、次の山に登るための経営資源の投入を行っている、ということでしょう。
さて、二つ目のカギとなる「市場創造」とはどのようなものでしょうか。
 これは具体例を挙げたほうがわかりやすいと思います。たとえば長野県伊那市にある寒天製造メーカーの伊那食品は、その典型的なケースということができます。
伊那食品は寒天の国内シェア85%、45年連続増収増益を続け、売上高経常利益率は10%を上回るという超優良企業です。その社歴、45年間で従業員は11人から315人に増えましたが、1人もリストラをしたことのない、典型的な日本的経営の企業といえます。
 同社がユニークなところは、需要先を和菓子から、缶詰、ヨーグルト、チーズ、化粧品へと拡大していったところです。顧客企業と共同開発で、新しい市場をつくっていくのです。化粧品というのは口紅、リップスティックなどで、これを寒天の製造技術で固めるわけです。
 同社の営業マンにはいっさいノルマが課せられておらず、営業そのものが発掘型の営業になっています。中長期的な視点で市場開拓ができ、そのため「売れるモノづくり」ではなく「買ってもらえるモノづくり」を可能にしています。企業のものづくりそのものが、市場対応ではなく、市場創造になっているわけです。企業の方針も、急成長はしない、短期的な利益よりも企業の永続性を優先。新しい価値の源泉は「人財力」と捉え、市場とは人が創造するものだという企業理念で貫かれています。
 こうした市場創造型の企業は、デフレ時代でも成長を続けられるということですが、こうした企業文化はもともと日本的経営の真髄であったはずです。日本人は「戦略がなく、ただの会社人間だ」といわれ、私たちも何となく自分たちが悪いかのように思い込んでいますが、そのような自己否定が正しいかどうか、じつはたいへんな疑問です。たしかに日本的な年功序列は悪弊を生んだかもしれませんが、それすなわち日本的経営の否定ではないはずです。人間にとって会社というのは大きなよりどころであり、会社という活躍の場を積極的に求めることは、ごく自然なことなのです。日本のビジネスマンは、なぜ自己を否定し、“自信喪失症候群”に陥る必要があるのでしょうか。
 そもそも市場原理、競争至上主義の優位を主張したマイケル・ポーターなどは、相対的な競争優位の発想で物事を説いているだけです。こうした発想は「モノ」や「カネ」のパラダイムでのみ通用するもので、すでにその時代は終わろうとしています。これからはじまる資本主義の第四段階では、「持続可能な社会」が生み出され、「使用価値」ではなく「利用価値」を創造する「会社」が出現します。そこで働く原理は「市場原理」ではなく「協働の原理」であり、相対的な優位性を保つことが戦略たりえなくなるのです」。

