かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

束稲山~長者ヶ原廃寺跡から見える山(3)

2012年02月22日 | 旧ブログ記事(長者ヶ原廃寺跡・衣川関係)
 たばしねやま、と読みます。

 長者ヶ原廃寺跡の記事で『今日の長者ヶ原廃寺跡』とキャプションを付けて載せている写真に映っている山です。

 実はこの山、大河ドラマ“平清盛”でここ最近、清盛の同僚(北面の武士)として出ている佐藤義清(のりきよ)が出家して西行として平泉まで来た時に歌に詠まれています。

  ききもせず たばしね山の 桜花(さくらばな)
   吉野のほかに かかるべしとは

 あの桜で有名な吉野に匹敵するくらい、束稲山の桜は美しかったようです。

 が、残念なことに今ではその頃の美しさを取り戻そうと植樹されているもの以外は、自生していません。

 おそらく、植樹したけれども手入れが行き届かなくなって、いつしかなくなってしまったのでしょう。

 ではその桜を植樹し始めたのは誰か?

 kaneurikichiji は、長者ヶ原廃寺跡を建立した安倍氏だと思っています。

 鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』には「安倍頼時が衣川周辺に桜並木を作った」と記されています。

 吉野山に匹敵するほどの美しさを誇っていたならば、一朝一夕には作れません。

 安倍頼時が源頼義(頼朝の先祖です)と戦う前、永承5年(1050)ごろから植え始め、その事業が受け継がれたとすれば、西行が初めて平泉に来た天養元年(1144)には桜の名所になっていたとしてもおかしくありません。

 そんな歌枕の束稲山を長者ヶ原廃寺跡から眺めてみませんか?


真夏と真冬の束稲山
コメント
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