珈琲ひらり

熱い珈琲、もしくは冷珈なんかを飲む片手間に読めるようなそんな文章をお楽しみください。

『夕暮れ観覧車 美里の物語』

2005年05月10日 | 夕暮れ観覧車
『夕暮れ観覧車 美里の物語』

 毎週日曜日に観覧車の絵を描きに来るかっこいい画家の青年。彼の事は遊園地スタッフの女の子達の間でも有名だった。
 あたしの担当するアトラクションは観覧車なので、当然あたしは噂になる前から彼を知っていた。だけど最初、あたしは彼の事なんて見てなかった。あたしは別に面食いじゃないしね。
 彼のことが気になりだしたのはほんの些細なことで。彼の描く夕暮れ時の観覧車をバックに橙色の光の中で佇む長い髪を掻きあげている女の人の絵が泣き出したくなるぐらいに優しくって綺麗だったからと、首から下がるチェーンに通された小さな銀色の指輪を見つめる彼の儚げな横顔を見たから。


 叶うことのないあたしの片想い・・・


「って、なに敗北宣言してるんですかぁ、美里さん!!」
「あ~、ごめん。お願い、見逃して、アスカちん。ほんとに無理です。告白なんてできません。かんべんしてください」
 しゃがみこんで両手を挙げるあたしの顔を同じようにしゃがんだアスカちんが首を傾げて覗き込んでくる。さらりと揺れた前髪の向こうにあるどんぐり眼に真摯な光を浮かべて。
「美里さん。告白しなかったら絶対にダメですけど、告白したらひょっとしてってあるじゃないですか。絶対とひょっとしてって、全然違いますよ。それにふった相手が気になってこんどは向こうから告白してくるってパターンだってあるんですし。だからがんばりましょうよ。ね」
「うぅ、アスカちん・・・お姉ちゃんみたい」
「私の方が若いです」
「「・・・」」
「ほら、行きますよ」
 意外に力持ちなアスカちん。引っ張られて行くあたし・・・。
 いつも彼は観覧車の下のベンチに座って、観覧車のある風景を描いている。だけどその彼の指定席に彼の姿は無かった。ほっとした。
「って、どうして今日はいないのよ? 人がせっかく休みの日に来たってのにぃ」
 アスカちんの方ががっかりとした声。彼女の横顔は子どものようにしゅんとしていた。あたしはそんな彼女に自然と微笑んでしまう。
「あははは。残念。絵が完成しちゃったんだね」
「だって、先週見た時、まだ完成してなかったんですよ。夕暮れ観覧車の下で立っている女の人にはまったく色が塗られてなかったから・・・」
「だからさ、それで完成なんだよ、アスカちん」
 アスカちんは眉根を寄せた。
「まあ、子どもにはわからないかな、大人の心情って奴は」
 あたしのその大人ぶった発言にアスカちんはぷぅーっと頬を膨らませる。かわいい。
 思わず萌えたあたしにアスカちんはふんと鼻を鳴らすと、あたしの右腕に両腕を絡めた。
「またそうやってすぐに人の事を子ども扱いして。意地悪な美里さん。私、今の発言すごい傷つきました。だから今日は罰として一日私とデートしてください」
 あたしはついまじまじと彼女を見てしまう。ほんとによい娘だなー。
「ほんと、アスカちんはよい娘だねー」
「なんですか、急に? それって愛の告白ですか?」
「うん、そう。お姉さん、アスカちんに萌え萌え。だからあんな男やめて、あたしのお嫁さんになりな♪」
「っえ、ほんとですか。私、尽くしますよ♪ て、なりませんよ」
「あははは。ふられちゃったか。って、まあ、冗談はそこまでにしてさ、マジな話で愛しいダーリンのところへ行きな。アスカちん。ほんとは今日、彼氏と約束してたんでしょう?」
 アスカちんはちょっと困ったような顔。ほんと、素直でよい娘だ。
「大丈夫。また明日ラブラブバカップル話聞かせてよ。あたしはちょっとここで座って休憩してから帰るからさ。実はなんだかんだ言って緊張して昨晩、眠れなかったから疲れちゃったのよね。やーねー。もうあたしも年かしら?」
 肩を叩きながらそう言ってにっと笑ったあたしに彼女はちょっとの間逡巡したが。
「じゃあ、その・・・今夜電話します。それで鮮度の良いラブラブバカップル話朝まで聞かせてあげますから、覚悟しておいてください」
 あたしは苦笑いしながら彼女を見送って、ベンチに座った。
 観覧車のデジタル時計は10時23分。
「開園から23分か。いつもなら来てるのにな。あ~あと」
 そしてあたしはあと5分。もう5分とその場に居続けた。もしも彼が万が一にもここに来たって、どうせ何も言えやしないのに。
 あたしの座るベンチの前を通り過ぎて観覧車へと行く人たちは皆楽しそうな顔をしていた。
 幸せな家族の顔。
 幸せな恋人同士の顔。
 幸せな友人同士の顔。
 幸せな・・・
 ここに座って、夕暮れ観覧車の絵を描き続けたあの人はどんな想いで、この光景を見続けていたんだろう? ううん、違う。あの人が見ていたのはその時その時のこの観覧車のある風景じゃない。夕暮れ観覧車をバックにあの髪の長い綺麗な女性が夕暮れの光の中で微笑んでいたその一瞬だけをずっと見続けていたんだ。
 5分だけ。あと5分だけ。そう思い続けているうちに世界は茜色の空から降りた優しい橙色の光のカーテンに包まれ始めていた。
 あたしはベンチに座って、高校時代の自分を思い出していた。あの3年間ずっと鞄の中にしまいこまれていた渡せなかった手紙・・・。
 高校生になっての初めての電車通学。あたしよりも前の駅から乗っていて、同じ駅で降りていた彼。気になりだしたのは夕暮れ時のラッシュ時に自分の座っていた席をお婆さんに譲っていた彼の優しい表情を見てから。
 その日の夜に手紙を書いたっけ。その晩は緊張して眠れなかったな。そして朝、電車に乗って、電車通学の小学生の男の子を自分が壁になって守っていた彼を見続けて、それで明日こそって。明日になったら何か理由つけて、また明日こその繰り返しで卒業。それからもう二度と会えなくなってしまった片想いの彼。
「ほんとに変わらないなー、あたしって」
 自嘲の笑みを浮かべながらあたしは肩をすくめると、ベンチから立ち上がった。
 そして回れ右をする。
 ・・・。
 そこにはあの人がいた。画材道具とかは何も持たずにただそこで佇んでいた。眺める先に誰か大切な人がいるみたいに夕暮れ観覧車を眺めていた。泣き出す寸前の迷子の子どものような顔をして・・・。