総括ライブドア対フジテレビ(その8):日本企業は何を目指すべきか?②

2005-08-06 02:32:55 | Weblog
 「日本企業は何を目指すべきか」について、拙著『安心革命』(2003)は以下のように続けています。

 業績の成長著しい企業には、共通する2つの本質的なカギがあります。ひとつは「経営者の能力や資質」、もうひとつは「市場創造」です。このことについては、経済産業研究所の新原浩朗上席研究員が「優秀企業ベスト経営者の能力」(文芸春秋2002年9月号)で正鵠を射た分析を行っています。新原上席研究員は、過去15年にわたる企業の収益性(総資本経常利益率)、安全性(自己資本比率)、成長性(経常利益額の推移)を分析し、そのうちの30~40社について経営トップにヒアリングを行いました。その対象は、ざっと挙げるだけも、トヨタ自動車の張富士夫社長、キャノンの御手洗冨士夫社長、花王の後藤卓也社長、マブチモーターの馬渕隆一社長、信越化学の金川千尋社長、ヤマト運輸の小倉昌男元会長、シマノの島野容三社長と錚々たる顔ぶれの経営者たちです。
 すると、企業のせ経営トップの能力が非常に重要なファクターであることがはっきりしてきました。その能力とは、次のようなものです。
①自分たちが取り組む事業の範囲を明確に把握している。
②経営トップが論理的に考えに考え抜いている。
③トップの多くは、そのキャリアのなかに“傍流”であった時代がある。
④危機をチャンスに転化する能力を有している。
⑤身の丈にあった成長を図り、事業リスクを直視している。
⑥持続性のある規律の文化を企業に埋め込んでいる。
 一言でまとめると、自らが考えた事業を、手を広げすぎずに、愚直にまじめに考え抜き、事業に情熱を持って取り組んでいる経営トップということができるでしょう。これは、まさにジェームズ・コリンズとジェリー・ポラスの著書『ビジョナリー・カンパニー』で挙げた四つの特性と符合しています。『ビジョナリー・カンパニー』は、日本でもベストセラーになった本であり、いまでも多くの日本の経営者の座右の銘になっています。
「ビジョンを有する企業」の特性を、コリンズとポラスは次のようにまとめています。
①組織の卓抜性――通常想定されているように、新製品を案出することに長けた才能、戦略的洞察力、個性の力に傾注するよりも、卓抜した組織をつくり、それを維持し、そして更新することに注力している。
②コアとなるイデオロギー――イデオロギーとしては、顧客サービスへの献身、技術の最先端であることのコミットメント、個々の社員への尊敬、イノベーションの創造などがある。重要なのはイデオロギーの正しさではなく、むしろ企業信念の強さである。
③進歩に対するあくなき意欲――現状に満足しないことが重要であり、新たな技術、戦略、製品の改善に絶えず取り組み、実験をしていること、さらにより良くしようとする意欲が大きな役割を果たしている。
④連携する組織――従業員、ナレッジワーカー、そしてサプライヤーや提携企業とつねに連携しながら価値を創造する。
 これらの4つの「ビジョナリー・カンパニー」になるための特性は、いわば普遍的なものであると考えることができます。不確実性が増大する二一世紀の環境の下では、これらの特性の妥当性がますます増しているといっても過言ではありません。なぜなら、企業はあたかも生命のように「進化」しなければならず、4つの特性はそのための必要十分条件になっているといえるからです。
 「進化」する生命の本質は、安定しているが変化し、変化するが安定しているという矛盾に満ちたダイナミズムを抱えているところにあります。この本質を言い当てているのが、いわゆる「赤の女王」仮説です。
 「赤の女王」はルイス・キャロルの童話『不思議の国のアリス』のなかに登場するキャラクターです。女王は次のようにいいます。「ここではのう、同じ場所にいようと思ったら、あらう限りの速さで走ることが必要なのじゃ」と。つまり、同じ場所にとどまるために全力で走らなければならない、というのです。「赤の女王」仮説は、「進化」していくための戦略とは、それに参加しているすべてのプレーヤーが全速力で自らを変化させている、という意味です。この仮説は、不確実性が増大する企業においても通用するのです。
 かつてハーバード大学のマイケル・ポーター教授は「日本企業にはオペレーションがあるだけで、戦略がない」と酷評しましたが、ポーターのいう「戦略」とは、つねに競争相手に対して“相対的な優位”を保ち続けることを念頭においたものでした。しかし、不確実性が増大する二一世紀の経済環境では、競争相手に対してつねに相対的優位を保つことなど不可能です。競争相手に対するアドバンテージは、相手の裏をかく方法では勝ちとれないからです。したがって、ポーターのいう「戦略」そのものの内容が見直されなければならなくなっているといえます。

総括ライブドア対フジテレビ(その7):日本企業は何を目指すべきか?①

2005-08-05 01:10:18 | Weblog
 今までとは別の切り口として「日本企業は何を目指すべきか?」という問題を取り上げたいと思います。
 資本主義の第3段階において、企業価値を測る指標はROE(株主資本利益率)やEVA(経済付加価値)でした。そして企業買収で活用された指標はPBR(株価純資産倍率)でした。ROEやEVAは、要するに株主の持分であるエクイティに対するリターンを最大化するというものです。
 ROE至上経営は、えてして工場の閉鎖、人員の合理化、そしてウルトラCは研究開発費のカットにまで及びます。コダックやゼロックスは、ROE至上経営ゆえに研究開発費の削減まですることになり、先行きに暗雲が垂れ込めている企業です。
 また、PBRは株価を1株あたりの純資産で割って算出するものであり、PBRが1であれば、株価と1株あたりの純資産が釣り合っているから、万一会社が解散しても、投資額だけは回収できることになります。これに対してPBRが1未満の会社は、株価よりも1株当たりの純資産が大きいため、買収の危険が高まります(ちなみに日本の場合、東証1・2部上場の約2200社のうち、500社以上がPBR未満となっている)。
 日本企業のこれからの経営は、これと違ったところを目指すものではなくてはなりません。拙著『安心革命』(2003)は、以下のように指摘しています。

