片貝孝夫の IT最前線 (Biz/Browserの普及をめざして)

Biz/Browserの黎明期からかかわって来ました。Bizを通じて日常を語ります。

日本人が元気が無いのは時代の踊り場を感じたからだ

2011年02月02日 | 感動したこと
昨日、カナダ出身のオーストラリア人と話した。
私が、日本人の閉塞感をどう思うかと尋ねると、日本は素晴らしい国で、世界に伝えるものがたくさんある、優しさ、文化、歴史、どれをとっても世界一だという。
そこで、私の持論を展開した。

アジアの急激な経済成長を見てうらやましいとは思わない日本人。
それは、成長の先に来るものを知っているからだ。
有限の世界で成長はありえない。
それを身体と心で知った日本人は、成長なき豊かさを求め始めている。
それがどのうよなものか、まだだれにも分からない、だから頑張れない。
日本には300年続いている会社が400社ある。
これは顧客のことだけを考えて生業をやってきた結果だ。
相手のことだけを考えて自分にできることをする。
これが300社の背景にある。

日本は必ず世界に範を示すときがくる。
そんな話を単語を並べながらして、合意し、再会を期して握手して別れた。

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本人の閉塞感について (平林)
2011-02-05 16:00:59
日本人の閉塞感は、つまるところ、ビジョン、思想、理念がないからではないですか?

経済至上主義だけでは、経済が行き詰まると、行き場を見失うでしょう。
心の豊かさが大事だってことは分かっているけど、そのためにはどうすべきかとなると、混沌としてくるのではないでしょうか。
宗教が本来、心の豊かさをもたらすべきものでしょうけど、
日本人は宗教嫌いが多いときています。
というより、宗教への偏見が強すぎるのだと思います。確かに宗教にもいろんな問題があります。
だけど、ただただ宗教を否定するだけではなく、何が必要かを考え、かつ、求めるべきです。

優秀な日本の企業は「改善」が得意です。
その「改善」の手法を活かして、日本全体の将来、私たち各人の人生を再点検すべき時ではないでしょうか。

こうして、日本人の閉塞感を自覚し今なお求め続けておられる片貝さんは、やはり流石ですね。
返信する
宗教家がいまなすべきこと (片貝孝夫)
2011-02-06 11:27:00
平林さん、先日ばったり会いましたね。
コメントありがとうございます。

先日友人と飲んだとき友人が言ってました。
お寺は何をしてるんだろうね、と。人を救うのが宗教なら、例えば家を失った人を救うためにお寺の一部を開放するとか、そう行動しようと考えるのがごくごく普通じゃないのか、って。
日本人が宗教を嫌っているのではなく、宗教が人を救おうとしていないから信用できないと思っているのではないでしょうか。
信者を増やしたいなら、困っている人を助けるために、宗教界は宗教を超えて団結して立ち上がるべきです。
そしたら結果として信者も増えるでしょう。
私は宗教より「かものはしプロジェクト」などのほうがよほど共感を覚えます。

返信する
Unknown (平林)
2011-02-07 00:08:36
なるほど、宗教家にも色々あって、宗教が本来果たすべき善行どころか、ただの葬祭屋のようなお寺が多いし、
もっと大きいところを言えば、
宗派対立に明け暮れている宗教家は、宗教の本義を見失っているとしか思えません。
そして、概ねどの宗教も実際、同じような理想を抱いているのだから、
宗教が理想を共有化して団結すべきだというのも、まさにそのとおりだと思います。
日本の宗教界を見ると、
既存の旧来からの宗教にはどこか勢いがなく、いわゆる新興宗教(学会あたりも含めて)の方が元気です。
特に、既成宗教はトップも無気力なのか、本当に布教の情熱をもっているとは思えません。
宗教も大きな曲がり角の時代を迎えているのだと思います。

かといって、宗教的なことが私たちに不要だと結論付けるのは早計でしょう。
宗教の負の側面のみを見るとそういう話になり、
このあたりで、食わず嫌いになる場合が多い気がします。
宗教のもたらす恩恵は、信仰を持ってみないとわからない場合が多いようですし。

しかし、少なくとも宗教が歴史的にもたらしてきた叡知は計り知れません。
民主主義だって、キリスト教思想がベースにあります。
私たち日本人の良心のもとをたどれば、仏教や儒教の道徳観が生きています。
してみると、すでに私たちは宗教の影響下にあるといっても過言ではありません。

話を広げすぎました。
最初の片貝さんのコメントに戻れば、
閉塞感をどう救済すべきかという時、やはり宗教的な何かに行き着かざるを得ない、
と私などは考えるんですけどね。
返信する

コメントを投稿