珈琲ひらり

熱い珈琲、もしくは冷珈なんかを飲む片手間に読めるようなそんな文章をお楽しみください。

ここ2年、

2008年11月28日 | 雑記

 連続して誕生日は嫌な事が多かったのですが、今年はそんなことも無く。
 良い誕生日でした。
 お祝いのお言葉本当にありがとうございます。嬉しかったです。

すごいな、

2008年11月24日 | 雑記

 銀雨。
 小説まで出るんですね。
 安田均とかっていうのもすごいし。
 今までまったく何が面白いのか理解できない世界なので見て無かったのですが、改めてさらりと見ただけでも凄いな、って思える世界だった。
 うん。



 そして明日はカレンダーでは休日だけど仕事。
 ちぃ。



 創業者曰く、勤労感謝は勤労できる事に感謝する日で、だから仕事らしい。
 うん。まあ、正論ダケド。。。。
 がんばろう。
 ちぃ。

島本理生

2008年11月23日 | 読書

 波打ち際の蛍をちょろちょろと読んでるのですが文章表現が好きかも。
 そしてすっごく自分の小説が書きたくなる。


 今ちょっと考えてるのは普通の推理小説と、文学小説。
 がんばろう。

ツバサ

2008年11月21日 | 読書


 ツバサの新刊を読みました。
 素直にサクラのお兄ちゃんに勝った! っていうシーンが 笑えました。



 っていうか、DVD面白そうです。




 っていうか、ジョナサン、今週の占い、何だかドキドキするじゃないか!
 これが小説の事だったら良いなー! うん。



 波打ち際のホタル、という小説を借りてきました。^^

現在、

2008年11月20日 | 雑記

 7時3分。
 会社に行く前にネットをして、だらだらとネットの海に沈んでいくこの感じがたまらなくなってきた。
 あー、急がないと遅刻するー!


 まあそれは別にどうでもいいんだけど。
 ちくしょぉー。
 昨日は仕事では微妙に良い事があったんだけど(朝の初っ端から社長の器の小さい発言を聞いてうんざりとしたけど。)、
 プライベートではあんまりなかった。
 や、団欒のあの温かな時間は良い事なのか。
 そうだな、うん。
 北朝鮮や、戦争をしている国。
 同じ日本でもネットカフェ難民の方や、ホームレス、病気の方、自分ではどうしようもない事で本当に苦しんでいる方がたくさん居るんだから贅沢を言ったら罰が当たる。
 だから本当に家があって、ご飯が食べれて、仕事ができて、身体も元気で、生後のヒーローが大好きで、ハヤテで笑えている今の自分を大切にしないと。うん。
 同じ会社の31女のパワハラなんかに負けないぞ。うん。(つーか、あんな意地の悪いキツイ性格だから彼氏が出来てもすぐに別れるんだよ。ちっ。あ、ぼそりと本音が。)



 今日も頑張ろう。
 きっといい事があるさ!
 ケ・セラセラ。

今日もうちょっと、

2008年11月17日 | 雑記

 どうしようかと想いましたね。OO。
 や。いい話だったけれども。
 でもちょっとあの二人の関係の描き方が味気ない気がするなー、とは思うのだけど。
 それはそうとサンタクロースって。不法入国ですよね。。。。。

ゆうきひろ!

2008年11月13日 | 雑記



 うちのちかくのレンタルビデオ屋が途中で止めてくれたんで、途中だったリューナイトを、ネットで全部見ました!
 そっか。そっか。こういう終わり方か。(><
 個人的にはもうひとつの話の方が好きかな。
 ギルツが切なすぎです。(><。

 OPはオリジナルストーりーが好きで、
 エンディングは2期かなー。
 うん。
 というか、ジョナサンまだかなー。
 いい事が書いてあると良いなー。




 お風呂入ろう。

例えば、

2008年11月13日 | 短編



 例えば、
 今日が素敵だったら、
 明日のぼくは笑っていられるのかなー?
 そうしたら、明日のきみは、ぼくのことを好いてくれるのかなー?
 そうしたら今日をがんばれるのに。


 例えば、
 昨日が素敵だったら、
 今日も素敵で、
 明日も素敵なのかなー?




 例えば、
 昨日がどん底でも、
 今日がどん底でも、
 明日が素敵だと本を読むようにわかったら、
 どん底の今日を頑張れるのかなー?





 昨日がどん底で、
 明日も希望溢れる自分をイメージする事なんてできない今日を、
 ぼくはどうやって、
 がんばればいいのかなー?




 例えば、
 明日、
 ぼくが死ぬと判っていたら、
 今日はばら色の今日なんだろうか、
 それとも絶望色の今日なんだろうか?
 そんなことばかりを、
 カーテンを閉め切った、
 昼間の薄暗い自分の部屋で、
 布団に包まりながら、
 ぼくは、
 思っている。





 そうしてそんなぼくの前に、
 そいつは、
 現れたんだ。




「どうですか? この臨死体験を味わえるキャンディーは?」






 それがぼくがぼくの知らないぼくを知る切欠で、
 そうしてぼくがその他大勢の世界の人間が知らない、
 一部の人間だけが知っている世界の真の一部を知る切欠となった、
 始まりの終わりの終わりだった。