「ん?」こちらの視線に気づいた彼がこちらを向いて、そしてその顔に優しい表情を浮かべた。目にかかりそうなさらさらの黒髪を無造作に掻きあげながらあたしに頭を下げてくれる。
「こんにちは。今日はもうあがりなんですか?」
「あ、え、あ、はい。あ、いえ、今日はお休みで・・・えっと、あの・・・」
 思いっきり挙動不審なあたし。声がどもってる。体がかちんこちんで、顔がものすごく熱い。もう今すぐにここから走り去ってしまいたいが、そんな事したらそれこそ変な女だ。
 そんなあたしに彼は眼を瞬かせたが、すぐに優しく微笑む。包み込んでくれるようなその笑顔に胸がきゅっと苦しくなった。
「あの、もし、よかったら僕と一緒に観覧車に乗ってもらえませんか?」
「え?」
「あ、いや、いきなりすみません。ここへ来る最後にもう一度だけ観覧車に乗りたくって。だけどその、男一人じゃ、乗り辛くって」
 照れくさそうに笑いながら彼は頭を掻いた。その様子がいつものあの儚げなこの人の雰囲気とは全然違っていて、あたしは思わず笑ってしまった。
 流れる優しい空気に緊張がゆっくりとやわらいでいく。
「あ、はい、いいですよ」
 そしてあたしたちは夕暮れ時の観覧車のゴンドラに乗った。
 彼は両腿の上で両手を組んで、窓から夕暮れの世界を眺めていた。彼の服から出たチェーンに通された銀色の指輪が夕方の光を反射させて、黄金色に輝く。
「すごく綺麗」
「え?」
「あ、いえ、銀の指輪が夕方の光を反射させていて…」
「え、ああ、ええ」
 彼はとても寂しそうに微笑みながら銀の指輪を手の平の上に乗せて、それに眼を落とした。
「これ、僕が19歳の誕生日を迎える彼女にお願いされてプレゼントした指輪なんです。銀の指輪のジンクスって知ってますか?」
 あたしは首を横に振った。
「いいえ」
「銀の指輪のジンクス。19歳の誕生日に彼氏から銀の指輪をプレゼントされた女の子は幸せになれるって。それで彼女の誕生日にこの観覧車の頂上で、この指輪をプレゼントしたんです。ほら、この観覧車にもジンクスってあるでしょう。夕暮れ時の観覧車の頂上で愛を誓い合ったカップルは幸せになれるって。それでジンクス欲張って。・・・だけど結局、この指輪が最初で最後の誕生日プレゼントになってしまいました」
「・・・」
 ゴンドラの中に沈黙が降りた。
 そして指輪を眺めたまま彼は口を開いた。
「彼女、最後まで僕に笑顔しか見せてくれなかったんです」
 泣き出す寸前の子どものような声。
「彼女、癌だったんです。ほんとは痛くって、苦しくって、不安で怖くってしょうがなかったのに、最後の最後まで彼女は僕に笑顔しか見せてくれなかった。そして僕は何もできなくってそんな彼女をただ見てるしかなかった。誰もいない病室で泣きながら苦しんでいた彼女を僕は知っていたのに。僕は彼女を本当に愛していた。夕暮れ時の観覧車の頂上で誓った言葉に、想いに嘘は無かった。だけど彼女が病気になって、それで初めて僕は自分のその想いが信じられなくなった。ほんとは心のどこか片隅で彼女が僕に笑顔しか見せてくれないことに安心していたから・・・」
 彼はまるで懺悔してるように訥々とか細い声でそう言った。彼の細い体は震えていた。爪の間に絵の具が入り込んだ指先は辛そうにズボンを握り締めている。
「彼女、亡くなるほんの少し前に僕に言ったんです。夕暮れの中に佇む観覧車をまた一緒に見たいねって」
 ああ、だから彼はここへ絵を描きに来ていたんだ。ここへ来る事を夢見ていた彼女のために。それは彼の彼女への愛情の証であり、そして同時に懺悔だったんだ。
 あたしは気づいたら口を開いていた。溢れる想いが心から零れ出す。
「知っていたんだと思います、彼女、自分の病気。だからあなたに笑顔しか見せなかったんです。あなたの事、本当に愛していたから。女の子だったら誰でも世界で一番大好きな人には自分の笑顔だけを覚えておいてもらいたいから。それだけ彼女はあなたを愛していたんです」
 彼は顔を上げて、あたしを見ていた。銀の指輪を握り締めて。
「あなただって彼女を愛していた。その想いに偽りはないわ。だってあなたの絵は、とても綺麗だもの。あたしには絵は描けないけど、それでもその絵を見て感動することはできる。うん、あなたの絵はとても綺麗だった。泣き出したくなるぐらいに優しくって綺麗だったわ。あなたの彼女への優しい愛情が詰まってるから」
 そしてあたしはいつの間にか泣いていた。泣きながら続ける。
「だからお願い。優しい色で塗られた二人の夕暮れ観覧車を悲しみの色で塗り潰さないで。あなたの想いを信じて。あなたがその想いを、二人の愛の記憶を悲しみの色に塗りつぶしてしまったら彼女だってかわいそうだわ」
 なんてエゴに塗れた発言。だけど本当に心からそう想う。そう願う。彼がもう二度と優しい色で塗られた二人の想い出を悲しみの色で塗りつぶさないようにって。二人の愛情は何よりも尊いから。
 あたしは心に夕暮れ観覧車を思い浮かべて、ただただそう願った。世界が一日で一番優しく綺麗に思える夕暮れ時の温かく優しい橙色の光に包まれた観覧車がなぜかその想いを叶えてくれる気がしたから。
 そしてその後、あたし達は言葉を交わさずに、ただ黙って夕暮れ時の観覧車に乗っていた。

 
 夕暮れ観覧車。
 夕方の光に包まれて、観覧車は静かに動く。


「アスカちん。今夜、合コンだから。仕事が終わったら、ダッシュよん♪」
「って、なに今夜の人の予定勝手に決めてるんですか? しかもそんなかわいらしい笑顔で!!」
「あら、だってアスカちん、先週の夜、電話で泣きながら私にできることがあったら何でも言ってくださいって言ってくれたじゃないのよ? それともあれは嘘だったの?」
「だって私には彼氏が・・・」
「けっ。これだよ。あ~ぁ、友人よりもやっぱり彼氏か。こんなもんよね、女同士の友情って。彼氏のためなら平気で嘘ついて裏切るんだもんなー。あ~ぁ」
「って、美里さん。なんで・・・あたしが・・・悪者って・・・・・・美里さん!!」
 アスカちんが無理やりあたしの顔を掴んでぐぃっと明後日の方向を向かせる。
「っちょっと、アスカちん、首が・・・って・・・」
 そこに彼がいた。あのベンチに座って、真っ白なキャンパスに向かってまた新しく絵を描き始めた彼が。
 そしてあたしの目と彼の目があう。
 彼の唇が動いて、そしてあたしは微笑んだ。