 「企業という組織も、いま大きく衣替えをする時期にさしかかっています。
 日本は90年代からいまに至るまで、一貫してアメリカ型の企業モデルを追求してきましたが、これが木に竹を接いだ「形」になっていて、一向に功を奏しません。終身雇用型、年功序列型組織を破壊するところまでいき着いたことはよしとしても、その先はというと、まったくの袋小路です。何かがおかしいといわざるをえません。
 私がいう資本主義の第3段階、これは高度経済成長期に象徴される時期ですが、この段階の企業は、株式の持ち合いによって市場の影響力を極力排除しようとしてきました。この持ち合いは1970年代以降、株式の時価発行のさいの株価維持策としても機能してきました。その後に、バブルが発生したわけで、こうしてみると不良債権が発生し、バランスシートが悪化するのも道理といえます。
 こうした日本の企業モデルに対する批判が沸き起こり、アメリカモデルへの憧憬が「株主主権論」として日本にも定着します。企業のガバナンス手法として、執行役員制、カンパニー制が相次いで導入され、従業員評価にも成果主義が採りいれられます。また、2002年4月には商法が改正され、アメリカ型の企業モデルを後押しすることになりました。
 しかし、「まずは形から」とばかりにアメリカモデルを移入したものの、企業の成長という面では効果が上がっていないのではないでしょうか。
 たとえば『日本企業変革期の選択』(伊藤秀文編・東洋経済新報社)によれば、2000年3月から2001年3月にかけて上場企業13社のトップにストック・オプション、社外取締役、執行役員などについてヒアリングした結果、「単に見せかけのものだとして、その成果を疑問視する声が多かった」とあります。また、神戸製鋼では、九九年から執行役員制度を導入しましたが、業務執行の責任を持たせないと取締役がうまく機能しないため、2006年6月よりその数を増やしたところです。そもそもアメリカ企業ですら従来の経営手法の見直しをすすめており、マイクロソフト社はストック・オプションを今年9月に廃止し、代わりに自社株を無償で支給することを7月に発表しました。
 そもそも表面上の変化ではなく、本質的な変化を見極めることが必要で、株主のカネにと株式市場によって会社をガバナンスする時代は終わっています。市場でガバナンスするアメリカモデルは、資本主義の第3段階でこそ機能しえたものであり、いまその「カネ」のパラダイムは過ぎ去りつつあります。その意味で、日本の企業は、無用な過去のモデルであるアメリカ型を、まだ追いかけているといえます。
 アメリカ型のコーポレート・ガバナンス問題は、1932年にバリー&ミーンズ『近代株式会社と私有財産』で問題提起された「所有と経営の分離」を出発点としています。それ以来、経営者の義務は善管注意義務と忠実義務であり、それをもってはじめて「信認(fiduciary)」されるものになりました。
 加えて、M&AやLBO(レバレッジド・バイ・アウト)による企業の乗っ取りを防ぐために、経営者は自社の株式価格を維持することが必要です。それが株式市場によるコーポレート・ガバナンスとして働くとしていました。
 しかし、そのメカニズムはコーポレート・ガバナンスの否定につながってしまいました。エンロンやワールドコムの事件がそれを端的に物語っています。結局、株主になった経営者は、粉飾決算をしてまでも株高を演出し、自分だけは高値で持ち株を売り抜けるというモラルハザードが生じたのです。ブッシュ大統領は「腐ったりんごがいくつかあるが、それを取り除けば問題はなくなる」と強弁しましたが、そのときアメリカモデルへの信頼は完全に失墜したといえます。
 日本の企業がこうしたアメリカモデルの後追いをする必要は、もはやどこにもありません。じっさい、このデフレ不況期においても、日本的経営を実践し、目覚しい成果を上げている企業が数多くあります。

総括ライブドア対フジテレビ(その6):本当のCSRとは何か?

