kasaruの今日も有り難う

僧侶歴46年。講演依頼受付中
サルコイドーシス・バセドウ病の旦那
岡山へ就職長男23歳
アペール症候群次男19歳

生き方を考える

2012-01-29 | Weblog
大洗や湊周辺の海は嵐のように大荒れです。

本日 お昼時住職の代理でお斉の席に向かう道中、

平磯のクジラの大ちゃんの防波堤で

消防や警察、そして近所の野次馬?が人だかりになっていて、

青空の下そこだけが張りつめた空気・・・

一斉に見つめる先の海に何があるのか?

私の位置からは確定することが出来ませんでしたが、

明らかに緊迫した様子でした。

そしてかかる波しぶきはまるで嵐のようで、

防波堤から海に投げ込まれたロープが光って見えました。


その後は会場へ向かってしまい、数時間後の帰りには、

何事もなかったような海岸になっていたので、

詳しい内容を知るよしもありませんが、

何があったにせよ大事に至らなないでいてほしいと願うばかりです。





ヒトはひとりでは生きていけません。

家族に何かあれば命に代えても守りたい!そんな思いを抱きます。

災害が起これば時間と財をかけてボランティアに出掛ける人がいます。

誰かのために・・・

少なからず支えられて生きていると感じているひとは思うことです。



そういう人が居る中で命の危険にさらされている現状を踏まえ、

己の時間を遂行する事は、善・悪や常識・非常識という論理的なことではなく、

自分の命を生きているということなのだと思っています。




世の流れなのか孤独に悩むひとやこころの支えを見失ったひとの

電話相談が増えているといいます。

その電話相談を受けるひとは経験や実績が重視されるボランテイアの方たちです。

たった一回の電話で救われる人がいれば、

何度も声を掛けられても尚自らの命を消す人もいるのが現実で、

そのことで受けての相談員のこころが沈んだまま表に出られなくなる人もいるのだとか・・・

難しい現実です。



世の中には助けれなかった命・行為が沢山あります。

確かに直接見たり聞いたり関わった経緯の中で、

救えない、どうしようもない事実があるわけです。

もしかしたら・・・そんな光景に出会っても今日の私のように、

何も出来ずに過ぎるだけの行為を誰一人避難することは出来ません。


そのことで同情は必要でも罪悪感を抱くことはないとおもうのです。

何処かの国のようにその場にいながら目の前の事を、

無かったかのように振る舞う行為は如何なことかと思いますが、

人が居なくなってしまう寂しさと恐ろしさは、

その人にしかわからない出来事ではありますが、

そのことで自分自身が悩むこととは別のことで、

無かったことに出来ない事実は事実として受け止め、

受け止めた後で棚にしまい、また新たな気持ちで自分と相手に向き合う事が

一番素直に進む道だと思います。


誰かのために自分が病んでしまう事は美徳ではないように思うのです。

先ずは己のこころを真っ直ぐに楽しくする事、

そして 次に相手のことを考える。。。それが大事。

無理はしない事。


相談員の相談員が必要な時代に自分は何が出来るのか・・・



さとるが高校生になれば少しは手もかからなくなるので、

本来のしたかった自分の生き方を進みたいと思っています。


棚にしまったものが溢れ出るようなことがあったら

いつでもご相談下さい。

私でよければきちんとお預かりし、しかるべく処理を致します。


一度しかない人生は誰にも変わってもらえません。

自分が自分であるためにもひとりで悩まず、頑張らず、

そして見なかったことにせず、向き合う時間を楽しんで下さいませ。