 ― end ―


 懐かしいお話です。^^
 お世話になっているサイト様に投稿したお話で、そして初めてネットという場所で他の方に読んでいただいたお話。
 本当に良い経験になったと想います。^^


 風邪でダウン中なので、思いっきり辛いカレーを作ったのですが、かえって汗かいて寒いし、水を多く飲んで気持ち悪い。(― ―; ←早く寝ろ。
 でもカレーってご飯で食べるのも美味しいけど、カレーとパンで食べるのも美味しいですよね。^^

『夕暮れ観覧車 メール』

2005年04月30日 | 夕暮れ観覧車


 最悪だ。そりゃあ確かに今朝見た星占いの射手座のAB型は運勢最悪だったけどさ。
「はい、若見さん、ご苦労様。これ、携帯ね。これからは気をつけるのよ」
 自称私立聖霊女子高校一優しく美しい女教師中井理恵は乱れた髪を指で梳かしながらへとへとに疲れているあたしに真新しい携帯電話を手渡した。
「は~い」
 あたしは「失礼します」という言葉と共に科学準備室のドアを閉めると、そのドア…正しくはそのドアの向こうでアルコールランプを使った自作のコーヒーメーカーでコーヒーを煎れている理恵ちゃんにあっかべーをした。
 そのあたしの耳を「ぷぅ」とかわいらしい笑い声が叩いた。そちらを見ると、小学校の時からの幼馴染が口に手をあてて笑っている。あたしは慌ててあっかべーをやめた。
「お疲れ、若ちゃん」
「うっちゃん、待っててくれたの?」
「そうよ。感謝してよ、いい友人に」
「もちろんっスよ。うっちゃん」
 あたしはうっちゃん…北村宇樹子に満面の笑みを浮かべて頷いた。と、そこで背に悪寒が走った。やばい。どうやら極上のプリティースマイルを浮かべ過ぎたらしい。
「若ちゃん、かわいいぃー」
 発情したわんこみたいにうっちゃんがあたしに後ろから抱き付いてきて。
 と、途端にうっちゃんがあたしから離れる。いつもならこっちがいくらやめてぇ! と、言っても余計に面白がって抱きついて離れないのに?
「うぎゃ。若ちゃん、汗臭ぁ―い&埃臭ぁーい。きゃぁー。きゃぁー」
「ひっどぉーぃ。理恵ちゃんにこき使われて心身ともにお疲れの友人に向かって言うセリフ? あー、もう体が痛い。こりゃあ、明日筋肉痛決定だよ。それに付け加えて今の言葉。あ~ぁ、もう最悪。そこまで最悪か、今日の射手座?」
「悪い。悪い。そう膨れっ面しなさんなって。だけどまあ、今日の射手座そこまで運勢悪くないんじゃないの? だって見つかったのが理恵ちゃんだったんだもん。エラ星人だったら即行で職員室に保護者呼び出しだよ?」
 あたしは頬を膨らませていた空気を尖らせた口から吐き出した。確かに彼女の言う通りだ。校則で禁じられている携帯を見つかったのが理恵ちゃんだったから科学準備室の掃除と実験機材の整理で終わらせてもらえたのだ。他の教師だったら保護者である姉を呼び出されて大目玉をもらったところである。まあ、姉には怒られはしかっただろうが。そう、姉には…。
「でもまあ、若ちゃんの自業自得。学校では携帯はバイブに設定しとくのが常識だもん」
「しょうがないよぉー。携帯初心者だもん。アナログのあたしには一生縁がないと思ってたんだから。高校入学のお祝いってお姉ちゃんがくれなかったら、絶対自分から持たなかったよ」
「で、メールは誰からだったの? あ、ひょっとして彼氏からかしら?」
 あたしのメールアドレスを知ってる友達は全員授業中だったわけで、彼氏発言はそこから来るわけだ。あたしは苦笑い。
「違うって。メアド教えるような彼氏殿などいないもん。お姉ちゃんよ。お姉ちゃん。っとに、あの人はこうやって悪戯してあたしを困らせるのが趣味な人だからね」
「ほんと仲いいんだー」
 うっちゃんは笑い出した。あたしはそんな彼女を半目で見据えながら苦笑い。あのね、実際そんな愉快じゃないんだよ。被害者の立場からすれば。
 あたしたちは校門を出てすぐのバス停に辿り着いた。ちょうどタイミングよくそこにバスが来る。うっちゃんはバス通学であたしは徒歩通学(高校入学と同時に近くのマンションに引っ越した)なので、彼女とはここでお別れ。あたしたちは手を振って別れた。
 バスの後ろで手を振る彼女の姿が見えなくなると、あたしはくすっと笑って肩をすくめた。そして歩きながら背負っていた鞄を片手に抱え込んで、ファスナーを開ける。
「ったく、お姉ちゃんもほんと暇人なんだから」
 お姉ちゃんは新人の看護士さんで、今日はお休みだ。だから当然9時58分などという時間にでも悪戯メールを送ってこられるわけで。あたしは少しでも早くお姉ちゃんに文句を言ってやりたくって携帯を開き、電源を入れた。と、そこであたしの眼は点になった。メールがものすごい勢いで入っている。あ、また受信した。
 だが、意外な事に送信者のメアドは表示されている。あたしはアナログ人間なので詳しくはわからないのだが、こういう場合はメアドは表示されないはずなのでは? すると、これは悪戯メールではない?
 あたしはとりあえずメールを開いてみる。…ものすごく後悔した。
「なによ、これは~」
 携帯の画面いっぱいに『助けて』の文字。気味が悪いにも程がある。あたしの全身に怖気が走って鳥肌が立った。そうこうしてるうちにまたメールが入る。あたしは気持ち悪くって携帯の電源を切った。夕暮れ時の世界はものすごく透明で、まるで何もかもが吸い込まれてしまいそうで寂しくなってしょうがなかった。極めつけは半年前に潰れた遊園地の観覧車がまるで夕暮れ時の薄闇にそびえる墓標のようにも見えた。それでなんだかもうたまらなくなって、あたしはダッシュで家に帰った。
「お帰り。なによ、里子。そんなに息せき切って。まさか学校から走って帰ってきたとか? そんなにお姉ちゃんが恋しかったか。ん?」
「違うよ、お姉ちゃん。そんな冗談言ってる場合じゃないって!」
「冗談って…。あのねー。…まあ、いいや。で、何があった? ストーキングでもされた?」
「これ見て、これ」
「あん? 彼氏殿からのラブラブメールを彼氏のいないお姉さまに見せるって?」
 いひひひっと笑っていたお姉ちゃんはあたしの携帯に来たメールを見て、眉根を寄せた。
「なによ、これは? 悪戯にも程があるわ」
 と、お姉ちゃんはそう言うと、受信したメールをすべて消去した。電源も切ってしまう。そしてちょっと怖い顔をして、あたしを見た。
「いい、里子。メアドは明日、私がショップに行って変えてきてあげるから、これは預かっておくよ」
 強い調子の声。有無を言わせない口調。あたしはそれに違和感を覚えた。お姉ちゃんはものすごく悪戯っ子だけど、心根は優しく強い人だ。そしてお姉ちゃんのあたしへの態度は、私が、ではなく、里子が、の人だ。自分で出来る事は自分でやらせて、それをやる過程で困難な事に行き詰まった時に初めて手を貸してくれる人。だから違和感を覚えた。それに口調だっていつもはもっと余裕のある感じでこんな感情的な口調じゃない。それとも事が事なだけにって、あたしの考えすぎ?
「あ、ううん。いいよ、お姉ちゃん。それぐらいあたしがやれるし。明日はお姉ちゃん日勤でしょう。帰りだって遅くなるしだし。だからあたしが自分でやってくるから。ごめん」
 お姉ちゃんは顔をしかめたままあたしを見ていたが、どこか抑揚の無い声で「ちゃんとやってくるんだよ」と言って、携帯に何かを打ち込んであたしに携帯を手渡した。あたしは面倒臭がってちゃんと説明書を読んでいなかったのでやり方は知らないのだがおそらくはメールの着信拒否のコマンドを打ち込んでいたんだと思う。
「あ、うん。わかった」
 あたしが頷くと、お姉ちゃんはまるで憑き物でも落ちたように優しい表情をして「ごはん、ちょうどできたから、食べましょう」と、キッチンの方へ行ってしまった。
 夕飯を済ませると、あたしは自分の部屋に引っ込んだ。
「お姉ちゃん、てっきり悪戯するなんてどんでもない。きっちりとお仕置きしてやりましょうって言うと思ってたのに・・・」
 お姉ちゃんはそういう人だ。ずっと昔のあたしがまだ12歳でお姉ちゃんが今のあたしと同じ高校生の時も家にかかってきた悪戯電話を撃退していた。とても愉快そうな悪戯っ子の表情を浮かべて。てっきり今回もそんなノリであの訳のわからない悪戯メールを撃退してくれると思ったのに…。
「うー、わかんないよ。メールは気持ち悪いし、お姉ちゃんは変だし。今日の射手座そこまで運が悪いか」
 あたしは両手で頭を掻いて、ベッドに転がった。天井に貼ったGacto様のポスターをじっと見る。かっこいい~。
 いつの間にか夢を見ていた。
 そこは誰もいない夕暮れ時の遊園地。
 ものすごい寂しい光景。
 ただアトラクションが動いていた。
 と、あたしはそこに小さな女の子の後ろ姿を見た。その娘の後ろ姿はとても寂しそうに見えた。まるでその寂しさがあたしの中に流れ込んできたみたいに胸が苦しくなった。ものすごく寂しくって哀しくって。心が張り裂けそうだった。
「あれ、この感じ・・・」
 そしてあたしはこの感じになぜか覚えがあった。この心がどうにかなってしまいそうな哀しい胸の痛みに。
「待ってぇ!」
 あたしは彼女を追いかけた。だけどこういう夢の常なのか。あたしの体はものすごく重い。まるで水の中を掻き歩いているように前に進めない。
 そしてあたしは夕暮れの光に半分溶け込んだような観覧車の下に辿り着いた。ゴンドラにあの娘と、そしてあたしと同じ年ぐらいの女の子とが手を繋いで乗るところだ。
 ゴンドラの窓から見えた彼女達の横顔には顔が無かった。
「うぐぅ・・・」
 その光景を見たあたしの心臓が早鐘のように脈打ちだした。汗がじっとりと全身を流れる。胸が…ううん、心が引き千切られているように痛い…。
 夕暮れ観覧車。
 ゴンドラが上に向かって動いて行く。
 あたしはそれに助けを求めるように手を伸ばす。・・・どうして? 誰に?