2005-08-04 01:13:58 | Weblog
 最近企業のCSRが強調されるようになってきました。関連のシンポジウムなども多く開催され「CSRバブル」と言う言葉も聴かれるほどです。しかし、私の解釈によると「本当のCSRとは何か?」について理解されているとは言えないように思います。
 市民社会の基本原理は、すべてのヒトは生まれながらにヒトとして扱われる権利を持っていると言うことです。しかし近代以降、社会はヒトに加えて「法人」と言う奇妙なヒトを生み出してしまいました。会社は法人の典型ですが、法人は生まれながらのヒトではありません。それは単なるモノです。その単なるモノが法律上ヒトとして扱われているのです。
 なぜ、社会は法人をヒトとして承認しているのでしょうか。それは、岩井克人・東京大学教授が『会社は誰のものか』(2005)で指摘しているように、法人が社会にとって何らかのプラスの価値を持っているからです。逆に言うと、社会にとってプラスの価値を有している限りにおいて、社会は法人をヒトとして認めるということになります。
 そうすると、法人企業としての会社の存在意義を、利益の最大化に限定する必要ないことがわかります。会社の社会的価値とは、まさに社会が決めていく価値であり、そこに市民社会の要請が入っていくことが必要になるのです。
 この社会的価値が具体的にどのような内容であるかは、時代によって、社会によって変わっていきます。CSRについては、よく「CSRはお得です」という言い方がされ、会社の持続的発展に必要なものであるような言い方がされますが、そもそも法人企業たる会社が存在を認められるのは、環境、福祉、子育てなど市民社会の要請を満たしている限りなのです。
 「社会」と言う言葉はもともと日本語にはありませんでした。個人を超えた世界を表す言葉は「世間」しかなかったのです。明治に入って英語の「Society」をいかに日本語に翻訳するのかが問題となりました。「Company」を「会社」と訳した西周は、「Society」は非営利だからその逆だと考え、漢字の順番を入れ替えて「Society」の訳語として「社会」としたのです。
 これは本当の”迷”訳でした。本来は「Society」と「Company」は同質の言葉であり、「Company」の延長線に「Society」があるのです。
 歴史的に見れば、資本主義的な法人企業というのは新しい現象であって、最初に生まれた法人は都市や僧院や大学などです。まさにNPOが法人の出発点なのです。しかもP・ドラッカーが指摘しているように、世界最古のNPOは法隆寺などの日本のお寺なのです。
 したがって、法人企業がその存在を認められる以上、常に環境、福祉、子育てなど市民社会の要請を満たしていく必要があるのです。また、法人企業にいろいろなタイプがあってもよく、配当しない会社もあってもいいと言うことになります。現にアメリカでは、501(C)3という非営利の会社と言う存在が認められています。

