歴史と中国

成都市の西南交通大学で教鞭をとっていましたが、帰国。四川省(成都市)を中心に中国紹介記事及び日本歴史関係記事を載せます。

熊野古道と熊野三山(上)―熊野中辺路と熊野本宮大社―

2018年06月02日 14時53分13秒 | 観光(日本)

クラブツーリズム主催「3日間現地語り部がご案内!悠久の世界遺産へ高野山・熊野三山・中辺路ハイキング」に参加してきました。そこで、このツァーの主体である熊野古道中辺路と熊野三山を紹介します。ツァー2日目の2018年5月25日(金)は熊野古道中辺路と熊野本宮大社等を巡りました。

熊野古道中辺路ハイキングは牛馬童子口バス停から始まります。9時40分頃の出発です。写真1は、ここにある瀧尻王子宮です。この右側から熊野古道中辺路の上りとなります。

写真2は、牛馬童子への途上、振り返って撮ったものです。ここら一帯はほとんどが杉人口林です。

写真3は、牛馬童子の石像群です。手前左が牛馬童子石像です。

写真4は、近露王子への下り路を右に見て、山を遠望したものです。

写真5は、近露王子です。中央のが「近露王子之跡」石碑(大本教教祖出口王仁三郎筆)です。11時45分頃着きました。約1.5km弱の行程です。

近露王子から発心門バス停までバス移動しました。写真6は、発心門王子宮です。13時前に出発です。

写真7は、水呑王子への路です。ここは居住者もおり、生活道路として舗装されています。

写真8は、水呑王子です。

写真9は、伏拝王子への路です。ご覧のようにここは石畳となっています。

伏拝王子に着き、この展望台から熊野本宮大社を遠望したのが、写真10です。本宮が見えることからこの名が付きました。

写真11は、伏拝王子の石像です。


写真12は、三軒茶屋跡に残る石道標です。「右かうや」とあるように高野山に通じる熊野古道小辺路との分岐点です。

写真13は、祓殿王子への路です。ご覧のように根が石の上に這っています。ここの石畳の古さを感じます。

熊野古道中辺路の終わりが、写真14の祓殿王子です。本宮参拝の前にここで最後の祓いを行なうことから、この名が付きました。16時10分過ぎに着きました。約7km弱の行程です。

本宮に入り、写真15は、本殿です。左の建物が第一殿(夫須美大神=伊邪那美尊)と第二殿(速玉大神=伊邪那岐尊)、中央が第三殿(家津美御子大神=素戔嗚尊)、右が第四殿(天照大神)です。本宮は素戔嗚尊が主神ですから、第三殿からお参りします。これらの19世紀初頭建立の社殿は重要文化財に指定されています。

写真16は、主神の素戔嗚尊を祀る第二殿です。

写真17は、2000年に建てられた日本一の大鳥居です。鋼鉄製(耐候性鋼板)で高33.9m・幅42.0m・柱径2.7m・柱間隔24.5m・172tです。本鳥居は現社地の南に約500mの旧社地前に聳えています。

最後の写真18は、旧社地、すなわち大斎原の前にある世界遺産石碑(熊野本宮大社旧社地大斎原)です。本宮は熊野川・岩田川・音無川の合流点の中州であった旧地に鎮座していましたが、1889年(明治22)8月の熊野川の洪水で破壊されて、現在の社地に移転しました。旧地も神聖な社地の森として「大斎原」となっています。以上でハイキングと参拝は終わりです。16時50分過ぎでした。

なお、フォトアルバム「熊野三山」はhttps://1drv.ms/f/s!AruGzfkJTqxngttoUq44nhIkXZRdEQです。

(2018.06.02)

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