「若ちゃん、大丈夫?」
「え?」
 あたしはうっちゃんの開口一番のその言葉に愕然となった。
「えっと・・・? 大丈夫って?」
「え、だからさ、その…目の下の隈とか。上手く化粧でごまかしてるけど、見る人が見ればわかるよ。なんか、あった?」
 心配そうなうっちゃんにあたしは作り笑いを浮かべた。
「あ、うん、大丈夫。ちと、ゲームにはまちゃってっさ。すずめがちゅんちゅん鳴くまでやってたの♪」
 あたしはめいっぱい愛想笑いしながら明るく言ったつもりだったんだけど、うっちゃんはなんだか余計に眉根を寄せてしかめっ面していた。
「あのさ、若ちゃん。若ちゃんはあんな事があったばっかなんだから…だからなんかあるならさ・・・」
「え、やだなー、うっちゃん。なによ、そんな深刻な表情して。それに何よ、あんな事って?」
「え? あ、うん、だからさ…、あ、ちょっと待って」
 言いにくそうだったうっちゃんはまるでそれ幸いと言わんばかりに携帯を開き、メールを読んでいる。そして、メールを読み終わって、携帯をしまうと、あたしに向き直ってにこりと笑った。それはとても純粋で無邪気な笑顔。まるで幼い子どもみたいな。彼女のその笑みにゾクリと寒気がした。この肌が怖気立つような感覚は昨日、墓標みたいな夕暮れ時の観覧車を見た時と似ていた。
「ねえ、若ちゃん。今日の古文の宿題やってきた? 今日って26日じゃん? 出席番号と重なってるのよね。だからさ、やってきたならお願い」
 うっちゃんはまるで人が変わったように両手を合わせてお願いのポーズをしている。さっきまでのシリアスな感じは微塵も無い。そう、微塵も。彼女はさっきまでの会話を忘れているようだ。肌に鳥肌が立ち、背中を冷たい汗が流れて行く。
「あ、あの、うっちゃん。さっきまでの話は? あんな事って…?」
「え? さっきまでの話? さっきまでって今あたしここに…。それにあんな事って?」
 小首を傾げる彼女。揺れた前髪の向こうにある彼女の双眸は本気で不思議そうにあたしを見ている。本気で会話が噛みあってない。
 変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。変だ。
 お姉ちゃんも、うっちゃんも変だ。あたしは助けを求めるように教室の周りを見回した。そこには同じ制服を着て、同じような表情をしてあたしを見ているクラスメイト達がいた。まるで感情という物を皆が共有してるかのように同じ表情をした皆が…。
「若ちゃん、どうしたの? 顔色が真っ青だよ? それにそのメイク…。上手に目の下の隈をごまかしてるけど見る人が見ればわかるよ。なんか、あった? …って、若ちゃん? 若ちゃん、どうしたの?」
 あたしは愕然として、両手で震える己が身をぎゅっと抱きしめた。だけどそれであたしの震えが止まるわけが無い。教室にいる皆が同じ顔であたしを不思議そうに見ている。
 ・・・。
「きゃぁぁぁ―――ッぁ」
 あたしは悲鳴をあげて、教室を飛び出した。