総括ライブドア対フジテレビ(その5):マネーの意味も変質する②

2005-08-03 01:38:29 | Weblog
 おカネを貸すことを「信用を与える」と言います。「信用」とは英語やアフランス語で「Credit」ですが、この言葉の語源は、神を信ずるという意味です。それが次第にヒトに信用するという意味にも使われるようになり、最終的に、信用したヒトにおカネを貸すという意味に転化したのです。
 資本主義の第2、第3段階における金融は、モノないしカネに対して信用を与えると言うことで、本来の「Credit」ではありませんでした。しかし、第4段階における金融は、信用したヒトにお金を貸すと言う金融本来の姿が、再び前面に出てきたことを意味します。
 日本の金融システムは、バブル崩壊が残した大量の不良債権の重圧によって、つい最近まで資本主義の第4段階に対応した仕組みに脱却できないでいました。しかし、ようやくデフレの終焉と公的資金の注入に助けられて不良債権処理が一段落しつつあり、ようやくヒトを信用してお金を貸すと言う本来の意味での金融活動を開始しつつあります。
 この点に関して拙著『安心革命』(2003)は、以下のように述べています。
 「・・・このような地域金融への取り組みは、メガバンクにとっても課題です。というのは、2006年から実施される予定のBIS第3次規制では、与信額1億円未満の小口の中小企業向けローンについては、リスク分散効果を考慮して、同じ信用リスクの大口貸し出しに比べてリスクウェイトを25%軽減する措置がとられることになっているからです。2006年から実施予定といっても、銀行としては改定を織り込んで事前に与信管理をしていかなければなりません。
 また、不良債権問題がかたづいたと仮定しても、メガバンクの収益が改善するでしょうか。いますでに、大手の企業は資金調達を、銀行による間接金融に頼ってはいません。事業資金は、株式市場や債券市場で調達したほうがコストは安いということが常態化しました。したがって、メガバンクも従来の産業金融モデルを抜け出し、新しい銀行のビジネスモデルを構築することが必要になっています。
 ホールセールの世界では、「グローバル・トップ10」から「グローバル・トップ5」に銀行の選択と集約が起こっています。バンカース・トラストがドイツ銀行に買収され、J・P・モルガンもチェース・マンハッタンと合併し、世界でトップ5がしのぎを削っています。これは、ホールセールの競争ではすでに勝敗がついてしまったことを意味しています。国内メガバンクがどのように頑張ったところで、キャッチアップすることは事実上不可能な状況です。
 半面、いま世界的な金融再編でイニシアティブをとっているのはリテールであり、今後は、いかに個人との決済チャネルを持っていくかということに、重心が移ろうとしています。そうした金融の場では、ハイリスク・ハイリターンが期待されるというよりは、むしろローリスク・ローリターンで、相手の顔が見え互いに信頼できるという「関係性」をもつことが重要視されています。
 銀行の収益が構造的に低迷しているなかで見えてきた大きなトレンドは、「対顧客紐帯型貸し出し(customer relationship lending)」の再評価です。従来の貸し出しは、融資に当たって財務諸表や担保資産評価、企業格付けに依存する「取引型貸し出し(transaction-based lending)」でした。「取引型貸し出し」を続けていた金融機関は、その方式をとっているかぎりうまく融資を行えず、自分で自分の首を絞める結果に陥っていました。そこに気づきはじめた中小金融機関が、貸し出しの方式を大きく見直し、融資に成功するケースが目立ってきたのです。
 たとえば、多摩信用金庫のケースが典型として挙げられるでしょう。手堅い営業を続けてきた多摩信金は2000年1月、新理事長の下で方針の一大転換を行っています。
 まず、理事長の指示に基づいて、支店長が取引先の貸し出しと回収状況を洗い出したところ、融資による企業収益は取引先の格付けとは関係がないということをつきとめたのです。そこで2003年度には融資先を2年前の10倍以上に増やし、融資額を拡大、いっぽうで自己資本比率は、貸し倒れ引当金を積まなければならないために7・68%へと0・24%減少するという計画を立案。理事長は「信金が自己資本比率だけにこだわるのは恥ずかしいこと」であり、「地域への貢献度を高め、利益を上げることが大切」と狙いを話しています。
 同様の対応は、浜松信用金庫などでも起こっています。浜松信金では、本店に市場開拓班なる部門を設置して各支店を結び、融資先に中小企業診断士の資格を持つ職員を派遣し、きめ細かく業務をサポート。あわせて、支店長が融資先企業のトップを訪ねて経営の技術指導をするという念の入れようです。
 いずれも信用金庫という小さなユニットの例ですが、ここで行われつつある融資の形態こそ「対顧客紐帯型貸し出し」そのものなのです。このようなケースがいま、信用金庫から地方銀行、大手銀行・金融グループへと拡大しつつあります。
