漢字家族BLOG版(漢字の語源)

漢字に関する話題など。漢字の語源・ワードファミリー。 現在、荘子「内篇」を素読しています。

荘子(内篇)の素読

2008年09月03日 04時01分06秒 | Weblog


[ブログ内検索]

 学生時代に愛読した「荘子」(内篇)。歳月を経て、再度読み直そうと考えながら、心の余裕がなく、すでに今日にいたっている。

 夏の終わりに、思うところあって、気持ちを楽にして素読(そどく)をはじめることにした。

 素読といっても、読むのは夜中になるので大きな声を出すことはできないし、いわゆる伝統的な本当の「素読」の方法は知らないし、師匠もいないので、この場合は、ゆっくりと時間をかけて楽しみながら読み進めるという意味にすぎない。

 深読みする器量もないし、解釈をまじえる能力もないので、さらりと読み進めていきたい。「さらり」と読み進んでも味わい深いものがあるだろう。それが古典のいいところである。

 もうひとつは、使用する漢和辞典のことである。

 学生時代は、三つのテキストを参照し、「三省堂漢和辞典」(長澤規矩也 編)を使用して読み進めた。

 理由は、この辞書の合理性が気に入り、中学時代から愛用していたからだ。

 しかし、後に藤堂明保博士の著作物に出会い、その学説を咀嚼しようと努めて現在に至っていることもあり、「ここぞ」という時の字義およびことばの解釈は「学研漢和大字典」に依ろうと思う。

 つまり、「学研漢和大字典」で、読み直してみたいのである。

 こういうとたいそうな事に聞こえるが、それほどきばっているわけでは決してない。

 きばらずに、少しずつ文章を味わいながら読み進めていきたい。

 ということで、今日はまず、開巻劈頭の「鵬鯤の物語」から・・・



荘子:逍遥遊第一(1) 北冥有魚,其名為鯤

2008年09月03日 03時21分55秒 | 漢籍

 [ブログ内検索]
逍遙游第一(1)

 北 冥 有 魚 , 其 名 為 鯤 。 鯤 之 大 , 不 知 其 幾 千 里 也 。 化 而 為 鳥 , 其 名 為 鵬 。 鵬 之 背 ,不 知 其 幾 千 里 也 。 怒 而 飛 , 其 翼 若 垂 天 之 雲 。 是 鳥 也 , 海 運 則 將 徙 於 南 冥 。 南 冥 者, 天 池 也 。

 北 冥 に 魚あり、其の名を鯤(コン)と為す。鯤の大いさ其の幾千里なるかを知らず。化して鳥と為るや、其の名を鵬(ホウ)と為す。鵬の背(そびら)、其の幾千里なるかを知らず。怒(ド)して飛べば其の翼(つばさ)は垂天(スイテン) の雲の若(ごと)し。是(こ)の鳥や、海の運(うご)くとき則(すなわ)ち将(まさ)に南冥(ナンメイ)に徙(うつ)らんとす。南冥とは天池(テンチ)なり。

 荘子が語る「逍遥遊」(ショウヨウユウ)の世界。開巻劈頭、「鵬鯤」の物語で、一気に彼の物語へと誘い込まれる。

 この世界の北の果て、波も冥(くら)い海に魚がいて、その名は鯤という。その鯤の大きさは、いったい何千里あるのか見当もつかないほどの、とてつもない大きさだ。

 この巨大な鯤が(時節が到来し)転身の時を迎えると、姿を変えて鳥となる。その名は鵬という。その背(せな)の広さは幾千里あるのか見当もつかない。

 この鵬という巨大な鳥が、一たび満身の力を奮って大空に飛びたてば、その翼の大きいこと、まるで青空を掩(おお)う雲のようだ。

 この鳥は、(季節風が吹き)海の荒れ狂うときになると、(その大風に乗って飛び上がり)、南の果ての海へと天翔(あまがけ)る。「南の果ての海」とは天の池である。

line

逍遥遊(ショウヨウユウ)
 何ものにも束縛されることのない自由な境地に心を遊ばせること。
  「至人」「神人」
 
(コン)
 はららご。魚のまるい卵。魚子。『爾雅』(釈魚)。
 最も微小なものである鯤(はららご)を、北の果ての冥い海に棲(す)む巨大な魚の名に用いたところ、荘子の面目躍如たるところである。しかも、この鯤が、天空をさえぎって飛翔する巨大な鳥に変身するというのである。我々の常識の世界を超越している。
 この「逍遥遊第一」は、このようにはじまり、次の斉物論篇へとつながるのである。

海の運くとき
 嵐で海の荒れること。「運」は「転」なり『釈文』。