 気がつくとあたしは学校のそばにある公園に来ていた。公園の真ん中にある小山形の滑り台の下には小さなトンネルがあって、あたしはその中で膝を抱えて、立てた膝に顔を埋めて泣いていた。
 何だろう? 何がどうなってるんだろう? お姉ちゃんも皆も変だ。一体何がどうなってこうなってるんだろう?
「決まってる。メールだ。あのメールが来てからだよ」
 そう、あのメールが来てからだ。あのメールを見た瞬間から何かが決定的に変わってしまった気がする。まるで世界のチャンネルが変わってしまったかのような・・・。
 だけど原因がわかっても、あたしは携帯の電源を点けられずにいた。何だかこのメールについて行動を起こすことがとても怖い。だけど怖くって怖くってしょうがないけど、その恐怖の色一色に塗り染められた心のほんの片隅であたしはこのメールに立ち向かわなければいけないんだという事を無意識に悟っていた。
「そうだよね。すごくすごく怖いけど、本当のお姉ちゃんとうっちゃんに会いたいもんね」
 あたしはぼろぼろと泣きながら携帯に電源を入れた。携帯はあれからまた膨大な量のメールを受信していた。あたしはそれを吐きそうになりながら呼び出した。
 メールは『助けて』がやはりエンドレスで入ってるだけだった。だけどこのメールに対してあたしができることはそれだけじゃない。あたしがやれることがもう一つある。そう、送信者のメアドもわかっているのだ。だからあたしから相手にメールを送る事もできる。
 あたしは『あなたは誰? 助けてってどういう意味?』と、メールを送った。そして次の瞬間にメールが返ってきた。そう、送信した次の瞬間にだ。どんなメールの達人でもそんな事ができるわけが無い。ただそれだけで圧倒されながらもあたしはそのメールを怖気と共に開いた。そこには・・・
 遊園地。夕暮れ観覧車。独りぼっち。助けて。あたしは・・・、とあった。
 そしてあたしはそこまで読んだ時、携帯を横から伸ばされた手で奪い取られてしまった。
「お、お姉ちゃん…」
 あたしはお姉ちゃんに引っ張り出された。悪戯して怒られるのが嫌で、それで隠れていたようなあたしをやはりその悪戯した子どもを隠れ場所から引っ張り出した親かのような顔でお姉ちゃんは見つめていた。
「あの、お姉ちゃん、あたし…は・・・」
 胸元をぎゅっと握り締めて言葉を言い募ろうとしたあたしはだけどその言葉を失った。上目遣いに見上げたお姉ちゃんの顔にはとても優しい笑みが浮かんでいた。その優しい笑みにあたしはどろりと得体の知れない何かに飲み込まれるような感覚に襲われたのだ。
 口を開けたままのあたしにお姉ちゃんはその笑みを深くした。
「里子。二人でショッピングにでも行きましょうか。ほら、それでついでに雑誌に載ってた喫茶店に行きましょうよ。里子が食べたがっていたジャンボクリームパフェ、私が奢ってあげる」
 そう言って伸ばされたお姉ちゃんの手。その手を掴めばあたしが今感じてるすべてがまるで見た悪夢の内容は忘れているのに、その心地悪さだけは覚えてるようなこの感じも次の瞬間には綺麗に消えてることをあたしは無意識に悟っていた。だから手がその誘惑にお姉ちゃんの伸ばされた手に伸びていく。

