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アッバース朝の最盛期

2023年01月24日 | 高2用 授業内容をもう一度
  アッバース朝は「イスラム帝国」と呼ばれるように、アラブ人の特権は廃止され、ムスリム間の平等が実現した時代です。そのため、カリフは多民族帝国にふさわしく、民族を超越する存在であることが求められました。これをカリフの神格化ととらえることができます。アッバース家第2代カリフのマンスールのとき、カリフの神格化が進み、さらに彼の手によって「平和の都(マディーナ=マッサラーム)」と言う名の都市バグダッドが建設されました。アラブ人至上主義の世界が終わり、イスラム教世界としてひとつにくくることができるイスラム文化圏が成立したわけです。同じ8世紀には中国のが「東アジア文化圏」を確立していたので、同時期にユーラシア大陸の東と西で、強大な文化圏が成立していたことになります。西のバグダッドと東の長安はともに100万人の人口を持つ国際都市でもありました。
 8世紀後半、第5代カリフのハールン=アッアシードが登場すると、アッバース朝は最盛期を迎えました。この人物は「千夜一夜物語(アラビアン=ナイト)」の登場人物のモデルであることでも有名です。しかし、彼の時代になると、アッバース朝に変化が生じてきました。840年ウイグルの西走により中央アジアにトルコ系民族が移動し、彼らがさらに、バグダッドのある西アジアにも出現してきたことが、その要因でした。もともとアッバース朝の建国を支持し、アッバース朝の繁栄を支えてきたのはイラン人でしたが、ハールン=アッラシードは、そのイラン人に代わってトルコ人をマムルークという傭兵として安く雇い、重用し始めました。これに反発するイラン人の一部はホラサーン地方などに引っ込んで、自立していくようになりました。アッバース朝の支配権が及ばない地方が出現し始めたわけです。このような傾向は、第7代カリフのマームーンの時代にも加速しています。
 一方、アッバース朝時代最盛期には、イスラム文化の成熟が見られます。とくにマームーンは文化面の功績が大きく、バイト=アル=ヒクマ(知恵の館)バグダッドに建設し、ギリシアのアリストテレス哲学・ヘレニズム時代のユークリッド幾何学・天文学・医学などの多くのギリシア文化がこの研究所で、ギリシア語からアラビア語に翻訳され、保存されました。ここで翻訳されたギリシア・ヘレニズム文化はやがて西欧のルネサンスに継承され、現在に受け継がれていきます。

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