前回の記事に、身近な出来事で関心がある事を二つ紹介しました。
今日は、そのもう一つの話題、センター試験についてです。
私のブログはセンター試験間近になると、この言葉で検索し、訪れる方がそれなりの数いらっしゃいました。
その理由は、おそらく数年前の記事のせいだと思います。
その記事では、次女がセンター試験において、一時的に大打撃を被った思い出を、私は綴りました。
それを読んで、同じ轍を踏まないように、受験生が注意してくれたのであれば、幾らかでもお役に立てたようで、嬉しい限りです。
過去に遡り、その記事を見つけ出して記すのが、記述が楽でよいのですが、探すだけでも大変。
それに、前の記事を読むのは、少々苦手とする私です。
文の余りの拙さで、恥ずかしさいっぱいになってしまいます。
今も、然して変わりありませんのにね~
ブログの文章は、その人らしさが出た素直な文に、私は一番惹かれるのですが。
少々、自意識過剰のようです。(笑)
そのため、新たに書くつもりで、また記しますね。
とは言っても、あまりに遠い過去の出来事ゆえ、自分の記憶が正確かどうか、自信はありませんが。
大変ショックな出来事でしたから、昔の思い出にしては、割と鮮明です。
クリスマスでしたかしら。
娘時代の次女がプレゼントしてくれたものです。
ショックを受けて、合否の結果を待つまでのMちゃんって、こんな雰囲気だったかもしれません。
次女は、長女と違い大変な努力家。
一方、長女は短期集中型、と言いましょうか。
努力をしているように見えなくても、入試の難関を軽々と突破するような子でした。
そのように見えただけで、影の努力は、相当なものだったのかもしれませんが。
大学生活も日々クラブ活動で明け暮れていましたが、三年からは国際関係論学科という、T大で文系のトップクラスの学生しか入れない少人数制の学部で学ぶことができました。
外交官の道が用意されていたのかもしれないけれど、私の子ゆえ、そんな選択は考えもしなかったようです。
高校生になるあたりまで、私は専業主婦になって、幸せな家庭を築いてくれることを、ひたすら祈りながらの子育てでしたから。
お洒落にも余念がない、普通の心優しい女性です。
頭脳は全くの別物でも、雰囲気は母親の私にとてもよく似ています。
「自慢話」の言葉に敏感になってしまって・・・・・・。
そんなつもりではありません。
次女との対比をはっきりさせた方が面白いのでは、と思い、具体的に書いてしまいました。
村上春樹氏の近著の書物に度々出てきた言葉を真似をして、「すみません」と申し上げます。
その長女の学校を常に目標にして、ひたすら健気な努力を積み重ねたのが次女です。
恐らく姉の数倍の勉強量だったことでしょう。
その努力は幸いにも実り、中学からは、姉と同様のコースをたどり、順調に、私立の中高校生活を愉しむことができました。
そしていよいよ大学受験。
もちろん姉と同じ大学を目指し、センター試験に臨みました。
門の前で、「頑張ってね」と、思い切りの笑顔で送り出した私です。
Mちゃんも、「人事を尽くして天命を待つ」の心境だったに違いありません。
私は、ひたすら祈るような気持ちで、試験が終わるのを待っていました。
本番のテストではありませんでしたから、割と気楽に構えていたと思います。
ところがです。
前半の試験が終わり、昼食をとる時間帯に入った時の事。
わが家の電話が鳴りました。
受話器を取ると、次女からです。
嗚咽に近い悲壮な声が耳に響き渡りました。
「ママ、大変な失敗をしてしまったの。国語のマークシートの枠が、解答を終えたと思ったのに、数枠、残ってしまったの。
私はどこかで、解答の記入欄を間違えてしまったみたい。」
そう言って、しくしく泣き続けるMちゃんでした。
私も大層驚き、大きなショックを受けましたが、親までが狼狽した態度でいては、あまりにMちゃんが可哀想です。
ひたすら冷静さを装って、Mちゃんの泣き崩れてしまいそうな気持ちを立て直すことを必死で心がけました。
精一杯穏やかな口調で、前の失敗は忘れて、午後からの数学と理科の試験にベストを尽くして臨むように、言いました。
さてその後、どうなったでしょう。
長くなりますので、この続きは明日に回すことに致します。
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