『助けてぇ・・・』あたしの脳裏にあのメールの文章が浮かび上がった。

「ダメぇー」
 あたしはぽろぽろ泣いていた。幼い子どもみたいに泣きじゃくりながらその場で地団駄踏んで、髪の毛振り乱しながら顔を振って、「ダメ、ダメ、ダメ」って泣き叫んでいた。
 お姉ちゃんはそんなあたしに優しく笑いながら握られない手を差し伸ばしている。あたしはそんなお姉ちゃんの横を泣きながらすり抜けた。
 あたしは公園を飛び出した。そしてその瞬間、もうそこは夕暮れ時の遊園地だった。さっきまで午前中の公園だったのに。
 夕暮れ時の橙色の光の中でメリーゴーランドが、コーヒーカップが、ジェットコースターが、色んなアトラクションが誰もいないのに動いていた。
 そう、あの見た夢と同じ。
 あたしは取り憑かれたように走って観覧車に行った。
 夕暮れ観覧車。
 タイミングを図ったかのようにちょうど下りてきたゴンドラ。自動的に開く扉。
 あたしは乗った。
 そこには12歳の女の子がいた。
 彼女の前にあたしは座る。
 そして彼女の顔を見る。泣いている彼女の顔を。
 12歳のあたしの顔を。
 ゴンドラに座った瞬間、あたしはすべてを思い出してしまった。
 観覧車はゆっくりと回りだす。
 あたしは遠くなっていく地上を、小さくなっていく街並みを眺めた。夕暮れ観覧車から。
 あたしは思い出していた。あたしが誰で、彼女が誰で、あのお姉ちゃんが誰で、そしてこの夕暮れ観覧車があたしにとって何なのかを。
 この夕暮れ観覧車はあたしにとっては揺りかご。とても心地よい揺りかご。絶対に出たくない揺りかご。だからこの観覧車がある遊園地はこの世界では潰れた事にされているんだ。この世界で万が一にもあたしがここに来る事がないように。
 目の前のあたしがあたしを見ていた。唇を動かす。
『お願い。忘れないで。あたしを独りにしないで。助けてぇ・・・』
「ごめんね」
 あたしは向かいの席に座るあたしの隣に座ると、彼女をぎゅっと抱きしめた。力いっぱいに。いつも大好きだったお姉ちゃんがしてくれたように。
「ごめんね。弱虫で。もう絶対にあなたを独りにしないから。だからここから出よ」
 彼女はあたしの顔を見るだけで何も言わなかったけど、ぎゅっとあたしの体を抱きしめる彼女の手に力が込められた。そしてすぅーっと彼女はあたしの中に溶け込んで行く。
 あたしの乗ったゴンドラが真下に来る。そして観覧車がゆっくりと止まった。開いた扉からあたしは降りようとした。
「里子、あんた、何してるの?」
 そこにはお姉ちゃんがいた。ゴンドラの中に入ってきた。彼女はものすごい怖い顔をしていた。その目にはあたしへのはっきりとした敵意があった。憎悪も。嫌悪も。だけどあたしはもう負けない。ずっとこの中で泣いていたもう一人のあたしの悲しみを思い出したから。そして今あたしの目の前にいる彼女の事も。自分がどうするべきなのかも。
「降りるの」
「ダメよ。させない」
「もういいの。あたしは・・・あたしは全部思い出してしまったから」
「それでもダメ。あんた、泣いてるじゃない。思い出した事が哀しいんでしょう。苦しいんでしょう。だからこの世界があるんじゃない。だからそいつはここに閉じ込められていたんじゃない。だからお姉ちゃんがいるんじゃない。さあ、もう一度すべてを忘れてここで暮らしましょう。私が…お姉ちゃんがいるんだからここには。ここは私が…あたし達が望んでいた世界じゃない!」
 ヒステリックに泣き叫ぶ彼女。夕暮れの世界に彼女の涙が落ちる。再び止まっていたすべてのアトラクションが動き出す。扉がゆっくりと閉まりだす。
「ダメぇー」
 あたしはその中で頭を振って泣き叫んだ。そして目の前のお姉ちゃんの姿をしたもう一人のあたしを抱きしめた。
「ダメ。お姉ちゃんはもういないの。お姉ちゃんは死んじゃったの。それはすごく哀しいけど、怖いけど、だけどダメ。もうやめようよ。もう充分に哀しんだ。だから前に歩き出そうよ。誰よりもお姉ちゃんがそれを願ってくれてるのをあたしたちは知ってるじゃない。お姉ちゃん、いつも言ってた。逃げたい時は逃げればいいって。逃げたいだけ逃げて、泣きたいだけ泣いて、立ち止まりたいだけ立ち止まればいいって。そしたらまた前に歩いていけるからって。どんな時もあたしは絶対に独りじゃないから安心しないさい。大丈夫だよって。だからそう言ってくれていたお姉ちゃんのためにも前に行こうよ」
 ここはあたしがあたしの中に作った世界。この夕暮れ時の観覧車の中で両親が離婚した日にあたしとお姉ちゃんは約束したんだ。お姉ちゃんが看護学校を卒業して看護士になって、あたしが高校生になったら、一緒に暮らそうって。だけどお姉ちゃんはそれからすぐに事故で死んでしまった。だから悲しみに暮れたあたしは自分の中に果たせられなかった約束の世界を作ったんだ。その世界の中でこの夕暮れ観覧車は言うなればこの世界の子宮だった。その中にあったのは次の可能性とか未来とかを見るあたし。彼女はこの世界の中では邪魔者だったから、ここに幽閉されていたんだ。そしてお姉ちゃんの姿をしていたのはこの世界の支配者。過去に、お姉ちゃんとの約束に囚われたあたし。マスターの彼女があたし(理性)をこの世界に住まわせていた。そう、すべてがあたしの弱い心が生み出したこと。ううん、あたしは過去に囚われたあたしを責めてるんじゃない。過去は大事。人は過去があるから、過去を大事に抱くことで未来を見られるんだから。お姉ちゃんが死んでしまった現実を見なかった事があたしの心の弱さ。ただ過去だけを見ていたあたし。だけどあたしはもう・・・
「もう、大丈夫だよ。あなたももう一人のあたしも、皆でこの観覧車を降りましょう。そして戻ろう。あたし達がいる場所に。お姉ちゃんが言ってた。あたしは独りじゃないって。うん、お姉ちゃんはあたしの中にいるでしょう」
 そして12歳の本当のあたしは観覧車を降りた。そして下から見上げる。夕暮れ観覧車を。

「・・・ん・・・。わか・・・み・・・さと・・・こちゃん。・・・若見里子ちゃん」
 あたしは眼を覚ました。体中が気だるく重い。力があまり入らなかった。ぼやけていた感覚が徐々にはっきりしてきて、鼻腔を嫌いな病院の臭いがくすぐった。
 真っ白の天井。
「里子。里子。お母さんよ? お母さんよ」
「よかった。よかった」
 真っ白な天井をバックにお父さんとお母さんが泣きながらあたしの顔を覗き込んでいた。



 病院の屋上から望める夕暮れ観覧車を見る度に私は思い出す。あの眠り続けた日に見た世界を。そして私が書いた読まれることの無い姉への手紙を。
 姉さん、私は生きています。



 お姉ちゃんへ。
 お姉ちゃん、お元気ですか? きっと、お姉ちゃんのことだから天国でたくさんお友達を作って楽しくやっていると思います。
 あたしは元気です。今は元気に学校に行ってます。
 家にはお父さんが帰ってきました。
 お姉ちゃんがいないから、家族が完全に戻ったわけじゃないけど、それでもあの観覧車で約束した未来よりも本当はあたしもお姉ちゃんも願っていた夢に近づきました。
 お姉ちゃん、お父さんもお母さんもがんばってます。だからあたしもがんばります。お姉ちゃんの分まで。
 追伸 あたしは看護士さんになります。