 金融機関がなぜ融資の失敗を繰り返しているのかといえば、十分な担保がないために融資ができず、融資残高が中長期的に低下して、収益を上げられない構造になっているからです。
 担保がないために融資ができないという構造を、経済学的に説明すると、「情報の非対称性」ということになります。たとえば、事業者が事業計画をつくって設備投資をしたいと申し込んできたときに、金融機関にはその事業がどのくらいの収益性を持つ事業なのか判断ができません。だからこそ担保を出してください、その担保に対して融資しましょう、という形になっていたのです。事業者が持っている情報と、金融機関が得られる情報が“非対象”であるため、担保がないかぎり融資をすることができない、という関係が続いていました。したがって、この「情報の非対称性」を解消する知恵を絞ればスムーズな融資ができるのではないか、という筋道が見えてきます。
 先の多摩信用金庫のケースでは、支店長クラスの職員が企業の現場を訪れ、事業者の持っている情報を徹底的に聞き出します。また、浜松信金のケースでは市場開拓班の中小企業診断士を派遣して、同様のことを行います。中小企業から融資の申し込みがあれば、設備投資後に生産される新製品のユーザーリストを入手、それをひとつひとつつぶしていくことで売り上げを弾き出し、投資回収の時期をはっきりさせ、融資を可能にするわけです。
 新しい設備を入れることによって、どのような製品を製造することが可能で、その潜在的な販売先は何社あり、具体的な企業名は……という情報は、事業者のトップおよび幹部にしかわからない機密です。融資を受ける際に、事業者がこのような情報を金融機関に開示することもこれまではありませんでした。これが経済学でいう「情報の非対称性」であり、この情報ギャップを埋めることができないかぎり適切な審査はできないことになります。情報の非対称性の解消は、金融の成立にたいへん重要な意味を持っているわけです。
 もっとも、事業者が金融機関に対して情報を開示するためには、事業者と金融機関との間で良好な「関係性」をつくっていかないとすすまないという問題はあります。お互いに「顔の見える関係」をつくり、信頼し合うことが欠かせないポイントになるでしょう。
 じつは昨年、ある雑誌の企画で竹中金融大臣と対談をしたときに、私はこの「対顧客紐帯型貸し出し」がこれからは重要になるとお話しした経緯があります。欧米流の投資銀行にしてもすでに収益力が落ちており、これから先の金融ビジネスモデルをつくるのであれば融資先のソフトの情報を重視する「対顧客紐帯型貸し出し」ではありませんか、と申し上げました。金融庁も、情報の非対称性を解消するための「リレーションシップバンキング」に関する研究会の報告を2003年3月にまとめています。こうした融資形態に対する期待は、今後より高まっていくと考えられます。
 もうひとつ、これからの金融で注目していくべきものは、「市場型直接金融」です。これは、ベンチャー・キャピタルやエンジェルなどが担っている直接金融の形態を指しています。ベンチャー・キャピタルやエンジェルは、単に金融を行うだけでなく、企業と企業とを仲介するネットワーカーやビジネスのアイデアを融合させるカタリスト(触媒)としての役割を果たします。
 市場型直接金融を行う側には、利潤以外の動機や情熱が必要です。ベンチャー・キャピタルやエンジェルは、じつは巨額のキャピタルゲインだけを求めているわけではない、という側面があるのです。シリコンバレーの例を仔細に調べると、新しい価値を創造するプロセスに積極的に参加しようとする意欲や情熱が随所に見られます。新しい価値を創造する、という点が、ベンチャー・キャピタルやエンジェルの投資行動のなかで大きな比重を占めているのです。
 また、「市場型直接金融」に対して「市場型間接金融」という形態も今後、重要になると考えられます。「市場型間接金融」というのは、ひとつの金融機関が家計(資金運用者)と企業(資金調達者)を直接つなぐのではなく、家計と資本市場をつなぐマネー投資信託と、企業と資本市場をつなぐ金融機関としてのファイナンス・カンパニーとが登場して、それぞれ機能分化し、家計の資金が間接的に資本市場で運用されたり、家計の資金が間接的に企業に回ったりする金融の姿です。
このうちファイナンス・カンパニーの典型はアメリカのGEキャピタルなどのノンバンクで、自ら資本市場から資金調達しながら、企業と資本市場をつなぐ金融仲介機能を果たしており、近年アメリカで急成長してきたものです。また、九章でふれますが、シリコンバレーでシリコンバレー・バンクが行っている融資はまさにその典型で、企業のニーズに応えながらきちんとした審査を行い、融資を行うというモデルです。日本でも同様の先行事例が出はじめています。
 あまり知られてはいませんが、2002年10月の「竹中プラン」のなかには、中小企業融資を行なう新規参入の促進がうたわれています。しかし、新規参入があれば問題が解決するというわけではありません。対顧客紐帯型貸し出し、リレーションシップバンキングの考え方に基づいた「市場型直製金融」や「市場型間接金融」の新しいビジネスモデルを構築するというのが、いま日本が直面している本当の課題だといえます・・・」。