【了】


【夕暮れ観覧車 ― 明日香のお話 ―】

2005年01月25日 | 夕暮れ観覧車
 ねえ、今あんた、笑ってる?
 夕暮れ観覧車を見れば、脳裏に浮かんでくる言葉はあいつへの問いかけで、胸を締め付けるのは切ない青春時代の名残だった。
あー、ほんと切ないわ。
「なーに、黄昏てんのよ、アスカちん。でさ、今夜の合コンだけど、来るよね?」
 笑顔でそう言う美里さんに私は苦笑する。
「んー、パス」
「パスって。アスカちん、今夜の合コンのお相手はお医者さまだよ? もったいないお化けがわんさか出ちゃうよ」
「いや、そんなに嬉しそうに言われても…。私、そーいうのって苦手だし」
 言いにくい事を言う時に前髪を弄るのは抜けない癖。今度は美里さんが苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「って、高校時代の彼氏が忘れられないんでしょう、アスカちんは。ったく、乙女だねー。で、そんなイイ男だったの? 才色兼備のアスカちんがそんなにも思うほどにさ。詳しく教えなさいよ、お姉さんにぃ」
「って、なんか面白がってるし」
 腕を組んで、傾げた顔に何かとてつもなく面白い悪戯を思いついたような笑みを浮かべている美里さんに私は大袈裟に呆れて見せる。
 でも私は彼女の性格は充分に理解しているので、白状するまで彼女に問い詰められるのもわかっているので至極簡潔にその問いに答える事にした。
「笑顔が素敵な奴だったです。はい」
「はい、そうですか。って、なによ、それは?」
 美里さんは私に後ろから抱きついて、ぐいぐいとふざけながら首を締めてくる。なによ、それは? と聞かれても、あいつの事を思い浮かべると一番に浮かんでくるのはあいつの笑顔なんだからしょうがない。誰よりも何よりも私が大好きだったあの笑顔。そして私たちが別れてしまった原因―――
 ちょっと、色んな意味で息苦しい。だから私は酸欠気味の脳みそでこの状況を乗り越えられる話題を探して、それで見つけた。恰好の美里さんへの攻撃方法を。覚悟してくださいね、美里さん。
 私は女教師のように右手の人差し指一本立てて言う。
「美里さんこそ、どうなんですか? 例の彼には告白するんですか? そうよ。そうですよ。私の終わった恋より、美里さんの現在進行形の恋でしょう。合コンなんざ美里さんが一番やってる場合じゃないじゃないですか! 明日は日曜日。例の画家の彼が来る日ですよ。早くアクション起こさないと夕暮れ観覧車の絵が完成してしまいますよ」
 と、そしたら途端に私の首を締める美里さんの腕が解かれた。私が振り返ってん? と眺めやると、彼女は私たちの担当アトラクションである観覧車の下の広場でやっているヒーローショーを眺めている。おい!
「やー、今日も子ども達よりもお母様方の方が盛り上がってるねー」
「って、ごまかさないでください!!!」
「いけー。レッドペガサス。ペガサス・エターナル・ウインドで怪獣なんかやっつけちゃえー」
「美里さん!!」
「ほらほら、アスカちんも一緒に」
 拳を握り締めて声をあげる美里さん。周りのお客さんがこちらを振り返るのもかまわずに。私の方がちょっと恥ずかしくなってしまう。っとにもう、美里さんは……。
 彼女はいつもこうなのだ。すぐに話が自分の具合の悪い方向に向かうと、ごまかそうとする。私は大仰にため息。そしてくすっと笑うと、ヒーローショーの方に視線を向ける。
「「ペガサス・エターナル・ウインドぉー」」
 そしてすっかりと覚えてしまったペガサスレッドの決めのシーンで美里さんと一緒に大声をあげて、それで二人で顔を見合わせてくすくすと笑いあった。
 って、ん? 今、火薬が破裂して自分から後ろに吹っ飛んだ怪獣が私を見たような気がしたのは、気のせいだよね?
 と、思ったのだけど、それはどうやら気のせいではなかったようだ。なぜか私の前にショーが終わった怪獣がいる。
 ―――って、なんで?
「よお!」
「……えっと」
 よお! と思いっきり親しげに言われても怪獣に知り合いはいないんだけど?
「なに、アスカちん、知り合いなの?」
「いえ、怪獣に知り合いは……」
 と、私がきょとんとした声で言った瞬間、怪獣が笑い出した。そして怪獣はおもむろに後ろのファスナーを下ろして、背中から顔を出した。普段の私ならば真っ先におまえは子ども達の夢を壊すつもりかぁーって突っ込むところなんだけど……
「・・・」
 そいつはとても嬉しそうに自分の顔を指差した。
「よお、怪獣には覚えがなくっても、その中身には覚えがあるだろ♪」
 ものすごくあった。そこにはあの私が好きだった笑顔があった。もう絶対に見られないと思った笑顔。永久に失われてしまったと思った笑顔が。
 そして私とそいつはなぜか観覧車に乗っていた。美里さんの仕業だ。ったく、あの人は・・・。
 私はどうすればいいのかわからなくって、茜色の空から降りてくる橙色の光のカーテンに包まれていく街を見つめているばかりだった。一日で一番世界が優しく見られる時間の光景。こいつは覚えているだろうか? 初めてのデートの場所がこの遊園地で、そして最後に乗った観覧車で―――
「なあ、明日香」
「な、なによー?」
「……って、何、怒ってんだよ?」
「あんたの話しかけてくるタイミングが悪いのよぉ」
「はあ?」
 ………。
 こいつはいつもそうだ。何か間が悪い。思い浮かぶこいつの間の悪さに泣かされた数々の記憶。一時期は天然じゃなくってわざとやってんじゃないの、あんた? って疑ったものだ。
「どうした、明日香?」
 不思議そうに小首を傾げる彼に私は顔を横に振った。
 何でも無い。そう、何でも無い。ただ胸のずっと奥深くにしまっていた記憶の箱の蓋が開いて、そこからこいつと付き合った高校3年間の思い出が溢れ出してきた、ただそれだけの事だ。そう、それだけの事。ただ昔のそのくすぐったくって切ない思い出についくすくすと笑い出してしまう。
 彼はますます不信気に眉根を寄せるが私はかまわずに笑った。
「変わってないね、その笑顔」
 その優しい声に前を向くと、そこにはとても優しい顔があった。あの頃よりも優しい顔。過ぎ去った時間とそしてきっと今こいつの隣にいる人の優しさの分だけの優しい、顔。
「ずっと、心配だったんだ。おまえ、今笑ってるかな?って」
 その言葉に嬉しさを感じると同時に、ちょっと呆れる。
「あのね、それはこっちの言葉」
 あの頃の私たちはとても幼かった。別れる時はお互いの心を傷つけあってひどい物だった。
 高校生の時、こいつは陸上部の高飛びの選手だった。そんなにすごい選手じゃなかったけど、私は夕暮れ時の世界の中で、こいつがまるで背中に翼でもあるように軽やかに自分の身長よりも高い場所を飛ぼうとして失敗するのが好きだった。だってバーを直してまた走り出す瞬間のこいつの笑顔がとても素敵で、そして何度も失敗してそれでも諦めないで挑戦した結果にその高さを飛んだ後のこいつの無邪気な笑顔はほんとに眩しかったから。
 高飛びが誰よりも好きだったこいつに恋していた。だけどこいつは飲酒運転のダンプに轢かれそうになった子どもを助けようとして、交通事故に遭い、アキレス腱と膝を痛めてしまった。生活に支障は無いがもう二度と、高飛びはできなくなってしまった。
 そして彼から笑顔が消えた。私は彼を励まそうとしたが、その想いは空回り。そしてその狂った歯車と狂った歯車とが噛みあって、私達の恋のオルゴールはその音色を変えてしまった。
 彼は座席に忘れられていったお菓子の箱(飴玉がいっぱい入ってるやつ)を手にとってそれをがしゃがしゃ鳴らす。まるで私達の間に存在する空白をそれで埋めようとするかのように。
「今、俺、ヒーローショーのアルバイトしてるんだ」
「うん。新しい夢、見つかったんだね」
 新しい夢。うん、わかるよ。だって体育の先生になって、陸上部の顧問やりたいって話してくれた時と同じ顔してるもの。ねえ、覚えてる。それ、教えてくれたのも今と同じ夕暮れ観覧車の中だったんだよ。
「楽しい?」
「ああ、すげー、楽しい。子どもが笑ってる顔見れてさ。それに役者ってほら、自分の知らない人間を演じられるだろう? 演技を通して広い世界を見られる。それがすげー楽しいし、やりがいがあるんだ。俺、劇団入ってて、それで小学校とか老人ホームとかいろんな所に公演しに行くんだけど、いっぱい手紙とかもらってさ。それでな――」
 と、嬉しそうに話す彼の声。私はあの頃のように彼の笑顔を見て、彼の弾む声に耳を傾ける。
 時があの頃に戻ったんじゃないかって錯覚するような優しい空間。
 ゴンドラの外から聞こえてくる遊園地のBGMに、来客者の笑い声。そしてこいつの弾む声。心地よい音色。私はそれに耳を傾ける。
 ―――このまま時間が戻るか、止まればいいのに。

 ジャラジャラジャラカカカン―――

 ………ったく。
 私は唖然とする。
 本当に唖然とする。
 まったくもって唖然とする。
 せっかくのいい雰囲気だったのに!!!
 ほんとにこいつって………
「あははははは。ほんとにもうばかぁ」
 私は両手でお腹を押さえて笑い転げた。どうしようもなくとても楽しかったのだ。この時間が。この空間が。
 本当に楽しい―――
 どうしよう?
「なあ、明日香」
 心臓がどくん、と大きく脈打つ。予感が私の胸を締め付けた。
 私は彼を見つめる。
「今日、ここに来てすげーびっくりした。まさか明日香がここにいるなんて思わなかったから。だってほら、ここって初めてデートした場所だから」
「覚えてた?」
 そう訊くと、なぜか彼は気まずそうな顔をした。
「あ、おう。んで、まだ夕暮れ観覧車のジンクスって有効なのかなって、図々しいこと思ってた…とこ……。って、ごめん」
 彼は両手を合わせて、頭を下げる。私は目を瞬かせるばかり。
「嘘。ほんとはおまえが短大卒業してここに入社したって聞いて、それでプチストーカー。陰からこっそりとおまえが笑ってるかどうか見るつもりだけだったんだけど、おまえがあんまりにもイイ顔して笑ってるから…」
 私はただただ驚くばかり。
 そして彼は飴玉を拾いながらそんな私にとても優しい笑みを浮かべる。
「今すげー優しい奴と付き合ってるんだな、明日香は。あはは。でも、ちぃっと寂しいな。勝手。俺、ずっとおまえの事……。はは、未練。やだね、男って」

 夕暮れ観覧車にはジンクスがある。それは夕暮れ時の観覧車の頂上でキスをしたカップルは幸せになれるって。

「・・・」
 最後の一個を私は彼よりも先に拾った。
 彼は私の顔を見て、ますます気まずそうな顔をしている。
 自分でもわかっている。ぽろぽろと涙が零れ出しているのは。もちろん、嬉しくって。
 ゴンドラはあと少しで上に到着する。
 そして私はタイミングを図ったみたいに夕暮れ時の観覧車の頂上で彼にキスをした。彼とのデートでファーストキスをかわした時のように。
「っバカぁ」
 それ以上の言葉はいらない。そしてもう一度私たちは唇と心を重ね合わせた。
 私達の恋のオルゴールがまた優しい音色を奏で出す。
 止まっていた時間の針が動き出す。

 ジャラジャラジャラカカカン―――

 うんうん。こんな飴玉が落ちる音って・・・
「「あ―――」」再度、床に転がった飴玉を見て、私たちは声をあげた。
 慌てて窓から外を見れば、もうゴンドラは地上に近い場所。
「バカ。ちゃんと持ってなさいよ。ほんと間の悪い男よね、あんたって。ひょっとしてその間の悪さで私を困らせるのが趣味?」
「ごめん」
「謝るのは後。さっさと拾って!」
 ゴンドラは地上に下りて、扉が開けられて――
「ありがとうございました………」
 嬉しそうに扉を開けた美里さんはもちろん固まって、
「「もう一周」」
 私と彼はそう叫ぶのだ。
「あ、はい」
 ばたんと閉められた扉に私たちは飴玉を拾う手を止めて顔を見合わせて、そしてけたけたと笑いあった。
 昔のように。
 そして昔よりもまたさらに一歩前に進んで。


 ― fin ―


 もう約2年になるのでしょうか?
 美里さんのお話を投稿させていただいて。^^ その節は本当にとても綺麗なイラストをつけてくださりありがとうございました。^^ そしてあんなにも素敵な音楽まで。^^
 今回のお話はその時に言っていたお話です。そうだ、あの時に他のお話も読んでみたいといってもらえた御礼に、綺麗なイラストや音楽をつけてもらえたお礼に続きを載せようと想って引っ張り出してきました。
 少しでもYさまとHさまに喜んでもらえたら本望です。^^
 久しぶりに読み返してみて懐かしいのと恥ずかしいのでちょっと…。でもやっぱり自分の作品ですから愛しいのですけど。
 それから美里さんと彼との物語のその後も載せたいと想っております。^^