総括ライブドア対フジテレビ(その4):マネーの意味も変質する①

2005-08-02 01:10:20 | Weblog
 資本主義の第4段階におけるマネーの意味が変質することを、今回は取り上げて見ましょう。
 第2段階、第3段階においては、リスクをとるのは事業を興す企業家でした。金融機関の役割はそれへの円滑なファイナンスであり、リスクをとる必要はなかったのです。しかし、第4段階における金融とは、まだモノとしては何者でもないアイデアを具体的なモノの形に変換していくプロセスに対して、おカネを貸すことになります。金融機関もリスクをとるようになるのです。
 このことを明確に指摘したのは、『経済発展の理論』において「イノベーション」論を展開したJ・シュンペーターですが、これは会社がもともとの発生形態に戻っていくことを意味します。
 拙著『エコマネーはマネーを駆逐する』(2002)で指摘したように、会社の起源は一般に言われているように16世紀の東インド会社ではなく、3、4世紀の地中海交易の2つの事業形態に見出すことができます。この点に関して、私は『エコマネーはマネーを駆逐する』(2002)で以下のように書いています。

 「・・・歴史学者である大塚久夫氏の説くところによれば、この流れを受けて中世のイタリアでは、次のような「コンメンダ」、「ソキエタス」という形態のパートナーシップが隆盛し、ここに資本主義のメインプレーヤーである株式会社の起源が存在するのである。株式会社は、16世紀イギリスが東インド会社を設立したときに始まったと一般には考えられているが、その起源はもっと古いのである。
 「コンメンダ」…・資金提供者と労働提供者とのパートナーシップ
 「ソキエタス」…・資金および労働を提供し合う者同士のパートナーシップ
 イスラーム世界においては、これらと正確に対応する概念が存在した。すでにおわかりであろう。前者が「ムダーラバ」、後者が「ムシャーラカ」である。このように、イスラームのパートナーシップは、資本主義や株式会社の起源とその源流を共通にしているのである。
 そして、少なくともヨーロッパ中世のある時点までは、近代において決定的になった事業家(労働)の資本家(金銭)に対する従属という関係は顕著ではなく、両者はパートナーシップを基礎とした対等な立場を維持し続けていたのである。このような歴史を振り返ると、本来リスク分担方式によるパートナーシップが経済活動の主流であり、現在のように主たる担い手が会社組織となるに至ったのは、わずか100年ほどにすぎないことが明らかとなる。
 パートナーシップ契約は、継続的な事業を遂行することを目的として二人以上のパートナーが出資および業務の執行に当たるものであるが、出資に関しては金銭ばかりではなく、一定の条件下で提供される役務サービスも含まれる。これにより金銭を出資するマネー・パートナーと事業に携わる業務執行パートナーの存在が可能となるのである。
 パートナーシップに基礎をおくイスラーム銀行論は、現代金融システムの観点から見ても特殊なものではない。ある普遍的可能性を有するものであり、今後われわれが21世紀の金融システムを構築していく際の方向性を示している。
 それは、このパートナーシップ契約が、現代金融システムの最先端をいくアメリカのビジネス社会においても、活発に活用されていることに表れている。ベンチャービジネスにリスクマネーを供給するベンチャーキャピタルがパートナーシップ契約によって組成された組織によって運営されていることが端的な例である。また、日本での最近活用されている金融商品のレバレッジド・リースや金融機関の不良債権処理を円滑にする目的で考え出された特別目的会社は、いずれも匿名組合のスキームを基礎にしているが、この匿名組合はある種のパートナーシップである。
今後の金融方式は、銀行による間接金融から証券会社を中心として企業と投資家を結びつける直接金融に大きくシフトしていく方向にあるが、それとともにパートナーシップ契約の考え方がむしろ主流になってくるだろう・・・」。